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ニッポン魅力発見の旅 北海道(16)当別町を訪ねて

訪問していただきありがとうございます。

8月末にドライブして当別町を訪ねました。


当別駅


当別町は、道都・札幌市に隣接し、札幌市中心部から車やJRで約40分と、道内各市町村の中でも抜群の交通アクセスの良さを誇ります。

日本海側に位置する当別町は、春から夏は比較的穏やかな気候です。夏は札幌よりも涼しい日が多く、台風の影響も少なく、冬は降雪量が多い分、冷え込みは穏やかです。


当別町観光協会の公式ホームページに基づけば、当別町の歴史は下記の通りです。



1868年に起こった戌辰戦争。維新政府軍と旧幕府側が戦った内戦で、政府軍は関西から関東、東北、北海道までの幕府勢力を討滅し、新しい国家誕生への道が開かれました。この後、処分を受けた藩の中に伊達家一族が統治する仙台藩もあり、大きな滅封を命じられたことから、北海道開拓に活路を見出そうとしたのが伊達家と北海道を結ぶ始まりです。


当別町へ入植した岩出山伊達家の邦直公は、伊達政宗直系の子孫であり、四男・宗泰につながる十代目当主。伊達市を開拓し、その功により男爵となった亘理伊達家の邦成の実兄に当たります。邦直公は736人の家臣団を養っていくためにと新天地をめざし、厳しい自然環境と戦いながら開拓を進め、当別町の礎を築いていきました。道内には士族が開拓した町村がいくつかありますが、当主が自ら移住してきたところは珍しく、没後に当別神社に神様として奉られたこともまた稀有なことだと言われています。



また、岩出山伊達家一族では、学問を大切にするという精神が受け継がれ、優秀な者は仙台や江戸に学びに出ていたと言われており、邦直公もまた文武両道に優れた人物でした。家臣たちもその精神を継いでおり、開拓地当別にも早々に教育所が開かれ、多くの学生たちが、医学や農学などの高等教育を受けるために札幌や東京へと進学していきました。



こうして当主自らが街を拓き、教育にも熱心に取り組んだという功績は内外で注目され、明治天皇が御巡視に訪れたほどでした。その後、邦直公には正五位が贈られ、1940年には北海道開拓神社に合祀されました。当別町の小学校には「郷土読本」があり、小学校3~4年生で町の開拓の歴史を習い、邦直公と家臣団の物語、そして精神は今も脈々と伝えられています。

当別町観光協会の公式ホームページ
当別市街案内図



当別名所案内図


当別町の基幹産業である農業の歴史が刻まれた農業用倉庫は改築され、ふれあい倉庫となり、2006年にオープンしました。現在は主にカルチャーホールを利用した文化活動やふれあいホール運営協議会が運営する直売コーナーでの地場産品のPR販売を行い、町の賑わい創出につなげています。


当別町 赤レンガ倉庫

     


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