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機械翻訳を毛嫌いしてるわけではない

京都で開催されたJTF翻訳祭であった機械翻訳ネタのセッション資料を読んでいると、個人翻訳者が感情的に機械翻訳を毛嫌いしていると、勘違いしていると思われるものがあった。翻訳者が機械翻訳により仕事を奪われると思い、機械翻訳を嫌っているとでも言いたげである。

このコメントを堂々と表に出して話されたことが、機械翻訳を下訳に使用することへ積極的な人々の、翻訳に対する理解の欠如を表しているように思う。

感情論で機械翻訳を嫌だと言っている翻訳者は、少なくとも私の周りにはひとりもいない。仮にいるとすれば、翻訳による思考プロセスをまだ理解していないような翻訳者と呼べない初学者や初心者の可能性しか思いつかない。

機械翻訳の出力を修正するポストエディットという作業に似たものは、以前から、人間が翻訳した訳文を修正する作業として存在している。私は仕事として毎日、そういった作業を繰り返しやってきた経験を持つが、この作業の中で人間の頭の中はどうなっていくか、それは同様の作業を経験された翻訳者であれば、きっと理解できるだろうと思う。

修正する訳文は、当然いろいろな問題を抱えている文章なので、どんなに注意をしていても、その文書の質に頭が慣らされていくことになり、自分の言語感覚がおかしくなってくる。これはやったことのある人なら実感的に分かっていただけると思う。翻訳学習のひとつに、良質な文章をたくさん読むことがあるが、この修正作業は、まさしくその逆を行っているのと同じこと。また、作業自体が原文と訳文の双方を理解し、解釈し、訳文を合せ込むという、新規に翻訳するより工数の掛かる作業である場合が多い。よって、他人の翻訳の修正作業は「やらない」という翻訳者が多く存在している。私もやりたくない1人である。

機械翻訳の出力をポストエディットするというのは、これとまったく同じことであり、加えて、人間とは質の違う脈絡のない文章を相手にすることになる。つまり、人間翻訳の修正作業よりも、言語感覚と翻訳能力を劣化させ、修正工数もさらに掛かると推測されるので「やらない」「やりたくない」と言っているだけなのである。

翻訳者からポストエディターへの転身を煽っている資料もあったが、そんな流れができてしまうと、ちゃんと翻訳できる翻訳者がどんどんと少なくなっていくだろう。そして、それはポストエディットの質もどんどんと低下していくことを意味している。近視眼的発想でそんな方向へ突き進めば、業界潰しになるのではないかと懸念する。結局、自分で自分の首を絞めるだけだと思う。

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