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【鉄道自分史】#9「50年前の初めての鉄道写真」

今から50年前の1972年4月2日入学式前とはいえ、中学生になった私はその年の年玉で買った、3900円のミノルタ16PSというおもちゃの様なカメラで初めて一人で蒸気機関車を撮影に行きました。家から自転車で30分もかからないところにある関西本線の平野駅を湊町発の「D51伊賀号」が通過するということがわかり勇んで出かけたのでした。

湊町発ですが次の停車駅の天王寺発の時刻から平野付近通過の時刻を割り出し何分か前に到着していたのでしょう。全く予備知識もなく、平野へ行ったものの駅に入ることも思いつかず線路沿いに少し天王寺寄りに移動してみると関西本線をまたぐ歩道橋がありました。「よし、あの上からなら見通しが良いぞ」と思ってそこで撮ることに決め列車が来るのを待ちました。

しばらくすると遠くからD51の引く客車列車が見えてきました。ところが煙は全く出ていません。よく考えると天王寺からしばらくは高架で平野の手前から下り坂で、惰行で走ってくるので煙は出ないわけです。そんなことも知りませんでしたが、だんだん聞こえてくる蒸気機関車独特の「カシャカシャカシャカシャ」という音が近づいてきて緊張しながらカメラを構えシャッターを切りました。ちょうど機関車の真上にいたので煙がもくもく出ていたなら、真っ黒けになっていたかもしれません。撮った後すぐ後ろを向き遠ざかる列車も撮影しました。

幸い手振れもせず、D51882という機番もしっかり写っていました。初めて撮影したのが882号機でしたので、すっかりお気に入りの機関車になりその後も何度も出会う度にうれしい気持ちになりました。煙の全くない迫力のない写真でしたが無事に撮ることができその日は満足感に浸りながら帰りました。この日から関西本線から蒸気機関車が廃止されるまで日帰りでの撮影ばかりですが1年半続きました。

一人で調べ撮影にも一人で出かけた鉄道撮影の記念すべきスタートの日。あれから50年たちましたがまだまだ行きたいところも多く、一生続けていきたいと思っています。

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