ハイレバFXで人生を失う危険性
億万長者を夢見て今日もハイレバFX戦士達が市場で戦っている。停滞した日々からの脱却を求めて
「何故FXをやるのか?」
と尋ねれば大半の人が
「経済的自由を手に入れるためだ」
と答えるでしょう。
経済的自由を手に入れれば、確かに不幸は少なくなる。
しかし自分にとっての「経済的自由」を得られるポイントがどこなのか?
そのゴールを定めずに走り出す人が市場の業火に焼かれていく。
敵の場所もわからず裸に竹槍を持って走り出すようなものだ
■ハイレバFXは賽の河原システム
ハイレバFXは賽の河原システム…ようやく届きそうになった時に「欲」という鬼が全てを破壊していく
そしてまた最初からやり直しなのである。
これを幾度も繰り返す事で、人の精神は病んでいく。
僅かな勝ちが脳内で多くを占め、多数の負けが自分を追い詰める。
気持ちの乱高下を繰り返す事で、人は精神を病んでいくのだ。
正しい判断が出来なくなった人間に神様が微笑むはずもなく
多少の運否天賦で得られる瞬間があっても、その高さの分だけ砕け落ちる時の落下差は急になり
それまで積み上げてきたものや途中に夢見た時間を全て否定され失って、またゼロからのスタートを求められる。
まさに無限に続く生き地獄である。
ゼロカットシステムというシステムが、それを加速させる。
追証が発生するような状況であれば、多少の警戒もあり不安なポジションは解消する傾向は必然的に高くなる。
しかしゼロカットシステムのおかげで、「最悪ゼロ」の安心感が無駄なポジションを長く保持させる。
また失敗した後にはじめはポジションを抑えていたトレーダーも
ギリギリまで小さなポジションを重ねて結果ハイレバになるというお粗末な状態を「自分で作る」
勝てるトレーダーと負けるトレーダーの違いは
「投資かギャンブルか」である。
「投資対象」にならないものなら投資家はすぐに切り捨てる。
株やFXで言う優秀なトレーダー程、損切りが早くなるのはこのためだ。
予想したストーリーに沿わなければそれは自分の求めるものでは無いと即判断する。
また必要になれば、その時に戻れば良いだけだと思っている。
負けるトレーダーは固執する。
自分がどれだけ思い入れたかをポジションの価値に乗せて見てしまう。
幾つものストーリーを前向きに想定して、どれかに沿うように祈るのだ。
祈るという行為が入るのは、これはもう丁半バクチとしか言いようがない。
■お金と共に失っていく大切な時間
結果的に何を1番失ったかと聞かれれば「時間」と答える
本来ならば恋人や友達、家族と過ごして沢山の思い出があるはずの人生
負けが続く程にチャートや相場の思い出しか残らない
語れる過去は「どれだけ負けたか」「どんな勝ちがあったか」くらいなものである。
勝てるトレーダーは勿論そんな事はない
時間の無駄を嫌うので、自分の生活や環境をそれに遮られることを拒む
しかし負けるトレーダーは自由の為に戦う
毎日毎日戦う
トレード出来なくともトレードの資金を稼ぐ為に時間を使う
ふと考えると、もはや市場に金を貢ぐ為に私生活を犠牲にしている自分しかそこには居ない
それでも明るい未来への転換期を夢見て市場に金を運ぶ働きアリ達は、現実を見ないでひたすら運び続ける
市場規模的に見れば消しかすのような金額を、なにかの拍子にたまに得ただけで人生の変化を感じられ喜ぶ
そしてその金を失ってもその思い出がまた金を運ばせる
繰り返し
繰り返して
気がつけばにっちもさっちも行かなくなってしまい、諦めてしまいたい気持ちが出てくる
しかし、そこまで苦労してしまった現実にもう引き返せないのである。
何故なら「損切り」が出来ないのだから…
失った過去を取り戻すには、期待以上の未来を求める
無くした時間を買う為に、また新たな時間も費やしていく
無限に終わらない地獄
それが生活習慣に変わり依存症となる。
もう目的なんてわからない
ただ歯を磨くようにやらないと気持ちが悪いだけなのだ。
■終わりなき旅
幾多の相場で沢山の人生の転機を迎えた人達を見てきて、自分もまたその転機を相場で迎えた。
それは前向きな転機だけではなく、関わらなければきっと普通の幸せで人生を満足に終えられただろう不幸な転機の人も少なく無い
「稼ぐ」の主語に「楽に」を付けたものを知ると人間は弱い
もう苦労して稼ぐ事から逃げてしまう
しかし本来自分の価値以上のお金を稼ぐとはそれ相応の苦労を必要とするもの
わかっていてももう知ってしまえばその近道しか行きたくないのが人間だ。
しかしその近道は落とし穴や地雷だらけの道である。
特定の誰かに蹴落とされる事は無いが、不特定多数の波が押し寄せて落とされる事はある。
それでも僅かな資金で今の人生から抜け出せると思えば喜んで走っていくだろう。
しかし人生を変えたい先に何があるのだろう
どんな人生でありたいと思い走るのだろう
そんな人生になる為にこれまで努力してきていない中で、その求める人生になった時に対応できるのか
全て愚問である
もはやその道を走る事が日常であって、意味など後から付けるようになる
自分の走る意味の正当化の為だけに理由も考える
家族のため親のため夢のため…大義名分を掲げていないと動けなくなるからだ
もう振り返ることは出来ない
ここまで来て止まることも叶わない
周りの普通の人達と比べて、自分が失った過去が大きく感じれば感じるほど走るしかない
認めるわけにはいかない
何もしなければもしかしたら自分もこんな風な普通に幸せな人生だったのでは…などと
終わらない地獄への旅は永遠に続く
僅かな勝ちが更なる次の大敗に繋がってしまうとしても
そして何かの事情で動けなくなったとしても
失った過去に悩まされる地獄は続くのだ
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