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楽しい教からの脱脚。やりたく無いこと(have to)をやめる=100%楽しいこと(want)しかやらない!なのか?

こんにちは。terico.です。
先日、でっかいハンマー持ったやからに心の中をボッコボコに叩き割られてひっどい目にあったお話を書きました。で、そのなかで「今やってる活動は楽しいこと100%ではない」とも書きました。

https://note.mu/terry_b/n/n9e28ee990342

そしたらですね、とある方から、
「terico.さんが100%楽しく活動していなかったなんて、ショックです」
というメッセージをいただきました。

そのメッセージを読んで……私もショックでした。いつの間に私は、楽しい100%で生きてる人間だと思われてたんだ!?と。
昔は本当に短気で、いつも何かを誰かにやらされてる気持ちになっていたし、今思えば全然合ってない会社員生活を10年以上も自分に強いていて、それに比べればそれはそれは自由になったんですけども。だからと言って嫌なことがないわけでもないし、頑張らないわけでもないし、やりたくない事を全て回避しているわけでもないし……人間なので、日々嫌なことそれなりにあります。

心理のことを学びたい。カウンセリングを受けたい。という人は、往々にして今の状態になにかしらの息苦しさを感じています。そのため、自由に生きている人や、自分らしさを活かせている人にとても魅力を感じます。だから私のところに飛び込んでくれるわけなので、それは全く構いません。

ただ、何かを学べば、何かを変えれば、楽しいことだけやっていられる人生になるかというと、当然ながらそれはかなり違います。

確かに私は過去に書いたブログやメルマガで、
「have to(〜ねば、〜べき)を減らしてwant(〜したい)を増やしましょう!」
と、口を酸っぱくして言い続けてきました。それは今でも変わりません。けれど、楽しい100%で生きましょう!とは一度も言っていないはずなのです。

Wantを増やさねば…!←こうなってる時点で、それはもうhave toだと気付いてください。


ちなみに、もう今は下火ではありますが、楽しいことだけしよう!いい気分ですごそう!という自己啓発がとても流行った時期がありました。それ自体は良いことだと思います。でもね、それって、考え方や物事の見方のいち手段でしかないんですよ。使い方に注意が必要。

心理学や脳科学を知る人たちが、一般の人にも分かりやすいように、ものすごく細かく噛み砕いた一部分を紹介してくれているに過ぎないんです。だから、受け取る側も合う部分は取り入れて、合わない部分は切り捨てる判断力がいるんです。

なのに、それさえ忠実に実行すれば救われるような気がして、必死で言われたことを守ることに注力してしまうと、それはもはや自己啓発ではなく、宗教です。

もちろん、宗教が悪いと言いたいわけではないです。

発信している側はエッセンスを紹介しているに過ぎないのに、それを盲目的に信じて、使う側が宗教的にしてしまうと、歪みが生じますよ。ということ。

宗教と自己啓発の一番大きな違いは、正解がどこにあるかという点だと思います。
宗教の正解は、創始者であったり、神であったりします。
対して、自己啓発の正解は、あくまでも自分の中にあるはずです。

本来ならば自分の中に正解はあるはずなのに、何かが正解だと思って信じた場合、きっと長く続けていくうちに、自分が信じてきたものには正解がないことに気付くでしょう。その時は、今まで信じてきたものはなんだったのか?と、宙に投げ出されたようになってしまうかもしれません。


また、この【楽しい教】に入ってしまうことで、大量に発生したなと感じるのが
【行動できない人たち】です。
どこからか言われたことを取り違えて「楽しい100%のことしかやらない!」となってしまうと、じゃあ初めてやることはどうなんだ?と。全く初めての経験は、やってみないと分からないですよね?100%かどうか分かるはずがないんですよ。

だから、本当にやりたいことなのかどうか(100%かどうか)分からないから、そもそも手をつけられない…という、行動できない人が大量発生してしまった…。
良かれと思って発信したことが、受け取りかたによっては逆効果になってしまう。心理に限らずどんな業界でも起こることではありますが、この業界に限っては、その発生率が異常に高かったなと感じます。


脱線しましたが、まとめますね。
やりたくない(have to)ことをやめていく=楽しい100%の行動しかしない!では無いです。
例えば富士山に登りたかったら、登山しますよね?登山は息が切れて辛いからやらない!って言ってたら、いつまでもご来光見られないんですよ。(ヘリをチャーターするのもありかもだけど、そこに固執するのはこれまた……割愛!)

本当にやりたいことのために途中経過を耐えることは、楽しい100%では無かったとしても、自分が望んでやることなので、have toではなくwantなはずなんですよね。

だから、私は楽しい100%の活動をしてませんが、そんな自分を全く責めてませんし、それでいいと思っています。自分が納得してやりたくてやっている(つまり自己効力感を感じられている)わけなので、そのことに対してとやかく言われる筋合いはありません。それこそが、自分軸をきちんと保っている証拠ではないのかなぁ?

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