3月11日か・・・

 何も書けないけれど。

 こんにちは。

 現在の私は流亡、いわゆるデラシネ(根無し草)なのですが、その出身地は宮城県石巻市です。十数年前の夏に、死に場所を探すつもりで自転車一台で出てきて、途中で死ぬのは止めて、上野に流れ着いてそこから身を立てて・・・経営者になったり車中泊になったり、様々な活動をしたりして、現在は灰と化した隠者になっていますが、故郷を出る少し前までは、気仙沼から石巻が仕事のエリアでしたし、石巻市周辺には、私の携わった道路や防波堤、水門、橋などが何か所かあります。特に、大川のあたりは大変な思い入れがあり、胸が痛みます。

 そして、被害の大きかった国道45号線沿いは、私が一人で考え事をしたい時の旅のコースでもありました。

 何といいますか、ただでさえ複雑な思いを抱える故郷が、震災でその在り方を大きく変えてしまい、震災後しばらくは帰る気も起きなければ、親戚や友人と話すのも躊躇われました。連絡を取るたびに、知っている誰かが亡くなった、という話ばかりだったからです。

 震災後5年ほどして、やっと石巻市に行き、20年来の親友と再会して、その後沿岸部を一回りしました。思った事といえば、長い長い地震の周期の中で、何もこの自分が生きているタイミングに合わせる事も無かろうに、という、身勝手な思い、それだけです。

 若い頃、ある理由から私はガソリンを入れ放題で、夜中にそのガソリンで田舎のありとあらゆる場所を走り回りました。今思えば、映画「トップガン」の曲「行き場のない旅」のようなものです。停滞した田舎で親の食い物にされつつただ朽ち果てていくのが恐ろしかったのだと思いますが、全てが破壊され、全てが燃え尽きてしまった今となっては、大破壊後の、ある程度健全な再生の営みを感じます。逆に、首都圏でだいぶ消耗し、今後田舎に移住して、ひっそり生きて行こうとしている私は、ある意味長い停滞に入りかけており、全てが逆転してしまったような錯覚すら覚えます。

 果たしてあのまま田舎に居たらどんな人生になっていたのか?

 感傷や後悔に囚われない主義の私が、そう考えてしまうだけのものがあります。

 表に出ていない話も沢山ありますし、私の弟などは仙台市の荒浜で被災して、車で全速力で逃げつつ最後は津波の中を幼稚園にたどり着いて生還したりと、様々な話はあるのですが、それはおいおい、不謹慎でない形で出せる時に書いていこうと思います。

 故郷の復興と、死者の彼岸での冥福を祈りつつ。

 


この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

ありがとうございます。では、また掃除に行って来ようか。

そんなあなたに祝福を!
4

海辺の灰人

体験談2

経験をシェアして被害を最小限に&必要な支援に繋がれば。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。