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南半球最大の都市にて「日本」を想う〜コパ・アメリカ取材異聞その2〜

 コパ・アメリカの決勝戦のカードは、ブラジル対ペルーに決まった。ファイナル進出はブラジルが12年ぶりでペルーは44年ぶり。両者の顔合わせは、1916年から始まった大会の歴史で今回が初めてである。本稿を書いている時点で優勝の行方はわからないが、良いゲームとなることを心から期待したい。

 私自身は準々決勝で取材現場から離脱したわけだが、記憶が鮮明なうちに旅の記憶をここに記すことにしたい。ブラジル取材の模様についてはこちらにも掲載しているが、このOWL magazineでは最も滞在が長かったサンパウロに限定しながら「旅」の部分をよりクローズアップしてお送りする。

 サンパウロとは、言うまでもなく初期キリスト教の使徒、聖パウロに由来する。英語で言えば「セントポール」、フランス語なら「サンポール」、スペイン語なら「サンパブロ」、ドイツ語なら「ザンクトパウリ」、そしてポルトガル語で「サンパウロ」と呼ばれる、この都市の人口1100万人以上。ブラジルのみならず、南半球でも最大の規模を誇る。

 日本の初戦(対チリ戦)が行われたサンパウロは、これまでにも何度か訪れる機会はあった。しかし過去の訪問と違って、今回はサンパウロの新たな一面を知ることとなった。5年前のワールドカップでは、目先の試合を追いかけることで精いっぱいだったが、今回はもう少し余裕をもって周囲を見渡すことができたからかもしれない。さっそく、サンパウロでの旅を写真と共に振り返ってみよう。

 サンパウロのグアルーリョス国際空港に到着したのは、6月14日の17時であった。羽田からドバイを経由して、合計28時間30分のフライト。現地SIMカードをすぐに入手できず、不安を覚えながら中心街に向かうバスに乗り込む。正直、アウェイ感でいっぱいのブラジル取材のスタートであった。

 翌日より行動開始。まずは大会を取材するために、アクレディテーションカードを入手しなければならない。バスを待つ間、ふと見上げるとペレの笑顔が視界に入る。ご存じ「サッカーの王様」。世界で最も競技人口の多いスポーツの王様が、本国ブラジルで今もリスペクトされていることを強く印象づける。

 意外に思われるかもしれないが、最後にブラジルでコパ・アメリカが開催されたのは1989年。実に30年ぶりの開催となる。とはいえサンパウロの街を歩いていても、南米フットボールの祭典が始まったという盛り上がりは感じられない。ワールドカップ優勝5回を誇るサッカー王国ゆえのことであろうか。

 ホテルの朝食以外では、ブラジルに来て初めて味わうまともな食事。豚肉にトマトソースとチーズがまぶしてある料理で、名称は不明。まあまあ美味しかったけれど、かなりこってりしている上に量が多い。ブラジルで食べる料理は、おしなべてそうした傾向が強く、滞在1週間を過ぎるといつも以上に日本食が恋しくなる。

 日本代表が事前練習を行っていた、エスタジオ・ド・パカエンブー(正式名称はエスタジオ・ムニシパウ・パウロ・マシャド・デ・カルヴァーリョ)。サンパウロの名門として知られるコリンチャンスは、郊外に新スタジアムを移転させるまではここを使用していた。併設されたサッカーミュージアムは一見の価値あり。

 そしてこちらが、日本対チリの試合が行われた、エスタジオ・ド・モルンビー。サンパウロFCのホームスタジアムで、6万7000人も収容できるのに、なぜか5年前のワールドカップでは使用されなかった。これほどの巨大なスタジアムが、高級住宅街のど真ん中にあるところに、サンパウロが「フットボールシティ」である理由を見る思いがする。

 周知のとおり、日本の初戦はチリに0−4と完敗。相手が大会2連覇中の強豪とはいえ、もう少し戦いようがあったとも思う。悔しさを噛み締めながらメトロ駅へ。そういえば試合前には「ハポン! ハポン!」と声をかけてくれたチリのサポーターも、試合後は軒並みスルー。煽る必要もないと判断されたのだとしたら、いささか寂しい話である。

 日本代表を追いかけて、サンパウロからポルトアレグレ、さらにベロオリゾンテと転戦。結局、日本のコパ・アメリカでのチャレンジは3試合で終わり、再びサンパウロに戻ってきた。到着して早々、取材のためパウリスタ大通りに誕生したジャパン・ハウスに向かう。日本の伝統美を意識したデザインは、建築家の隈研吾の手による。

 その日は、ブラジル人元Jリーガーが集まるトークイベントが行われた。登壇者は写真左から、サンパイオ、三浦泰年、ワシントン、カレカ、レヴィー・クルピ、そしてビスマルクの各氏。一番右にいる人の変わりように、驚かれた方もいるかもしれない。イベントの内容については、来週に宇都宮徹壱WMにて掲載予定である。

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