見出し画像

それでも、あえて日常を生きること。

 京都にある著名なアニメ製作会社「京都アニメーション」が放火され、多数の死傷者が出たとの報せがインターネット上を駆け巡り、いまや世界規模の大きな動揺にまで拡大している。

 マスコミ各社からの速報が次々と寄せられ、日本のみならず、世界中から哀悼の声が集まっている。7月18日の日中におけるツイッターのトレンドは「京アニ」関連のキーワードで埋め尽くされ、その衝撃の大きさを物語っている。

+++++

 いつもと変わらぬ日常の穏やかな時間を打ち崩すような、なにか大きな出来事が生じたとき、私たちはそれに対して「反応」せずにはいられなくなる。それは人としてごく自然なことだ。

 「どうしてこんなひどいことを」「〇〇さんは無事だろうか」「犯人は許せない」「これは戦後最悪の放火事件だ」「テロだ」「無敵の人がやった」「ロスジェネ問題が背景にある」「元関係者の怨恨だ」「日本の文化どころか、世界の文化的損失だ」「安全対策はどうなっていたのか」「製作中の作品はどうなるのか」――ツイッターのタイムラインは、事件の衝撃により反応せずにはいられなくなった人びとの不安や悲しみが怒涛のようにあふれ、とどまる様子がない。

 だが、こういう状況のとき、なにを語るか、どのように反応するかよりも、あえてなにも言わずに、ただ日常の一切をやっていくということの方が大切なように思う。私たちが実際にできることは、ただ祈り、ただ願い、そしてただ耐えていくことくらいだからだ。

+++++

 たとえ自分や自分の暮らしとは直接的に関係がない、遠い街で起きた不幸なできごとであったとしても、写真や動画あるいは文字情報として受信することにはかなり大きな精神的負荷がかかるものだ。私たちが「衝撃」に対して、バランス感覚やメンタルの安定性を保ちながらそれらを適切に受容し、処理し、そして反応できる許容量には限界があり、しかもその容量はたいていの人はそれほど大きくない。

 報道各社から次々と伝えられる速報、それに対するオーディエンスのリアクション、悲しみの声、犯人への怒り、事件の背景を推測する声、真偽不明の未確認情報、果ては陰謀説やデマまで――インターネット上にとめどなくあふれ出す「情報や感情の洪水」のすべてを私たちは穏やかなままで受け止めきることなどできない。

 これからしばらくはネガティブな情報や感情の流れが止まらないだろう。いかに強靭な人であったとしてもやがては情報と感情の波におぼれてしまい、不安をつのらせて不確実な情報を拡散してしまったり、激しい憎悪をたぎらせて攻撃的で刺々しいことばを書き連ねてしまったりする。

 それどころか、その負の感情や不安を説明してくれるような「わかりやすい物語」に呑み込まれてしまい、今度は自分自身が「情報や感情の洪水」を垂れ流す側になってしまいかねない。そうなってしまっても、だれも得はしないし、だれかが幸せになれるわけではない。

+++++

 続報が気になるのはやまやまだ。凄惨な光景を目の当たりにしたことで鬱積した負の感情を吐き出すために、なにかを言わずにはいられなくなるのもわかる。だがあえて、なにも言わず、日常を生きていく。SNSから離れ、ニュースからも離れ、人びとの声からも離れ、自分の心身の健康と安定を大事にしてほしい。

 やるせないかぎりだが、いまの私たちにできることは少ない。たとえ情報や感情のリレーによって大きなうねりが起こったとしても、すでに起きてしまったこの不幸な出来事の結末を変えることはできない。

 自分とは直接的にかかわりがないにしても、どこか遠くで大勢が犠牲になった凄惨な出来事が起きたとき、それに対してなにも反応しないのは薄情なふるまいであるかのように思われるかもしれない(実際、無反応な他人に対してそのような非難を浴びせるような心無い人もいる)。だが決してそうではない。

 「こんな時にこそ、あえて日常をやっていく」ことは不謹慎でも薄情でもなんでもない。広がっていく動揺の中にあっても、表面的にはなにも語らず、なにも反応せず、自分の心身の健康を考えつつ、ただ日々の一切をこれまでどおりに生きていく人がいなければならない。それは単に自分自身のメリットとなるからではない。かけがえのないものの喪失感によって落ち込んでいく社会がこれ以上沈んでいくのを微力ではあるが防ぐ役割を果たしていくことにもなるからだ。混乱と負の感情の波が過ぎ去った後でなら、また別にやれることが見つかるかもしれない。

 この事件で傷を負った被害者、関係者、ファンの心中は察するに余りある。私たちはそうした人びとに心をそばに寄せつつも、しかしただ日常をやっていくしかない。

 あえて黙して語らず、情報と感情に呑み込まれないように努め、しかしひとりでも多くの人の無事を祈り、被害に遭われた方が現在は少しでも快方であることを願い、そして日常を痛みとともに過ごし、これに耐えること――それはひとつの善意の形であるし、私たちがいまなすべきこと、やれる精いっぱいのことだろう。

 まずは、どうか自分のことを大事にしてあげてほしい。

続きをみるには

残り 0字
月額購読マガジンです。日記やコラムがほぼ毎日のペースで更新されます。さらに月ごとに特典をたくさんご用意しております。

月額購読マガジンです。コラムが定期更新されます。その他に、「白饅頭note(本編・毎月2回更新・単品購入の場合1本300円)」の2018年…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?