4月1日の日記(10) -2019年

世間はエイプリルフールだけど、嘘をつくために嘘を考える、っていうのは実は「普通の嘘」とは少し違っているらしい。

クリエイティブな思考や演技力みたいなものが要求されると思うじゃん?
ところが、自己を取り繕うための「普通の嘘」の方が実はクリエイティビティが要求されるのが最近わかってきてる。

それじゃ、「嘘をつくための嘘」に要求されるのがなにかっていうと、脳科学の分野では「愛情」を司る領域が活性化しているらしいんだな。

この部分ってのは共感性や庇護欲、弱い者を可愛いと思うのと同じ情動なんだけど、つまり相手へのそういった気持ちこそが「嘘をつくための嘘」には必要と。

この辺、小説を書くなんていう場合も「嘘をつくための嘘」を考えているわけで、実はそういう気持ちの方が必要になるとかいうね。
ただ、これって相手を見下す気持ちと表裏一体でもあって、この辺SM的というか、ある種倒錯的でもあるのが面白い。

まぁこの話全部嘘なんですけども。

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