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まだ、とちゅうだけど。『モディリアーニにお願い』

相澤いくえ作の漫画「モディリアーニにお願い」を読んだ。道を歩く人の隣に、ずっと寄り添ってくれる作品だと思った。私の隣でともに悩んで悔しくなって、一緒に笑ってくれる。そういうお話だ。

あらすじ

東北にある、バカでも入れる小さな美大。
山の中にあって女子がほとんどの学校である。
壁画の千葉と、日本画の本吉と、洋画の藤本は、
同学年の気の合う仲間。
冬の寒さも、制作の厳しさも、学生の楽しさも、
将来への不安も分かち合いながら、共に過ごしている。
真剣に創作をしながら。

道の途中にいる私たち

1巻に収録された第6話にすきな場面がある。先輩が卒業制作として作ったモザイク画を、主人公の一人である千葉が先輩が見に行くシーンだ。

「すごく細かいタイルとガラスを組み合わせている…これ、ひとつひとつ砕いたり切ったりしてやすりでツルツルにしてどんだけ時間かけたんだろう…」
「ここまで大きいものを作るのも、小さなパーツを作ることから始めたんだ。」
「丁寧に少しずつやっていくしかないんだ。」

美術に造詣が深いわけでもないし、作品を制作しているわけではない。でも胸にぐっと来る。

それはたぶん、この気づきが絵の分野だけに限らないからだ。どこにいても、大きなものを作るために、積み上げなくてはいけないことがある。書くこともきっと同じなんだと思う。

いつか自分の言葉で伝えたい気持ちがある。そう思っても、前を歩く人たちを見てやっぱりやめようかなと弱気になる自分がいる。だって、すごいのだ。形はないけど確かにあるものに名前を付けたり、想像だにしなかった世界を創り上げたりしている。

以前はそういうものに出会うと、わくわくや嬉しさだけを感じたのに、憧れて自分でも書きたいと思ってから見てしまうと、なんで、私はあんな風に世界を見られないんだろうと恥ずかしさや不安が出てくる。

だから、この台詞にはガツンと言われたような気がした。できるかどうかとか、恥ずかしいとか、勝手に不安になっている場合じゃないだろうと。自分の足で、少しでもいいから歩けと。年上の人に叱られるというよりも、友達に小突かれたような気分だった。

読んでいると、一緒に戦いたくなる。決意を新たにするのではなく、伝えたいという気持ちが募っていく。つたなくても、書くぞ。そうやって積み上げていくぞ、と。先を歩いている人たちとは違っても、自分のままで歩いていくしかないんだと思う。

2017年に出会った漫画が、きっと今年も私の隣を歩いてくれる。私たちは、まだ道半ばだ。だから今日も、一歩ずつ前に進んでいくしかないのだ。

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