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高僧から仙人へ

日蔵が東寺で東密を学ぶものの再び金峰山で苦行に明け暮れたように密教と道教を行き来するケースもありました。

特に空海が没してほどない800年代中頃の時点で僧侶の権力による堕落が深刻となっており、一部の良識ある僧には耐え難い状態になっていたことも、山林に籠る要因になっていたのでしょう。

869年に能登で生まれた陽勝もそのような背景の中を過ごした僧侶でした。
11歳で比叡山に出家し、空日律師に学びました。
まさに秀才で法華経を学べば暗誦でき、瞑想の止観についてもすぐに習熟しました。

慈悲に関してもすごく、持っているものは貧しい人に与えてしまい、蚊に刺されても血を吸わせてあげました。
そんな人でしたから、そんな社会的状況を嘆いたのでしょう。
吉野の金峰山で修行をし、神仙への道を歩むことにしました。
牟田寺に住み五穀断ちを始めました。

最終的には栗一つで1日を過ごすようになり、厳しい修行を重ねて悟りの境地を追い求めたのです。
そのまま進めば、高僧になること間違いなしだった陽勝は901年に忽然と姿を消したのです。
彼は33歳になっていました。

そう、彼は神仙となることができたのです。

最近の新興宗教の問題といい、見えない世界に極めた人の権威だけで大切なものが削げ落ちてしまったというケースは残念に思います。
しかし、過去にも沢山起こっていました。
きちんと見えない世界を学びたいという方も沢山いることでしょう。
そのような人はぜひ一緒に頑張りましょう。


これからも良い記事を書いていきます。