マルクス資本論の概略

若い頃欧州を転々とし政治的に共産主義運動をしていたマルクスは31歳ころイギリスにわたり32歳~40歳ころまでに経済学批判著した。さらに1866年、48歳ころ彼の経済学理論を資本論としてまとめて編集され、第一巻が出版された。
そのあらましは以下のようなものである。

物Aと物Bが取引される場合、AとBは同一物ということはほぼ考えられない。取引というのはAとBとの使用目的が異なるから行われることである。
この時Aを作るのに必要とした労働力とBを作るのに必要とした労働力が均衡しているとき取引は成り立つのだろう。

資本主義社会においては通貨が取引に使用される。従ってAもBも通貨に符合され値段がつけられる。商品の取引価値は値段で表示される。交換が通貨で行われようと取引というのは本質的には商品生産に要した労働価値を交換していることになる。

一般に労働者は資本主義社会においては労働することしか売れるものがないため、自らの時間や身体能力を商品のように売って賃金を得て生活する者である。

一方、生産手段はあるが労働力のない資本家は通貨で労働力を買うのである。
もし労働者が売った労力が、生産高と単に等しければ、拡大再生産はできない。つまり、企業が売り上げた額すべてを労働者へ払えば余剰の利益は産まれない。
従って企業資本が成長するのは生産による売り上げ額の方が労働者への人件費よりも大きい場合となる。これを剰余価値と呼ぶ。剰余価値を産むのは労働者の剰余労働による。
商品の流通過程で差益が出るがこれは剰余価値にはならない。差益は生産物を増やしているわけではないから、新たな価値が産まれているわけではない。
資本家は剰余価値によって資本を拡大してゆくことができる。これは労働者から剰余分を搾取したとみることもできる。
ちなみに利子、地代というのは剰余価値つまり利潤があるから発生する派生価値とみることもできる。
このように資本主義経済の成長というのは、労働者の剰余労働の総合である。
剰余労働には相対的なものと絶対的なものが区別される。
相対的な剰余労働とは規定時間内に作業効率を上げたり作業密度、速度を上げたりすることによる。
絶対的な剰余労働は労働時間を規定のものよりも延長することによっている。
剰余労働が蓄積されれば生産効率を高めるために機械化などが進化し労働者は人数的には減らされる。失業者が現れるのだ。
こうなると労働者が仕事を得るためには時間あたりの賃金はより安く労働を売らなければならなくなる。賃金相場が下がれば失業者でなくとも現に働いている労働者の労賃は安くなる。こうして労働者は働けば働くほど貧しくなってしまう。
では企業側はどうか。生産効率が拡大すれば生産額あたりの労働者数は減る。オートメーション化が進めば人員は削減される。こうなると資本は搾取すべき労働者が相対的に減ることになる。つまり資本主義は成長するほどに剰余労働が減り、いつか成長の限界に突き当たる。剰余価値が減ると利益効率が下がるのである。
投下資本を拡大すれば生産の総量を増やすことはできても、生産効率を上げることは頭打ちになるから、いずれ資本主義は限界に至る。
つまり資本主義の成長は剰余労働の拡大に依存しているのである。労働者の労働価値を搾取することによって成長する仕掛けということである。
労働者の失業や貧困化が進めば労働者と資本家は対立する。資本家は労働者階級によって地位を転覆させられるだろう。よって共産主義革命は歴史的必然となるだろう。

低賃金労働、サービス残業、人員不足による過酷な労働などは剰余労働というということになる。

これはマルクスの時代から現代に至るまで解決されていない労働と資本の問題であることに変わりはない。

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