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「職業的専門家としての判断」は「経験と勘」と何が違うのか【監査ガチ勢向け】

30年以上前に監査論を勉強したときに、「経験と勘」による監査はすでに過去のものとして扱われていました。でも、今も「監査判断」なしの監査はありえません。「監査判断」って、結局「経験と勘」とどう違うの?


監査法人で30年強、うち17年をパートナーとして勤めた「てりたま」です。
このnoteを開いていただき、ありがとうございます。

「経験と勘」というと、いかにも時代遅れで非科学的なように聞こえます。

私が会計士試験のために監査論を勉強したころにはすでに、近代化する前の監査は経験と勘に頼っていた、というように習いました。
ところが監査法人に入ってみると、監査論の知識だけで監査ができるわけではなく、結局は経験と勘が幅を利かす世界でした。

それから月日は流れ、今では「職業的専門家としての判断」という言葉が使われています。

この「職業的専門家としての判断」は「経験と勘」と何が違うのか、今では「経験と勘」、特に「勘」が使われることはないのか、考えます。



監基報による「職業的専門家としての判断」

30年前の監査と今とではいろいろな意味で違いますが、監基報など監査の基準が充実してきた点も大きいと思います。
「監基報」とか言い出すと頭が痛くなった人は、次の大見出しまで飛んでください😊

監基報では、「職業的専門家としての判断」を次のように定義しています。

個々の監査業務の状況に応じた適切な措置について十分な情報を得た上で判断を行う際に、監査、会計及び職業倫理の基準に照らして、関連する知識及び経験を適用すること

監査基準報告書200「財務諸表監査における総括的な目的」
第12項(12)より

「判断」の定義の中に「判断」が登場するのはいまいちな感がありますが、IAASBによる英語の原文では「職業的専門家としての判断」は"professional judgment"、定義の中の「判断」は"decisions"と使い分けられています。

ここから、「職業的専門家としての判断」の要件を次のように導くことができます。

  • 個々の監査業務の状況に応じた適切な措置についての判断である
    →抽象論ではなく、特定のクライアントの個別具体的な状況に対する判断、ということ。

  • 十分な情報を得た上で判断を行う
    →情報収集もせずに「きっと○○に違いない!」とか言っているのではない。

  • 監査、会計及び職業倫理の基準に照らして行う判断である
    →「サイナーは俺だ。異論は認めない」と独りよがりになっているわけでなく、基準に基づく判断ということ。

  • 関連する知識及び経験を適用することによる判断である
    →「経験」が出てきましたね。それに加えて「知識」も問われています。

それぞれの要件から、必要な要素を抜き出してみましょう。

  • 個々の監査業務の状況

  • 十分な情報

  • 監査、会計及び職業倫理の基準

  • 知識及び経験

ここには「勘」らしきものは出てきません。
「勘」って何なんでしょうね?


実際の監査現場における「職業的専門家としての判断」

そもそも監査判断とは、監査上重要な決定を行うということですよね。
「実証手続は分析で行くのか、詳細テストか」
「この会計処理は認められるのか、虚偽表示なのか」
「監査意見は表明できるのか、できないのか」

このようなことを決定するときに、先ほどの4つの要素を検討すれば、自ずから答えが分かることがあります。
例として、クライアントの主張する会計処理が認められない、という判断をする場合について、4つの要素を考えましょう。

  • 個々の監査業務の状況
    この虚偽表示は金額は大きくはないが、これを修正するとぎりぎり赤字になることから、このままでは監査意見は出せない。

  • 十分な情報
    契約書を改訂する覚書が見つかった。これを見ると、会社の主張に反する条項があり、取引相手が譲る可能性は低そうだ。

  • 監査、会計及び職業倫理の基準
    クライアントが適用する会計基準の該当する条項は、要件が相当厳しく、この取引に当てはまるとは言えない。

  • 知識及び経験
    この業界で、この会計方針を採用している会社は聞いたことがなく、調べてもみたが他社事例は見つからなかった。

もちろん、実際は一つの要素で結論を出せることは珍しく、集めたものを総合的に勘案して決定することになります。


監査における「勘」の現代的意味

そこで、監査における「勘」に戻りましょう。
かつて「勘」と呼ばれていたものは、今の監査では次の3つに分類されると考えられます。

  • 合理的に導き出す結論

  • 説明可能性を重視した結論

  • 今でも残る「勘」

合理的に導き出す結論

前近代的と揶揄されていましたが、当時監査責任者であったすべての大先生が、思いつきや好き嫌いで監査判断をしていたとは思えないんです。

結局は、「個々の監査業務の状況」「十分な情報」「監査、会計及び職業倫理の基準」「知識及び経験」を頭に入れたうえで、判断されていたのだと思います。

明らかに今の監査がこの時代と違うのは、次のような点だと考えられます。

  • 判断のよりどころとなる監査や会計の基準がそろっている

  • 文書化が進み、判断の過程が記述されている

これらの結果、かつては大先生の頭の中にしかなかったもののかなりの部分が言語化され、今では「勘」というあいまいな言葉で呼ばなくてもよくなっています。

説明可能性を重視した結論

それでも、監査判断に迷うことはしょっちゅうあります。
私も30年のキャリアがありながら最後まで迷いまくりでした。

迷いながらも決めないといけません。
何らかの事情で今は決められない、ということはあるでしょうが、それでもクライアントの段取りを大きく変更させてでも「今は決めない」ということを決めないといけません。

そんなとき、やはり「勘」を働かせているのでしょうか?
いや、昔の「勘」とはちょっと違うように思います。

今は、集めた材料に基づいて最も説明可能な結論はどれか、という決め方になっているように思います。
腹の底ではA案もありだと思っている。しかし、あとで検査や、ひょっとして裁判で問われたときに、説明が通る可能性が高いのはB案の方。
そんなロジックでB案に決めていることもままあるように思うのです。

今でも残る「勘」

それでは、今は勘を働かせる余地はないのでしょうか?
そんなことはありません。特にリスク評価では今でも勘は重要です。

「何かにおう」
「何かがおかしい」
「どうもしっくりこない」
そんなときにもう少し調べてみると、重要な不正や誤謬が見つかることがあります。

本当は頭の中で起こっていることを言語化できるのかもしれません。
ただ、それに時間を使うよりも、もう少し調べてみて、疑いが晴れなければさらに調べてみて、と進むうちに、大きな問題にぶち当たるのです。


おわりに

昔々はざっくりと「経験と勘」と呼んでいたもののうち、かなりの部分が見える化され、説明可能になってきたことを見てきました。
それでも、どうしても「勘」の部分は残ります。

ここでちょっと宣伝。
監査に対する検査について、有料記事を3回シリーズで投稿する予定です。
第一弾は投稿済みですので、よかったら無料部分だけでもご覧ください。

よろしくお願いいたします!


最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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これからもおつきあいのほど、よろしくお願いいたします。

てりたま

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