見出し画像

kiwamu is burning 2016 その2

BURNING SIGN/NODAYSOFFのエロリンです。

昨日の投稿に対して沢山の反響ありがとうございました。自分の思う、色んなキーマン的な人たちとはよく話すことなんですが、90年代後半~00年代前半は昨今のように普段使いするようなインターネット的には黎明期で、現在のようなSNSや動画サイト的なメディアも無く、簡単に曲やフライヤーをデータでupして残すことができるプラットフォームや文化も無かったため、実はアーカイブとして結局何も残っていない、なんてことがよくある話なので、こういった話の出来る人間としては少し使命感を感じていたりします。

画像1

では続きの後編です。前編を超えるほどの長文になりますが、お付き合いください。今回もテキストリンクなど沢山貼ってあります。

キワムさんの死を経て、LAST ONE STANDING(以下LOS)はnaiadのセイヤさんなどをヘルプのギターに迎えつつ、今回も出演するshe luv itの703さんや、当時LOSのシンガロング部隊筆頭だった現在はsmd crewのダイキなどを新メンバーに迎え、その後も2ndアルバムリリースなど精力的に活動を続けていきます。

しかしボーカルのスワさんの結婚やお子さんの誕生に加えて長期間の体調不良、ドラムのシュンキくんの移住、その他にも仕事に伴う転勤などメンバーの環境変化を含めて、それらだけが理由ではありませんが、年を追うごとに段々と活動がスローペースになっていく経緯がありました。

ここで少し京都という街の話をすると、若者に関しては比較的狭い地域に学校や大学など多く点在しており、昔から学生の街という面も色濃く、それはハードコアに限らず様々なバンド界隈において言える話でもあります。今となって再確認することでもありますが、今回触れているような話の登場バンド/人物もほとんどが当時10台後半~20代前半の歳で京都に在住/在籍していました。人数の多い少ないはあれど、メンバーに学生がいたバンドは多かったと記憶しています。しかしその学生の街という面は、もちろんのこと卒業や就職などの影響を比較的受けやすいといえる街でもあり、そういったタイミングでメンバーの出入りが発生することは珍しくなく、00年代前半の京都ハードコアもその例に漏れず、といったものでした。

昨日に書いたような04年以降も、TIME HAZ COMEのような個性的でラッピンなビートダウンスタイルのバンドや、fireflyのようなセンスの塊といえる若いバンドなど、良質なハードコアバンドが次々に出現するものの、いずれも短命に終わってしまうことがしばしばでした。その他、NORDEでベースを弾いていたタテさんがウーピーズのスタッフ時代に名V.Aのタイトルからとった「anti matter」という企画を定期的に企画し、同時期にalliance trax主催でCOMEBACK KIDやTERRORなど海外人気バンド来日の京都場所が開催されたりもしていましたが、当時の主軸バンドであったNOTⅡBELIKESOMEONE(以下NTBLS)がメンバーチェンジに苦しむなどといったこともあり(06年に出たEPに至っては、京都で結局レコ発をやっていないはず…)、2005~2006年頃を境に軒並みライブのペースや企画の頻度は減少していきました。

かの有名なHARDCORE PRIDEへのnaiad出演は2004年の11月でしたが、今思えばこれが当時隆盛を極めたといえる京都ハードコアで言えば、最後にして最も象徴的なシーンだったかもしれません(翌日にはCRANKも出演、両日とも京都バンドがトップバッターというのは主催のKO-JI03氏の意向もあったそうです)。

そのシーンを先導していたnaiadも05年途中頃を境に音楽性をシフトし、isleaへの変遷期を迎え、それまで属していたここで言うところのハードコアとは一線を画した企画への出演が増えていきました。足並みを揃えるように、今まで語ってきた京都ハードコアは少しずつ分裂の兆しを見せていくことになります。それは正直ここでは言えないような理由もありました。

僕が今やっているBURNING SIGNは2006年に結成しましたが、その頃には数年前と比べるとお客さんの人数も目に見えて減少し、段々とライブハウスのスケジュールを見てもハードコアのライブが珍しく映るほどの状況になっていきます。もちろんWARHEADKiMといった大先輩(と言うのも少しおこがましいですが)のベテラン勢がずっと元気であったり、もっと近しいところではBALL BUSTERSなどは結成当初からハイセンスかつ良い意味でマイペースに活動を続けていましたし、少し後にはGUSANOSのようなグレイトなバンドも出現しましたが、今回語ってきたような文脈のド真ん中の部分は、徐々に昔話のように語られるばかりになっていきます。BURNING SIGNに関しては結成当初から、いやむしろする前から(苦笑)ありがたいことに大小問わず様々なライブにお誘いを受けましたが(初ライブがいきなりBANEの来日京都だったり)、それは単純にバンド数の減少も大きな理由の一つだったと思っています。

