白饅頭日誌:12月14日「静止画ダウンロード違法化からみる『支配者の論理』」

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 このほど文化庁が検討している「静止画ダウンロード違法化」については、ネットでは反対の声が根強い。

 たしかに無茶苦茶に見えるルールだ。

 インターネットでは「道徳に訴えかけているだけ」「ネットの素人が思いつきで考えたもの」「現実に即していない」「表現の幅を狭める」など様々な批判・反対意見がさっそく噴出している。そのどれも一理あるだろう。一方で今回のルールについて「社会を統治する側」の立場で考えると、また少し違った様相が見えてくるようにも思う。

 国でも自治体でも、あるいは会社や学校でもそうだが、ある共同体を治めるときには(法律や条例や社則など名称はさまざまではあるが)ルールをつくるものだ。そのルールについて「ルールがあったからといって、常識的な生活を営んでおけばそんなルールを違反するかどうかなど気にせず生活できるものだ」と多くの人は考えている。しかし実際はそうではない。

 共同体におけるルールとは往々にして「普通に生活していたら、ほとんどすべての人が大なり小なり破らないといけないが、普段はそれをとりわけとがめられることはない」という設計にするインセンティブを持っている。常識的な生活を送っていても、毎日ひとつやふたつの「ルール違反」が発生してしまうが、しかしそれによってなんらペナルティを受けない状態であるということは、逆にいえばペナルティを付与する側の人間がその気になれば特定の人を「お咎めなし」の状態から「アウト」にいつでも変えられるものだ。

 「ペナルティを付与する側の人間」というのはつまり統治者・権力者のことで、国や自治体の単位で考えれば、政府や警察などがこれにあたる。典型的なものは道路交通法だろう。車道を見ればすぐにわかるが、自動車の制限速度をいついかなるときも守っている人はほとんどいない。また、自転車で「片手運転」をすることも道路交通法違反にあたり、3か月以下の懲役または5万円以下の罰金が定められていることは、ほとんどの人が知らないだろう。

 とはいえ、そんなことを事細かに守っていたら暮らしがたちゆかなくなる。私たちはありとあらゆるルールを守って生活しているだろうか。真夜中の車も人も通らない横断歩道の信号が赤なら、そのまま横断してしまったことはないだろうか。制限速度を厳密に守る人が増えたら、東京などはたちまち大渋滞になるだろうし、自転車の運転中に鼻がかゆくなったとして、いちいち停車をしてから鼻をかいたりするなど至極バカげた話だろう。しかし重要なのは「だれもこんなこと厳密には守れはしない」ルールこそが、支配者側にとってはとても都合がよいルールであるということだ。

 「だれもこんなこと厳密には守れはしないルール」とはつまり、だれもが「潜在的な違反者」となるルールだ。こうしたルールのもとで、支配者・統治者側は特定の人間をお目こぼしし、特定の人間には制裁を加えることができる――こうした「恣意性」こそが統治者や支配者に圧倒的な権力を与える。

 ルールとは「このルールをみんなで守って平和な社会をつくろう」ではなくて「だれがルール違反者かを私が決定できる」ことにこそ意味があるものだ。かりに統治者や支配者に歯向かおうなどと考える人が現れれたとしても(そのような企てを考えた時点で、支配者側は相手を「潜在的な違反者」から「違反者」に変えてしまえばそれで抹殺できるため)容易に排除できる。

 それに、権力を持つ側の人間は、違反者認定されたくない「潜在的な違反者」たちからさまざまな便宜を図ってもらえる。パチンコ業界に警察官僚のOBが取締役に就任(天下り)したりするのも同じ理屈だ。「三店方式」など正直なところ小学生レベルの屁理屈にしか思えないものだが「お目こぼし」をもらうことで「違反者」にはならないで済む。

 「だれもが潜在的な違反者となる」ルールをつくることが、支配者側にとっては好都合である――という観点から、静止画ダウンロード違法化を考えると、このルールを提唱した人びとは、少なくともインターネットや創作文化に対する理解は持ちあわせていないかもしれないが、しかし同時にたんなる「ネット初心者」ではなさそうにも見えてくる。

 インターネットが一部のオタクたちの趣味領域だったものから、生活道路のように多くの人びとにとって不可欠なインフラになったからこそ「だれがルール違反者かを私が決定できる」仕組みをつくることが、支配権と権力を高めるために有効だと考えたようにも思える。「無能で十分説明されることに悪意を見出すな」――と「ハンロンの剃刀」ではいわれるが「(だれも守れっこない)バカげたルール」が社会に登場したときは、それは単なる無能や無知によって生じたのではないかもしれない。

 私たちがもっとも注意し、かつ反対を述べていくべきは「静止画ダウンロード違法化」はもちろんのこと、だれもが違反者になりうるがゆえに違反の決定者に絶大な権力を付与する論理である。こうした論理は、傾向的にはときの政府が保守系であるほどに多く現れることになる。

 この国では、なにかをつくることよりも、一度できてしまったことをあとから変えることの方がよほど難しい。

(https://twitter.com/UL14_MITINOKU/status/1072089694052052994より)

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白饅頭

コメント4件

逆に、”ヘイトスピーチ規正法”に罰則がないのは、これを表現の自由を侵害する法律として違憲審査してもらう道を封ずるための”一見寛大な措置”だと言えます。
「三点方式ならば摘発されない」と考えた雀荘経営者が三点方式を適用したけれども摘発された事件がありましたね。
「三点方式だから」ではなく「権力者が奥にいるから」だとわからなかった経営者を素直とみるかアホと見るかですが……。(権力者にとっては素直に法律を信じてくれてたほうがいいですよね)
ルールを定めた人間すら遵守困難であろう法令・規定に薄々感じていたモヤモヤがスッキリ。コンプライアンス(服従)求める側が服従させたいのは規定か己自身か。
いわゆる「別件逮捕法」が必要な背景の一つに、実情の変化が速過ぎて立法が追い付かないという重大な問題があり、解釈改正してまでやりくりしないといけない事情があるかと思います。
これまでの国家の仕組みが想定していない事態に屋上屋を重ねるやり方となってしまっている以上、砂上の楼閣として崩れるしかない。
現状が「万人の万人に対する闘争」状態の手前に来ている、こんな状況をTwitter社のような私企業の約款やガイドラインで縛れるわけがない。
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