表現の悪影響に関する御指摘への回答~nowhereman134さんへ

先日、次のnote記事を公開したわ。

こちらに対し、nowhereman氏から次の指摘を受けたわ。

というわけで、今回はこちらに私なりの考えをゆっくり書かせて頂きましょう。

それは因果関係を前提している

まず始めのツイートから。

「懸念する」と言うにせよ、「地続きである」と言うにせよ、彼女らの論からすれば、性的表現(萌え絵)と性犯罪の関係は、因果関係でないと成立しないのよ。

もし彼女らが「性的表現→性犯罪という因果関係はない。」と考えているとしましょう。そうだとしたら、性的表現にクレームをつける意味って一体何になるのかしら?

性的表現→性犯罪という因果関係ではないとしたら、統計学的な関係性のパターンとして考えられるのは次の4つだけよ。

① 性犯罪→性的表現という逆の因果関係
② 何らかの原因A→性的表現および性犯罪 という疑似相関
③ 性犯罪と性的表現の相関関係は、全くの偶然
無相関(見かけ上すら無関係)

このうちいずれであっても、性的表現を非難・批判する理由を失うわ。

まず、①の逆因果の意味だったら、「性犯罪傾向を持つ人が、性的表現を好む」ということよね。じゃ、フェミ議連がいう「性犯罪誘発の懸念」は成立しないわ。
さらに仁藤さんの言う「地続き」は、これ単体なら成立するかもしれないけど、萌え絵の問題点は消失するわ。萌え絵のせいじゃないのに、性犯罪と絡めて萌え絵を非難・批判する理由がやっぱりない。(性犯罪を抜きにして、表現自体の人権問題だ、とかはあるのかもしれないけど、それだと地続きじゃなくて表現にまつわる独立した問題だわ。)

次に、②の何らかの原因A→性的表現および性犯罪という疑似相関ね。
これはちょっとまず疑似相関そのものについて説明しておきましょう。

例えば、水難事故の発生率とアイスクリームの売上の相関関係「因果関係ではないけど相関関係はある」パターンよ。

因果関係ではないのは明らかよね。水難事故のニュースを見ればアイスクリームが食べたくなるわけではないし、アイスクリームを食べたら水難事故に遭いやすくなるわけでもない。どちらも気温の変化が原因よ。

じゃあ、フェミ議連や仁藤さんが、「萌え絵と性犯罪」の関係について、この「水難事故率とアイスクリームの売上」と同じ関係を想定している可能性はあるかしら?

これね、私はさすがに「ない」と思ってるのよ。
「水難事故率とアイスクリームの売上は地続きの問題だ。」とか「アイスクリームに水難事故誘発の懸念がある。」とか言わないと思うのね。だからこの読解もなし。(フェミ議連と仁藤さんを常軌を逸したバ……知的水準の残念な人だと仮定すれば論理的にはありうるんだけど、排除していい可能性だとみなしているわ。この読みはちょっと失礼よ。)

③と④は言うまでもないわね。関係ない。

まとめると、
フェミ議連と仁藤さんの発言は、「性的表現(萌え絵)→性犯罪」という因果関係を前提しないものとして読解することも一応できるけれど、それには4つのパターンしかありえず、いずれも不合理な主張になってしまうため、合理的には「因果関係を前提している」と読むしかない。
(他の4つのパターンだったとしたら、彼女らが萌え絵の非難する理由を相当失う)

これが、私の考えよ!


科学的に証明されたらどうなるか

その次。

既にTwitterではお答えしたけど、別に異論ないわ。
繰り返すと、萌え絵→性犯罪という因果関係が科学的に証明されたら、一定の制限は加えざるを得ないと思うわ。

仮に「萌え絵を見た人の100%が、3日以内に性犯罪を起こす(萌え絵をみなければそうはならず、通常の性犯罪発生率に従う。)」と科学的に分かった場合、萌え絵は拳銃や麻薬以上の危険物ということになるわ。

もちろん、これは思考実験のため特に深刻な害を仮定したから、明らかになった危険度のレベルによって制限も調節されると思うけれど(だから、即座に「吹っ飛ぶ」とは思わないけれど)、いわゆる「明白かつ現在の危険」に抵触するならそれなりの対応をしないといけないでしょう。これは憲法論からも支持されると思うわ。

