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人間関係の礎、愛着形成について思うこと

今日見かけた記事でぜひ書き残しておきたいものがあったのでとりあげます。

東洋経済オンライン
現代人をむしばむ「愛着障害」という死に至る病
体と心を冒す悲劇の正体とは何か?
2019/10/09
岡田 尊司 : 精神科医、作家

この記事内で私の心に特に響いた部分はこちら。

自己肯定感という言葉自体が、その人を否定するために使われているとしたら、そんな言葉はいらない。

という部分です。

どうしても前向きになれない人の背景に“自己肯定感”というものが影響している、ということはだいぶ広まってきているのではないかなーと思いますが、結局のところそれが「だから私(アイツ)はだめなんだ」と切り捨てるものさしになってしまっているというのは本当に嫌な皮肉ですよね。

その皮肉にこんなにも正面から対峙し、否定し、励ましてくれる記事中の力強い言葉に、生きることを肯定してもらえた気分です。

学生時代に愛着障害あるいはアタッチメント障害について習った時にはドキッとしたし、胸にグサッと刺さるものがありました。
『あぁっ…自分コレじゃんか…』

心に何かしらひっかかるものを抱えている人が多い心理学科ではありましたが、そんな学生が集まる中であっても私は、自分が抱えているものや精神的問題に対する心情なんかをほとんど友人に共有することができませんでした。それに、誰かがそれに立ち向かうことをサポートしてくれるかも!と期待してはいけないのだとも無意識に学んでいたのだと思います。

愛着障害が起きる親子関係とは

愛着形成のパターンは安定型と不安定型に分類されています。以下に親が子に対してどんな振る舞いだと影響があるのか簡単にまとめてみました。

安定型:母親が安全基地の役割を果たせている場合。およそ6割。親が子に対して敏感に反応できていて、遊んだり触れ合ったりを親が楽しむことができている。

不安定型:上記のようでない場合。子の働きかけに対して拒否的だったりやたら規制的だったり、気分次第で一貫性のない接し方だったり、母親の抑うつ傾向や子が被虐待児であったりした場合に起きやすい。およそ4割(!)

子育てしづらいという声が頻繁に聞かれる現代では、一体どれだけの親が子と過ごす時間を楽しむことができているのでしょうか…。

私自身を事例とすれば、いわゆる若い2人の授かり婚で金銭的にも不安定、母親が子育てを頼れる人が身近に少ない家庭であったため、母親は精神的に余裕のない状況であったと聞いています。私が言語的にだいぶ発達した物心ついた時点でも、子の話をうんうんと聞いてくれるというタイプではなかったです。

学生時代は親子関係についてかなり葛藤がありましたが、学生が終わり経済的な依存関係が終わったことをきっかけにかなり精神的に分離されたような感覚がありました。母親の希望や評価を気にせずにいこう、文句なら勝手にどうぞ、と考えられるようになったのです。

1.5者間の関係

過去に受けた授業で『親子関係は1.5者の間柄で親の半分は自分自身であるから、親子の関係でクリアにできていない部分があると、軸である自分自身と向き合えていないことになるから、いくら他者、あるいは2~3人のグループ、さらに大きなグループでうまくやろうとしてもうまくいかないものだ』と習った記憶があります。

他者にも感情があることや、自分が何か働きかけをすると相手が反応するという人間関係の基礎的な仕組みを乳児期には学ぶわけですのでいかに愛着形成というものが社会性の基礎になるのかが分かります。

たとえ赤ちゃんの時にうまくいっていなくとも

私たちは生きていかなければなりません。自分がうまくいっていない時、ハッピーでない時、『どうせ私は赤ん坊の時から失敗しているから…どうせもうこのまましけたツラして生きていくしかないから…』と自分で自分に追い討ちかけてる時ってありませんか?(私はしょっちゅうです)

でも、数々の偉大な成果を遺してくれた研究者は私たちにできない理由の言い訳を与えるために尽力したのではないはずです。なぜうまくいかないか、その理由に思い当たったのなら今度はそれへの対抗策や日常をよりよくするヒントに近づくことができるようになっていることになります。

重要なことは、自分は本心ではどうありたいと思っているのかを自覚する=目標になる姿を見つけることではないでしょうか。

私個人的には、血縁以外の他者と安定した関係性を築けることがやはり自信になるだろうし、目標としたいのではないかと思っています。本当に本当に、今の環境では自分のことを隠さずに話せる存在って少ないです。それに同世代と話すこと自体が珍しくなってしまっています。

この環境からパートナーや気の置けない仲間といった自分の居場所を見つけるのはかなり難しそうです。なんなら自分自身を見失いがちというか…

それでも探すしかありません。

たまには目を逸らすこと、自分で自分のカウンセリングをして見失わないようにすること、希望の持てるニュースを探すこと…そんな風にしてやり過ごしていこうかな、と考えています。自分ってどんな人だっけ?何が好き?どんな時が心地いい?とハッピーを共有できる準備も必要なのではないかとも。

辛い状況に陥った時、自分で自分を救えるように、心の支えや励ましになってくれるメッセージをぜひ、いつでも見れるようにしておいてはいかがでしょうか?冒頭のこの記事は、そんな存在の一つになりそうです。

最後まで読んでくれてどうもありがとう。

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