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【宗教二世のつぶやき②】夢のつづき

 幼少期のことを、少し書いてみようと思う。
 
 わたしには、恵まれた環境で育った自覚がある。でも幸せだったかと聞かると、答えに困ってしまう。ーーなぜか。その理由は、宗教と関係している。

 両親はプロテスタントの教会に通っていた。二人はもともと仏壇のある、日本のごく「普通」の家庭で育ったが、それぞれのタイミングで教会に通うようになり、キリスト教に入信した「宗教一世」だった。二人は教会で出会い、結婚した。
 だから、わたしは幼少期から、いや生まれる前から教会に通っていたことになる。毎週礼拝に参加するだけでなく、毎朝聖書を読んだり、神に祈りを捧げてから食事をしたりする習慣もあった。母が熱心な信者だったこともあり、聖書のことばを注がれて育ってきたーーそれによって、わたし自身精神的に支えられてきたのは、事実だろう。
 小学校1年生のときには、洗礼も受けた。いま振り返れば、当時、周りの友だちが次々に洗礼を受けており、神を信じることに違和感もなかったから、流されたと言ってしまえばそれまでだが、そうなるべくしてなったんだろうと思う。ただ、中学で部活が忙しくなってきたころから、教会から離れ、実家を出たいまは、まるで無宗教、教会とは関係を持っていない。両親はいまも別の教会だが、通いつづけている。
 
 冒頭の話に戻せば、どうしてこどものころ幸せだったかわからないのは、そこに痛みを伴う記憶があるからなのだと思っている。だが、恵まれた環境で育ててもらったことに感謝しなければという思いもあったし、プロテスタントの保守的な教会に通ってきた、つまり「異端」ではないということもかさなって、人前で言ってはいけないこととして封印してきた。

 その封印してきた記憶というのは、わたしが母から受けてきた身体的暴力をめぐるものだ。わたしは、母から教会の牧師の教えで「愛の鞭」を受けてきた。実際に使われていたのは、30cmの竹の物差し、通称「ピンピン棒」。母の言うことを聞いて、いい子にしていなければ、ピンピン棒でお尻を叩かれた。

「なんで言うことが聞けないの!」

 こういう言い方がいいのかわからないが、母はヒステリックに叱りつけ、わたしのお尻を何度も叩いた。いまとなっては、どうしてその叩かれたのか、その理由はほとんど覚えていない。唯一記憶にのこっているのは、礼拝中に母に静かにしているように言われていたのに、話しかけてしまったことだ。
 あれは、何歳だったんだろう。礼拝中は、長時間静かにしていなければならず、しかし聞いてもよくわからない話を黙って聞くのは苦痛で、退屈で退屈で仕方がない時期があった。その退屈さを紛らわすように、本を読んだり、絵を描いたりしていたのだが、わたしはそのとき母と交わした「静かにしているように」という約束を破ってしまったのだ。母に話しかけてしまったわたしは、部屋の外に力づくで引っ張り出され、倉庫でお尻を出され、叩かれた。

「なんで言われたことができないの!」

そのときの声と顔は、いまも強烈に記憶にのこっている。

「ごめんなさい!もうしません!」

 そう何度言っても聞いてもらえず、お尻を叩く手は止まらなかった。このとき、「あー、なにを言っても聞いてもらえないんだ」と思い、感じた無力感をいまも鮮明に覚えている。

 こうして、わたしは幼少期から日々恐怖を植え付けられると同時に、母の承認なくして生きることが困難になっていった。それは、ある種の依存関係とも呼べるものだろう。だが、わたしはいまここで、自分の人生を分析したり解釈したりしたいわけではない。
 わたしは、なに不自由ない暮らしをさせてもらい、たくさんの豊かな経験をさせてもらってきたがゆえに、幼少期に負った傷をなかったことにしてきたし、母のことを許したことにしてきた。でもほんとうは、わたしは母を許していなかったし、傷は癒えていなかったのだ。この事実を、わたしはいま、丸ごと抱きしめたいと思っている。
 
 そういう意味でいえば、今回のカウンセリングは、ありのままの現状を受け入れ、そこから母との関係を変えていくきっかけになるかもしれない。傷ついているなら傷ついていると言っていいんだ、教会に行かないことを負い目に感じる必要はないんだと思えたからだ。

 カウンセラーからは、母との関係を変えていくには、言われていやなことはいや、違うと思うことには違う、と自分の意見や思いを伝えること、そのつみかさねが重要なのだと教えられた。何十年もかけて築き上げられた、いまの関係が簡単にほぐれることはない。わたし一人がんばってみても、母のペースに巻き込まれ、うまく行かないことは多い。

 最近、母はよくこんな言い方をする。

「あなたがそうしてわたしを拒絶するのは、過去にわたしが傷つけたからなんだよね。だから、わたしの言うことが聞けないんだよね。」

 わたしは、「いま、ここで起きている話をしているのだ」と切り返す。しかし、その声が聞き届けられることはない。それでも、わたしは対話を求めつづけてみようと思っている。かのじょが何度拒絶されたと言おうとも、わたしはかのじょとの関係を、たがいに「聞く」ということからはじめてみたいのだ。それは、そのままの自分を受け入れてもらいたいという願望でもあるのだろう。

 わたしはいま、宗教二世としての自分を受け入れ、母との関係を変えていく出発点に立っている。前回の記事に、わたしは自分が見た夢の話を書いたが、それは母親の期待に応えようとして苦悩するこどもを救うことができない苦しみを伴うものだった。だが同時に、自分の経験してきたことが、いつかだれかの救いになればとも思えた。それは、はじめてのことだった。

 夢のつづきを生きてみるのも、きっと悪くないのだろうーーしばらくはそう思ってみようと思っている。


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