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万物流転(パンタ・レイ)|ヘラクレイトス 【君のための哲学#11】

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☆ちょっと長い前書き
将来的に『君のための哲学(仮題)』という本を書く予定です。
数ある哲学の中から「生きるためのヒントになるような要素」だけを思い切って抜き出し、万人にわかるような形で情報をまとめたような内容を想定しています。本シリーズではその本の草稿的な内容を公開します。これによって、継続的な執筆モチベーションが生まれるのと、皆様からの生のご意見をいただけることを期待しています。見切り発車なので、穏やかな目で見守りつつ、何かご意見があればコメントなどでご遠慮なく連絡ください!
*選定する哲学者の時代は順不同です。
*普段の発信よりも意識していろんな部分を端折ります。あらかじめご了承ください。



万物流転(パンタ・レイ)


ヘラクレイトス(紀元前540年ごろ-紀元前480年ごろ)の言葉として「同じ河に二度入ることはできない」というものが残っている。このようなニュアンスから後世の哲学者(特にプラトン)らは、ヘラクレイトスが万物流転を説いた哲学者であると解釈した。
古代ギリシアでは、タレスをはじめとした哲学者たちが「万物の根本物質は何か」という命題の上で激論を重ねていた。世界は”何か”によって生まれており、その”何か(始原)”は必ず存在する。その”何か”を究明することが、当時の哲学者に課せられた課題だったのだ。(例えばタレスはそれを「水」と言ったし、アナクシメネスは「空気」だと主張した)
しかしヘラクレイトスは、万物の元となる”何か”を特定の物質に限定しなかった。彼は「万物の始原は火である」という。これは、万物の大元に火という実在があるという意味ではなく、万物は火のような原理に支配されているという意味である。ヘラクレイトスは世界には根本となる原理(ロゴス)があると考えた。その原理は「世界は変化を繰り返し、変化による対立によって物事が表現される」というものだ。それはまさに、常に変化しながら燃え上がり、やがて消えていき、他の物質を飲み込んで(対立)燃やし尽くす「火」のような原理である。(ちなみに、ヘラクレイトスの「対立を前提に概念を検討する」という姿勢は弁証法の始まりだと言われていて、ヘーゲルやマルクスも彼のことを大変に評価している)
ヘラクレイトスは一方で「万物は一である」とも述べている。世界は多様なモノからできているように見えるが、それは本来ひとまとまりである。本来「一」だった世界が絶え間なく変化を続けることで(その中で生まれる対立により)多様な表象が私たちの前に現れると考えたのだ。これは現代科学の構想にも一致を見るとても先見的な主張である。


君のための「万物流転」


「世界が実はどういう原理で動いているのか」という真理。極端に言ってしまうと、私たちにとってそれはあまり関係がない。興味のない人も多いだろう。なぜならば、それが分かったところで目の前の生活が良くなるわけでもないからだ。私たちは世界の真実よりも、目の前の生活がより良くなることを望んでいる。とはいえ、ヘラクレイトスの思想が全く役に立たないわけではない。
万物は流転する。
私たちは常に変化の真っ只中にいる。同じ場所に居続けることは原理的に不可能である。しかし、私たちは無意識に「今の状態がずっと続けば良いのに」と考えていたりする。それは自然の原理に背いているにもかかわらず、だ。
万物流転の概念は、変化に対するポジティブな諦めを提供してくれる。変化はしてしまう。なぜならばそういうものだからだ。大事な人はいずれいなくなるし、大事なものもいずれなくなるし、得たものはやがて失われる。しかしそれはあなた特有の喪失ではない。この世界に存在している以上、絶対的に「そうであるべき」現象なのだ。だから執着しないほうが良い。
逆に言えば、辛い時間もそのうちなくなるし、嫌な人間もそのうち消える。(ポジティブな意味で)変化に身を任せてしまえば、生きるのが楽になる。
そしてその諦めは次の認識をもたらしてくれる。「同じ河に二度入ることはできない」 つまり、同じ時は二度と訪れない。だから「今」を楽しむことは絶対に「今」しかできない。その楽しみを後に取っておくことは、世界が常に変化をしている以上、絶対に不可能なのだ。だったら「今」楽しんだほうが良い。
変化に身を任せ、それでいて一瞬一瞬を真剣に経験する。
ヘラクレイトスの万物流転はそんな刹那的な真剣さを、私たちに教えてくれる概念だと言えるかもしれない。


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