コロナ日記

ついに先週、コロナにかかってしまいました。
今は誰がなってもおかしくないと言われているので、何かの参考になればと思い、コロナにかかってから療養期間中のことを日記に書いてみます。

7月11日
起き上がろうとするも、重度の倦怠感で起き上がれず。咽頭も痛かったので半日だけ在宅勤務をすることに。
体温は37℃程度。念のためということで発熱外来にかかり抗原検査を受ける。結果は陰性だった。
発熱外来は外の待合席で待たされるのだが、とにかく暑かったのと蚊がすごくて、汗だくになりながら蚊に刺されまくる。看護師さんが「ボコボコになっちゃってすみません〜」と言いながらムヒを塗ってくれた。
その後簡単な診察と風邪薬を受け取り帰宅。前日クーラーがガンガンに効いた喫茶店に行ってしまったので、そのせいで風邪を引いたかしらと思い就寝。

7月12日
夜中、膀胱炎になってしまったのか1時間おきくらいにトイレで目が覚める。全く寝れないまま起床。節々が筋肉痛のように痛み、熱を測ると37.6℃だった。引き続き在宅勤務することに。
昼過ぎくらいに段々しんどくなってきて、熱を測ると38.1℃だった。仕事を早退する。
体の痛さに悶えながら何度か寝る。
仕事に行っていた夫が帰宅。症状を伝えると、もう一度病院に行った方がいいと言われる。この日からなんとなく部屋の消毒とタオルの共用を中止。

7月13日
熱は微熱に下がったが喉のイガイガと咳がひどくなってしまい、朝一でこの前受診した病院に夫が電話。昼過ぎに予約が取れる。
12時頃発熱外来を受診し、再度抗原検査。2分ほどで即陽性反応が出てしまった。試験紙が真っ赤になってしまったらしく、「ずいぶんたっぷりアレしちゃったんだね」と看護師さんに言われる。
その後すごい雨が降りしきる中30分ほど待たされたのち、保健所の健康管理サービス、支援物資サービス、宿泊療養施設の案内など色々な紙をもらう。一緒に処方せんを受け取り終了。
帰路で夫に電話。夫は濃厚接触者として職場に連絡。
帰宅即隔離生活開始。私は寝室にこもることにし、ご飯や必要なものをドアの前に置いてもらい、それを受け取るシステムをとった。夫との会話はLINEか電話に統一。
職場に連絡。チャットアプリを開くと私のほかに3人ほど陽性の連絡が来ていた。自分だけじゃなかったんだと少し安心する。親と姉にも連絡。
昼飯から夫が作って用意してくれた。寝室にはクーラーがないので、熱い雑炊を大汗かきながら食うという修行のようなことをする(ちなみに夜はうどんだったので、夜も全く同じ状況になった)。
熱は夕方から再び上がってしまい、深夜には38℃になってしまった。希望が潰える。

7月14日
咳が止まらず全く眠れなくなり、朝方心配になってコロナのサポートセンターに電話。ウィルスの猛威を抑えきれてないかもしれないので、引き続き薬を飲んで様子を見るように言われる。すごく丁寧な看護師さんで、少し安心した。
眠れないまま雑炊、うどん、雑炊生活を送る。だんだん膀胱炎もひどくなってきたのか、汗だくで寝て起き飯を食いトイレに行き...を繰り返す。
このままだと夫にうつしかねないと思い、宿泊療養施設の申し込みをする。明日か明後日に電話がかかってくるとのことだった。
夕方くらいに徐々に咳が治まり始め、熱も微熱に下がる。もう治ったかと思い急激に嬉しくなる。

7月15日
起床。だいぶ体が軽くなり、これはもう完全に治ったやろと嬉しくなる。意気揚々と昼飯のカレーうどんを食べていると、カレーうどんの味がしないことに気づく。ついに味覚障害が起きてしまった...。
宿泊療養に備えて、夫に非常食やお菓子などの買い出しに行ってもらう。
夜ご飯(覚えていない)もよく味がせず、完全に味覚障害になってしまった。絶望に打ちひしがれながら就寝。

7月16日
朝方、突然ホテル療養の事務局から連絡があり、「今日の15時40分に迎えにくるので準備してください」と言われる。
急いで洗濯をしてもらい、スーツケースに着替えやタオル、お菓子などを詰め込みまくり、ドタバタで出発。家まで車が迎えに来てくれるのだが、中は普通のタクシーだった。
車窓から覗く高円寺の景色に泣きそうになる。
夕方頃ホテル到着。私の他にも何人も入所者がおり、受付に行列ができていた。
部屋に入るとベッドが3つもあり、めちゃくちゃ綺麗な内装にテンションが上がる。これだったら5日間耐えられるかもなと思う。
ホテル療養は1日3回、決まった時間にロビーまで飯を取りに行くシステムになっていて、時間になるとそこそこでかい音で部屋にアナウンスが鳴る。アナウンスにびびり散らかして急いで部屋を出た結果、部屋にルームキーを置いて出てしまった(部屋はオートロック)。
ロビーに行くと、亡霊のような面持ちで入所者が長蛇の列を作っていた。ディストピアかと思った。この日の夕飯は結構揚げ物が多いボリューミーなお弁当で、半分ほどしか食べられずに終了。
自宅ではトイレに行くたびに消毒をしなければいけないし、テレビも観れないしでなかなか窮屈だったが、その窮屈さから解放されて晴れやかな気持ちになる。ご機嫌でゴッドタンの熱い下ネタコントを観るなどして就寝。