皆が段々とバラバラになっていく中で一抹の寂しさを感じつつも、自分のバンドはライブのペースを引き続きそこまで落とさず、アルバムのリリースがあったり、様々な企画を打ったり携わったりとしてきましたが(今となっては奇跡みたいなもんですが京都大作戦にも出ましたね)、どこか胸の真ん中にポカンと穴が開いたような状況が続いていました。間もなくして、先述していたような学生の街/現実の波というのも少しずつ自分のバンドに襲ってくることになります。

しかしながら、2005年からおよそ年に一度のペースで開催されていた、この今回のイベントでもあるkiwamu is burning(以下KIB)だけは皆の気持ちが一つになる、そんな不思議な力を秘めていたイベントだったように思います。北から南まで、キワムさんやLOSにゆかりのあるバンドがその日のために集まり(僕の少し前のinstagram参照)、そして当時の京都ハードコアに関係する皆も新旧問わずに集まり、酒を交わし、暴れ楽しむ。回を重ねるごとに最初の頃のような感傷的な空気感は少しずつ薄れてきたように思いましたが、それでもほぼ毎年のように皆が大切な節目の1日として、そしてまたそれ以上に、純粋に大好きなハードコアを確認する日として、これ以上ないぐらいに機能していました。

ところが2011年、もはや聖地と言っても過言ではなかったウーピーズの突然の閉店、そしてLOSの活動休止も伴い、この年を最後に一旦止まってしまいます。そしてこれは不甲斐ない話ですが、2011年~2014年頃は自分のバンドもメンバーチェンジなどもあってあまりライブが出来ておらず、そんな時期に長きに渡って活動を続けたNORDEも2011年に凍結。NTBLSは2012年にボーカルのTAF脱退などという大きなトピックもあり、その他のバンドの状況も含めて、ある意味では冬の時代と言えるような時間が流れていくことになります。

しかし前回2014年、LOSスワさんがキワムさん没後10年という節目を踏まえてグローリーで約3年ぶりにKIBを開催。これが本当に本当に忘れられない1日になりました。あの日あの時にいたなら、きっと同様の感想を持つ人は多いと思います。縦横の世代の繋がり、みんなの笑顔、モッシュ・ダイブ・シンガロング、そして血が出るようなバイオレンスまで(喧嘩じゃないですよ)。久々というのも高まる原因だったのかもしれませんが、何から何まで理想的な、自分たちが大好きなハードコアのライブがそこにありました。

画像2

そしてこの日、元々のクレジットはなかったものの、LOSは当日に急遽出演が決定。しかしそこで発表されたのはギター703さんと、ドラムのシュンキ君の脱退でした。勘の良い人は薄々気付いていたことでもあったのですが、少し前に聞いていた自分も色々と感極まって感情がエラいことになってしまったりしつつ(みんな泣き過ぎてましたね)、とにもかくにもLOSはスワさんとベースのアリガヤさんの2人になってしまいました。

スワさんに関してはLOSが少しずつスローペースになってきた頃からでしたが、ライブにもあまり顔を出さなく(出せなく)なってしまい、仕事・家庭・息子・銭湯・ラーメン、たまにバンドのマーチ。傍目から見ていても、正直キワムさんが亡くなったショックは計り知れないものがあって、でもそこに歳を重ねていくに連れて仕事や家庭の現実がどんどん重くのしかかっていき、、、あれだけ明るいポジなバンドのスタイルやアティテュードは、とても繊細な彼の心を反射的に映す鏡のようだったんだと理解できる部分があって、でもそんな彼を見ているのは凄く辛かったです。

ただ前回のKIBで密かに水面下で動いていたことがあって、それはもしLOSがやっぱり当日やらなかったら、という前提で進めていたことだったのですが(こちらのリンク参照)、これが今回のスワさんの新しいバンド、NODAYSOFF(Vo.スワさん、Gt.神戸さんCRANK、Gt.シュンスケBURNING SIGN、Ba.チューベDESERVE、Dr.自分)に繋がるキッカケとなります。

バンドから少し離れてしまった生活を送るスワさんを傍目に見つつ、前回のKIBの余韻がなかなか抜けなかった自分は現NODAYSOFFのメンバーにこれまた密かに相談します。それは勝手に曲を作って渡して、そして強引に歌わせて新しいバンドをさせようというものでした。

