マリア

マリアはそとから微笑む

ぼくには数年来の疑問があります。

活躍している人たちの中で

男性はどんなに成功していてもどこか寂しさをかかえ

女性は決して少なくない問題を抱えていたとしても溌剌と輝いている。

なぜか?

それはぼくが男性だからそう思うのだとか

ぼく自身の何かしらの投影がそんな見方をさせているんだとか

いわれたりもしました。

それはそのとおりなのでしょう。

ですがここでは

ぼくのこの印象がそうだと仮定したうえで

ぼくの最近の考えを述べてみたいと思うのです。

ところで

みなさんは「税金」をどのようなものとして捉えていますか?

ぼくは、嫌な気持ちを発生させて民からそれを搾り取る装置だと思っています。

ある女性実業家の発信に

「私はできるだけたくさん税金を払う工夫をしている」

というのを見つけました。

衝撃でした。

おそらく深い意味や理由はないんだと思います。

「なんか国、困ってるみたいじゃん?だったら助けてあげるよ!」

ってかんじなのです。

とても軽くて明るい。

男性的思考なら

最低限の安全が保障されている場を提供してくれている、その代金

と考えるのが精一杯。

国が自分に何を提供してくれるのかなんてことは

おそらく頭にありません。

それを超えてしまっている。

物欲しそうな顔をしてこちらをみている子どもに

「アメちゃん食べる?」

と声をかけるようなノリです。

それはきっと

理屈を超えて溢れでるものなのです。

どんなに醜悪な存在も

どんなに素晴らしい存在も

女性というものをとおして産まれてきた。

だから

真の女性性からすれば

どんなものでも等しく愛おしいのです。

マリアは

トリニティを超えたところに在ります

父に対しても子に対しても精霊に対しても

等しく慈しみと感謝をむける存在を

マリア(真の女性性)といいます。

女性性的発想は

二極を、問題を超えたところからやってきます。

比較対象がないくらいデカイのです。

そのデカイのをどうにかして行動に移すのが

男性性の役割なのですが

長くなったので

続きは次回。

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