なぜ記事を書くのか?

ノウハウの蓄積化:今の自分の当たり前は、未来の自分にとっては当たり前ではない


私も以前、wordpressでブログを書いていた。
内容は受験関係からガジェットのレビューなど、色々。

マネタイズもできていなかったし、
正直、ライティングスキルのポートフォリオにもならない、
個人の雑記ブログ感は否めず、
ほとんど人に見せたりはしなかった。

そのため、サーバー代やドメイン代ももったいないと考え、
深く考えず、そのブログを閉じてしまった。

しかし、今となってはそのことをものすごく後悔している

雑記とはいえ、記事数は50ぐらいあったし、
それだけの量の記事を書くのは大変な労力だということを知っている。

今思うと、当時の私はマネタイズのことしか考えていなかったから、
このような行動に出たのだと思う。

だが、そんなブログでもあるのとないのでは、
天と地ほど違う

その理由の一つがノウハウの長期化である。

ブログを書いていたときの私は、
多少はGoogleアナリティクスなどを使って、
色々Webマーケの分析をしていたのだが、
今の私はそうしたやり方をほとんど忘れてしまっている。

もし、当時の私がそのやり方を記事にしていれば、
今の私はそれを読むことで、容易に思い出すことができる。

これは、実に大きなメリットだと思う。

Webの世界は複雑なのは言うまでもない。
そうした細々したことを記事にまとめておくことは、
未来の自分にとって役に立つ。

このことから私はまなんだ。

記事は今の自分のために書くのではなく、
未来の自分に向けて書くということに。

記事を書くことは、今の自分のインプットのアウトプットでもあるのだ。

アウトプットがない学習は、
長期化しない。

その点でも、記事を書く意義は大きい。

客観性:ライティングスキルのポートフォリオ

次の利点は、客観性だ。

先日私は、クラウドソーシングで、
ライターの仕事に応募しようと思ったが、
その時の募集要項を見ていると、
ほぼ確実にライティングスキルを証明するものの掲示を求められた。


つまり、記事がないということは、
他人に自分のライティングスキルを正しく判断してもらえないのだ。

これは莫大な機会損失である。

記事があれば、
その記事を読んでもらった上で
判断してもらえるが、
なければ、そもそもそうした判断すらしてもらえない。

肩書き: ライターを名乗る

個人的には、これからの時代は、
一つの肩書きでは通用しなくなっていく気がする。

そんなとき、肩書きを作りやすいのは、
ライターだと感じる。

あくまで肩書きにすぎないが、
本業の傍ら、様々な記事を執筆して
公開しておくことは、
他人にライターかいなかの判断をしてもらえる点で、
頼もしいと私は感じる。

マネタイズ:継続が必須


そして、最後の利点がマネタイズの可能性だ。

これを目当てにすると継続できないが、
記事はある意味自己紹介にもなるため、
そこからつなげられるものは多いと思う。


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