それほど大きな異論はないし、これは以上よ。


因果関係の証明は統計だけではできない

これは傍論になるけれど、次の御指摘も受けたわ。

これに私は、ランダム化比較試験をやれば(そしてその結果を統計解析すれば)因果関係は言えるんじゃないの、程度に答えたわ。(そして、実際言えると思うわ。)

でも、よくよく考えてみると、nowhereman134さんの話で正しい点もあって、たしかに統計解析だけで変数XとYの因果関係を示すのは無理よ。

例えば、エクセルの表に変数ABCDEFGHI……が並んでいて、それぞれ時系列データが「A: 50,70,75,25,11,7……」「B: 1,3,12, 33, 102, 56, 0.6, 1233……」と入っているとしましょう。超膨大なデータね。

これに何らかの介入αをして、そのたびデータを取り直しても、ある変数と別のある変数の間に因果関係があるかどうかは永遠に分からないでしょうね。

それなのに、なぜ現実世界のデータだと因果関係が分かったことにできるのかというと、「さすがに関係するはずの変数」「いくらなんでも関係しないはずの変数」「統計とは別の現実世界の知識によって」認識して選り分け、かつ因果律的なメカニズムを統計解析に先んじて想定しているからだわ。

例えばタバコと肺がんの関係を調べるにあたって、いちいち冥王星の現在位置を調査対象の変数に含めないのは、統計学的にそれが許されているからではなくて、科学的に「たぶん、関係ない」と判断しているからでしょう。

そして、もっと言えば、「因果関係」って物理学的には存在しないのよね。
「Aが原因で、Bという結果になった。」は、人間が分かりやすく物事を語るための便宜的表現であって、事実ではないのだわ。

これ、私が個人的な思想から適当ぶっこいてるんじゃなくて、物理学者さんがちゃんと言っているのよ。

以下、『一物理学者による決定論・自由意志・クオリア・AIについての論考(谷村省吾, 名古屋大学教授)』からスライド(p.14, p.22)を引用するわね。

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これの詳細を説明するのは、ちょっと私の能力を超えてしまうから、元のPDFを参照してもらうとして、「因果関係がある」とする認定基準は、どこで便宜上の線引きをするかという問題よ。

だから、「タバコ→肺がん」を示す程度の結果を出せば、因果関係は示せることにする(そう線引きをしておこう)と私は考えているわ。
まあ、必要なサンプルサイズとかは変わってくると思うけど、「萌え絵→性犯罪」に関しても、現実的なレベルで因果関係の立証(あるいは棄却)は可能でしょう。

この「便宜上の因果関係」の解明に対して、非常に有用かつ必要不可欠なツールとして「統計学」があるという考えよ。


科学的根拠を求める論に意味はないか?

最後。

これに関しては明白に否。

極めて実際的な問題として、議会でも裁判所でも、あるいは国連の会議においても、規制賛成派も規制反対派も科学的根拠を出して議論しているのよね。

カリフォルニア州が制定した暴力的なビデオ・ゲームの子ども向け販売規
制法をめぐる裁判では、米連邦最高裁が2011年6月、州が規制根拠としたAnderson et al. の研究結果について「あくまで相関関係であり、暴力ゲームが未成年者の攻撃的行動を引き起こすと証明したわけではない」とし、規制法を違憲とした[16]。
[16]米連邦最高裁判決(Opinion of the Court in Brown, Governor of California, et al. v. Entertainment Merchants Association, et al., June 27, 2011)
『性的有害情報に関する実証的研究の系譜』(渡辺, 2012)

今パッとコピペできるやつが米国連邦裁判所の例だったけれど、別に日本の国会議事堂やらに変えても類似した議論はいくらでも見つかるでしょう。「フォーカスしたい人がむちゃくちゃたくさんいる」≒「国民にも議員にも研究者にも国連要職にもたくさんいる」から、科学的議論は避けて通りようがないのよ。

「不毛」という意味をどう取るかによるけれど、規制の合憲性や妥当性を語るのに科学的知見が世界中でも今もフル活用されている以上、私は「不毛」という表現は正しくないと思うわ。

少なくとも上の例は、ものすごく直接的に「科学的根拠」の話が規制の反対に役立っているはずよ。

これで大体お答えできたかしら?

nowhereman134さん、私の記事にコメントをくれてゆっくりありがとう!

まあ対立する以上は、当然ながら釈然としない部分もあったでしょうけど、こちらの考え方は書いた通りよ!

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