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ツエーゲン金沢と「もうひとつの石川のクラブ」〜フットボールの白地図【第25回】石川県

<石川県>
・総面積
 約4186平方km
・総人口 約113万人
・都道府県庁所在地 金沢市
・隣接する都道府県 福井県、岐阜県、富山県、
・主なサッカークラブ ツエーゲン金沢、テイヘンズFC
・主な出身サッカー選手 北一真、豊田陽平、作田裕次、鈴木大輔

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「47都道府県のフットボールのある風景」の写真集(タイトル未定)のエスキース版として始まった当プロジェクト。前回は国体のレガシーによって、人口10万人にも満たない街にJリーグが開催されている、山形県を取り上げた。今回は、日本海側つながりで、石川県にフォーカスする。この県を本拠地としているのは、現在J2に所属しているツエーゲン金沢だ。

 南北に約200キロ、海岸線の総延長は約580キロに及ぶ石川県は、面積のほとんどを能登半島で占められている。しかしながら、この県のフットボールは、半島の付け根にある金沢市で、ほぼ完結していると言っても過言ではない。私自身、ツエーゲンについては何度も取材しているが、北信越リーグ時代に訪れた津幡町を除けば、基本的に金沢市内を出たことがない。

 そんな金沢は、私にとって思い出深い地でもある。東京藝術大学に在学中、国公立系芸術大学によるスポーツと芸術文化の交流を目的とした四芸祭(現五芸祭)で、金沢美術工芸大学をたびたび訪れていたからだ。とはいえ(京都でも感じたことだが)金沢の本当の魅力を実感するようになったのは、ある程度年齢を重ねてから。そう、金沢はまぎれもなく「大人の街」なのである。

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 学生時代、金沢への旅は「急行能登」の一択。昭和の時代らしい夜行電車で、学友たちと車中で酒盛りをしたのも、よき思い出である。2015年の北陸新幹線の開通により、東京から金沢まで最速2時間半で到達できるようになった。金沢駅前の風景も激変。そんな中、往時からまったく変わらないのが、金沢駅西口に佇む郵太郎(ゆうたろう)である。1954年に駅ナカのポストに設置された陶器製の人形で、金沢駅の時代の移ろいを60年以上にわたって見つめ続けてきた。

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 金沢で観光するなら、岡山市の後楽園、水戸市の偕楽園と並ぶ「日本三名園」のひつ、兼六園をスルーするわけにはいくまい。兼六園といえば、まず思い浮かぶのが、雪の日の徽軫灯籠(ことじとうろう)。とはいえ個人的には、春の兼六園もお勧めだ。ちょうど花見の時期に訪れた時には、地面に散った桜の花びらがやたらと美しく感じられたからだ。ちなみに2009年の『ミシュラン観光ガイド』でも、兼六園は最高評価の3つ星に選ばれている。

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 もうひとつ、金沢のベタベタの観光スポットとして欠かせないのが、武蔵ヶ辻にある「近江町市場」。今年でジャスト300年を迎える、金沢市民の台所だ。狭い小路には約170店舗が並んでいて、地元の魚介だけでなく肉や野菜や果物、さらには製菓や衣類も売っている。日常生活に必要な、ほとんどすべてが購入できるわけだが、お勧めはやはり日本海で獲れた魚介。なんでもない食堂で、やたらネタが大きくて美味しい寿司や海鮮丼を楽しむことができる。

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 さて、ツエーゲン金沢である。その前身は1956年創設の金沢サッカークラブ。半世紀後の2006年に現在の名称となり、将来のJリーグ入りを目指すこととなった。クラブ名の由来は「zwei(2)」と「gehen(進む)」。いずれもドイツ語なのは、この年のワールドカップ開催国がドイツだったことと無縁ではないだろう。ちなみに金沢弁だとツエーゲンは「強いんだ」という意味があるとのこと。いささか無理のある、こうしたダブルミーニングは「時代」と言うほかない。

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「時代」といえば、この頃は「Jを目指す」クラブが群雄割拠する時代。「地獄」とも「無駄に熱い」とも言われていた北信越リーグには、ツエーゲン金沢の他に、松本山雅FC、AC長野パルセイロ、そしてフェルヴォローザ石川・白山FCがしのぎを削っていた。今となっては想像し難いだろうが、石川県では2008年まで「Jを目指す」2クラブによるダービーが行われていたのである。

 写真は08年の4月13日、津幡運動公園陸上競技場で行われた、石川ダービー直前のフェルヴォの選手たち。しかしダービーと呼ぶには、両者の力関係は絶望的な差が開いていた。スコアは10−1、シュート数はツエーゲンが36に対してフェルヴォはわずかに3。フェルヴォは07年の経営危機がきっかけで、この時点では急速に弱体化していた。運営会社は一時的に株式会社となったものの、すぐにNPO法人に戻り、今はFC北陸として北信越リーグ1部を戦っている。

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 その後、ツエーゲン金沢は2010年にJFLに昇格。2014年に創設されたJ3のオリジナルメンバーとなり、14年にJ3優勝して翌年からJ2クラブとなった。最近では、メインマスコットのゲンゾー(バトルモードに変身後はゲンゾイヤー)、そして悪役のヤサガラスなど、他のJクラブには見られない世界観を構築。他サポからも注目される存在となっている。

 トップリーグに到達するには、もう少し時間はかかりそうだが、それでも黎明期を知る身からすれば「幸せなJクラブ」である。しかし、だからこそ「もうひとつの石川のクラブ」について、思いを巡らさずにはいられない。今では2つのJクラブを持つ県も珍しくないので、石川にもその可能性は十分にあったと思う。フェルヴォは「時代」が早すぎた。そしてもうひとつ、本拠地が金沢に近すぎる白山でなければ、また違った展開もあったのではないか。

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 石川県の「サッカーのある風景」で、不可欠なファクターとなっているのが、あの本田圭佑である。サッカーファンには周知のとおり、ガンバ大阪のユースに昇格できなかった彼は、金沢の星陵高校に進学。卒業後に名古屋グランパスでプロとなり、その後のキャリアは皆さんご存じのとおりだ。金沢に強い恩義を感じている本田は、自らの名を冠したサッカー施設を当地に残した。2011年に落成した、小学生のための人工芝の『本田圭佑クライフコート』も、そのひとつである。

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 最後に、石川県の食について。新鮮な魚介に加えて、加賀百万石の時代から続く食文化の歴史を思えば、むしろ不味いものに巡り合う確率のほうが低い土地柄である。そんな中で、最も美味しく、なおかつ美しく感じられたのが「解禁日」に供された加能ガニ。写真は、古株のツエーゲンサポに連れて行ってもらった寿司屋で撮影したものだが、その美しさにまず圧倒された。美しいものは、たいてい美味しい。その真理を再確認した、金沢での一夜であった。

<第26回につづく>

宇都宮徹壱(うつのみや・てついち)
写真家・ノンフィクションライター。
1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年に「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」を追い続ける取材活動を展開中。FIFAワールドカップ取材は98年フランス大会から、全国地域リーグ決勝大会(現地域CL)取材は2005年大会から継続中。
2016年7月より『宇都宮徹壱ウェブマガジン』の配信を開始。
著書多数。『フットボールの犬 欧羅巴1999‐2009』で第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞、『サッカーおくのほそ道 Jリーグを目指すクラブ 目指さないクラブ』でサッカー本大賞2017を受賞。近著『フットボール風土記 Jクラブが「ある土地」と「ない土地」の物語』。


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