2014年の暮れ、京都ハードコアでは恒例の忘年会でもあるCRANK神戸さん主催の神戸会の場でそれを初めて告げます。その場でハッキリした答えはもらえませんでしたが、聴かせた曲をダサいと罵られつつ(笑)もっとカッコ良い曲作ってこいとだけ言われ、みんな他のバンドや生活に追われながら、あーだこーだと言っているうちに1年が経っていき、その中で今回曲数は少ないですが何とか1/9に間に合わせることが出来ました。昨年春先にあったLOSドラムのシュンキくんの結婚式でスワさんが再会した人たちも、今回のバンド結成に関して後押ししてくれたそうです。

上記は昨年7月にENDZWECKの演奏でスワさんが飛び入り参加し、LAST ONE STANDINGのOLDSKOOL PRIDEをやった時の映像です。

もちろん贔屓目かもしれないし、愛が過ぎるかもしれないけど、やっぱりヒーローはいつになってもヒーローで、カリスマだ。それがただ自分にとっての身近なヒーローだったとしても、やっぱりカッコ良い姿をずっと見ていたい。何よりこの人にはやっぱりステージが似合うし、ステージに戻ってきてほしかった。もうすぐ、夢が叶う。とても小さな一歩かもしれませんが、またこれで止まりかけていた京都ハードコアの時計が動き出すのだと思っています。

常に過去の話や亡霊のような偉大なバンドたちと対峙せざるをえない、しかしそれらが何故か後押ししてくれるような、この街はつくづく本当に不思議な街なんだと思います。ただの特別視、ではなく何か見えざるものがドラマティックにまとわりついてくるような。巡りめぐって、京都や滋賀にもF.PBRING ME BACKといった新しい芽も続々と現れ始めました。話を聞けば、もはや歳は一回り以上も下なものの、naiadやLOSなど当時のバンドを聴き、憧れているとのこと。

そこに意志をもった人物が現れれば、物語はきっと続いていくんだと強く信じています。

話は少し逸れますが、昨年末の例の神戸会にはnaiadのセイヤさんが参加してくれました。CRANK、LOS、naiadの3ショットが今になって見られるとは思いませんでした。彼がバンドを復活させるとか、そういったことは今はなかなか考えられませんが、元気にしてましたよと、取り急ぎご報告まで。

最後に、今回の手記その1の冒頭にも載せていた、LOSの「WWW.ROGER.com」という曲の歌詞の和訳を載せて終えます。長々と書いてきましたが、結局この歌詞に全てが詰まっているのかも、です。今週末2016/1/9、必ずや凄い日になると確信しています。ぜひ京都ガタカへお越しください。


『WWW.ROGER.com』

見ず知らずの人がライブに集まる。

家で孤独を感じる人もここへ来れば、暖かく感じられるだろう。

意味の無い暴力はあってはならないし、そんな奴の自己利潤の為の場所ではなく

本当に楽しみたいKIDSの集まる場所なんだ。

一緒に歌う事の楽しさや1つになるすばらしさを感じてほしい。

だからLIVEにきて最高の笑顔で楽しもうよ。

酒飲んで、踊って、フィンガーポイント。これ最高。

楽しみたいけど恥ずかしい奴らにはPOSI-MACHINE用意しとくから、

それにのってFINAL YOUTH WEAPONを発射してくれ。

そうすればお前も知らぬ間にモッシュしてるだろうし。。。

本当に生きる事は難しい。でも、普段の生活の不安や圧力に負けない為、音楽が存在する。

嫌な事から目を背けてはならないけど、LIVEにくればリフレッシュできるよ。

楽しい時間をみんなで創り、分かち合おう。

何歳になっても来たくなる様な、そして、忘れる事なく胸に刻んでおける一時を創ろう。

LIVEこそが俺たちの心の表れなんだから。


『kiwamu is burning 2016』

2016/1/9(sat)@KyotoGATTACA

FIGHT IT OUT

SOUL DISCHARGE

FACECARZ

ONE LINE

EX-C

she luv it

NOTⅡBELIKESOMEONE

BURNING SIGN

NODAYSOFF(LOS suwa's new band)

…and more

DJ's

中卒MAXX(B SIDE APPROACH)

umkw(man against man, north man nose)

malta

OPEN/14:00 START/14:30

ADV/2000yen DOOR/2500yen


追伸1:LAST ONE STANDINGは滋賀のバンドだという指摘がありましたが、前回も書いた通り、元々の拠点は滋賀です。しかし総称として、今回は京都ハードコアの括りで書かせてもらいました。ある種の記号的なものとしての括り、として捉えてもらえれば幸いです。

追伸2:当時、キワムさんが亡くなられた年の夏に、ENDZWECK宇宙さんが主催する形で、当時キワムさんが住んでいた東京でも追悼企画が行われています。その際に配られた岡山ドロちゃん作成のZINEの書き起こしがこちらのリンク先に。作品を読む⇒次へ、のステップでお楽しみください。

長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。

2016.01.05

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?