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何か書きたい でも筆は進まない

アメリカ留学時代、なぜ履修しないといけないのか分からない英文学の授業で、筆が全く進まず、先生に何を書いて良いのか分からないと相談すると

「なんでも良いからとにかく思いつくままに、単語の羅列でも良いから書いてみて」

と言われた。

なぜそんな話を始めたのか。今がまさにそんな心境なのだ。

このnote、非常に使いやすいし、いろいろな方々の名文がそこかしこに溢れている。面白かったり、有益な情報だったり。

そして私も少しでも有益な情報を、少しでも面白い(interestingの方)話をしたいと、このnoteを頑張ってみているのだが、何せ感じるのは自身の文才の無さ。

実は私は小説を読むのが好きだ。過去割と多くの本を読んできたとは思うけれど、残念ながら文才には反映されていないようだ。

そういえば文才の無さに自覚していなかった昔、恥ずかしながら小説を書いてみたことがある。

雨が降り頻る中、停めてある赤いマスタングに向かう主人公。

という場面から始まるハードボイルドな物語を書いてみた。ってまじでダサすぎる。文頭から早くも面白く無い小説の予感。

最終的には結構な大作になったけど、今やその小説が何処に行ったのか分からないのがせめてもの救いである。


往々にして昔やったことや書いたことは、人には見せたく無い、見られたくものが多い。もうパスワードが皆目見当がつかず、削除することができない私の昔の個人のホームページなんて最たるものだ。

当時はむしろ良かれと思って作っていたのだから、自己顕示欲とは恐ろしい。

大体、〇〇's Room的なタイトルの個人のホームページなんて誰が見るんだって話で、アクセスカウンターだとかそんなのを付けて「おぉ、今日は何人の人が来てくれた」などと一喜一憂していたが、大体が自分自身、または家族のアクセスだったりしたが、少ないのがかっこ悪いので見栄を張ってリロードボタンを押しまくったものである。

ちなみに私のページは〇〇's Roomでは無いが、かなり恥ずかしいのでここで公開することは絶対にない。

恥ずかしすぎて削除しようにもパスワードどころかアクセスIDすら分からないので、そのブログやホームページのサーバー会社が潰れて、サービスが終わらない限り、未来永劫に私の駄文は残り続ける。

そう考えると、Web上に何かを残すというのは非常に怖いことだ。

例えばSNSでのコメント。

昨今の話題やいろいろな考えを言いたいのは分かる。

だけどそれを呟くことで、誰かの目に入り、もしかしたら必要のない敵を作ってしまうかもしれない。

それを呟くことで、自身のいろいろなことがバレてしまうかもしれない。

例えば、同じ業界の人の呟きはよく目に入ってくる。

先にも書いたように、非常に有益なものも多いし、参考にさせてもらっているものも多い。

ただ、同時に「??」という内容の驚愕の呟きを目にすることも多い。

だからこそ、私の呟きはしょーもない、誰にとっても無益な情報が多い。だって怖いもん。「あー、この人こんなこと言ってる…。」ってなるの。

そう考えると、バンバン有益な情報発信できる人はすごいな。


って取り止めもなく書いてみたけど、英文学の先生の言っていたことはあながち間違ってもいなかった。とりあえず書いてみるのも大事だな。

という駄文をまた残してしまった。

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