7月17日
7時に鳴る爆音アナウンスで強制起床。7時にweb問診サービスに体温などを登録しなければならず、激しい眠気に襲われながらなんとか入力。その後も8時に朝食を取りに行かねばならないので、全く寝れずに朝食を食う。
チェンソーマンや九龍ジェネリックロマンスという漫画などを読んで過ごすが、寝不足が祟り半日ほど寝る。
この日から湯船にお湯を張って風呂に入ることに。めちゃくちゃでかい浴槽で最高だった(自宅の浴槽はかなり狭い)。

7月18日
7時の爆音アナウンスで起床。3日目にして療養生活が辛くなってくる。
インスタを見るとみんな楽しそうに三連休を満喫しており、羨ましくなってさらに辛くなってしまった。
気を紛らわすためにチェンソーマンを読む。
一気に70話くらいまで読んだからか、読解力がないからなのかよく話が理解できず、よくわからないなあと思う。
風呂に入っている時、突然孤独がどっと押し寄せてきて悲しい気持ちになってしまった。母親に「早く帰りたいよー」とLINEする。
思えば、昔からホームシックがひどく、旅行は二泊三日が限界だった。実家を出た当初も1か月くらい早く帰りたいと泣いていた気がする。
日数を数えるとあと二泊三日残っており、「あともう一旅行分あるやん...」と絶望。
しかしこの日は夜ご飯が中華だったこともあり、初めて完食できた。腹がありえないほど苦しい。
ちなみに来てからずっと腹が苦しい。お菓子より漫画や本をもっと持ってくればよかったと後悔した。

7月19日
爆音アナウンス起床。憂鬱が増す一方なので、持ってきたPCで仕事をする。孤独は紛れたが、4時間ほど仕事をするだけで激しく疲れてしまい、退勤して昼寝。
甲斐みのりさんの『にっぽん全国おみやげおやつ』という本を読むなどして過ごす。
普段は出社しているのであまり分からなかったが、火曜日は面白いテレビ番組が目白押しであることに気づいた。華大さんと千鳥くんの後はモヤモヤさまぁ〜ず、終わったら有吉クイズがあるという超最高な曜日である。テレビのおかげでだいぶ憂鬱が晴れた。

7月20日
爆音アナウンス起床。ついに退所日前日。17時頃事務局から電話がかかってきて、「あくまでも予定ですが、明日の退所が決まりました」と言われた。何故「あくまでも予定ですが」なんて恐ろしいことを言うのだろう。おかげでそれからずっとそわそわが止まらなかった。
この日も夕飯を完食できた。少しずつだが、味覚が戻ってきているような気がする。5割くらい。
しかしずっと続いている「食べているうちにだんだん味がなくなる現象」はなかなか治らず、ちょっと悲しくなってくる。
早めに風呂に入り、江戸川乱歩の小説で眠りを誘い就寝。早く明日になってほしい。

7月21日
ついに退所日当日。ドキドキしすぎて4時半に目が覚めてしまった。
昨日の電話で9時半くらいに確定の電話が来るとのことだったので、朝食を食べたあと準備を済ませ、スッキリを見ながらドキドキ待つ。30分になっても、40分になっても電話は来ない。やばいかもと思っていると、50分頃電話が来た。「退所が決まりました」と言われた瞬間、「おっしゃー!」と飛び跳ねそうになった。
急いで準備をし、無事退所。
眼前に飛び込んでくる新宿歌舞伎町の臭くて汚い街並み。シャバだ...。実に10日ぶりの外出に、涙が出そうになった。
最寄駅に着いた後は簡単に買い物をして帰宅。ただ近所で買い物をするということがこんなに幸せなことだったとは。日常を噛み締める。
その後は自宅で休み休み仕事をし、早めに仕事を上がってリハビリがてら散歩をした。これがまたとびきり楽しかった。一生散歩をして過ごしたい。
夜ご飯は数週間ぶりのパスタを食べた。味覚は完全ではないが、美味しかった。パスタってなんて素晴らしい食べ物なんだろうか。
もう明日から爆音アナウンスで起きなくていいと思うと、本当に嬉しい。なかなかに辛い10日間だった。

*********

まとめ

・ホテル療養は辛かったですが、無料で毎日3食付き、綺麗な部屋に泊まらせてくれ、看護師さんも健康チェックしてくれるという素晴らしい制度でした。今は逼迫しており受け入れがなかなか難しいようですが、軽症で同居者がいる方はダメ元で電話してみるといいと思います。

・外出制限で詰むので、家族や友人など、周りの人を頼って食料を確保することが重要だと思いました。東京都の支援物資サービスも、今は量が減っているかつ届くのに時間がかかるみたいですが、かなりたくさん食料を送ってもらえるので、申し込むといいと思います。

とにかく、毎日の楽しみである外出(散歩)と食べることを奪われてしまった日々がとても辛かったですが、周りの人や東京都のサポートでなんとか生還できました。でももうなりたくない。かかっている方は一刻も早く良くなりますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?