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津久井湖に沈んだ集落 ~タイムトリップの旅③~完結編

※6300字程度の小説です。

 はあ、はあ。
息が切れる。足がもつれる。今日どれくらい歩いたっていうんだ。足がただでさえ辛くなっているのに、なぜ僕はこんなところでダッシュをしているのだろう。

という余計なことが頭でよぎるが、早くわが子を助けなければならない。
わが子、健(たける)は連れ去られた。三井の小学校の校庭で、珍しく彼は興味津々に昔の学校の様子に見入っていた。
もっと傍に居てやればよかったが、僕もうっかり別のものを見ていた。その矢先、中学生くらいの子が話しかけていて。友達もいないわが子にとり微笑ましいとちょっとでも思っていたのが油断だった。
手を取り、しかも負ぶって、猛ダッシュで立ち去っていった。顔から血の気が引いていく。

子どもは走るのが早い。大人から見れば、何を急いでいるのかと思うくらい、ふつうに歩く道も猛ダッシュだ。そんな小さく素早い子どもに、運動不足のでかい中年のオッサンが勝てるわけない。

しかし、そういうことも言ってられない。
 三井の先、塩民橋においては、高所恐怖症の僕には渡るのに葛藤はあるのだが、自分はどうなっても、あの子が無事でいてくれないといけない。

津久井湖に沈んだ村の、ありし日の全景。
資料はほとんど#津久井湖記念館より。模型展示。
アップで写す。精巧な模型。

この橋は車が通るとふくらんだ道がボコンとへこむ。橋が壊れることはないだろうが、高所恐怖症なので不安を感じる。
子供たちが橋の下の淵に飛び込み遊んでいる。

塩民橋の下にはチョボ岩と呼ばれる岩がある。

眼下には岩が突き出ているのに、ぶつからないのか。なぜかパニックにならず、意外と冷静に周りが見えている。それでも恐怖しかないが、それよりも遠ざかるわが子の背中に絶望的な感覚を覚えていく。

橋を渡ると、住居が多く見えてくる。この川沿いの集落で最も繁栄しているらしい荒川集落だ。

右手が塩民橋、左手は荒川橋。
左右逆転、逆さに俯瞰する。

健を取り戻せ!!

「健!」「背負っている子を返せ! 僕の子どもだ!!」
集落は建物が密集しており、すぐ居場所を見失ってしまった。
住民たちは驚いて僕を見ていた。
「健!?」「どこだ!?」
「すいません、男の子を背負った男を見ませんでしたか!?」と僕はなりふり構わず住民に声をかけた。

「おお、お? あれは健坊じゃねぇのか?」「義雄が健坊かついでたべ!?」「義雄だろ、義雄!?」
なんだか住民が不審がっている。みんな、この当時の昭和初期の服装だ。
Yシャツを着ている人もいれば着物も見られ、半纏や腹掛けをつけたり、女性は割烹着などもいる。
僕は、ポロシャツにジーンズだ。
この旅の中、僕の現代の服装を奇異に思った人はいるだろうが、改めて皆が僕のほうを不審者として見始めていた。

僕は、なりふり構わない。「すいません!男の子を背負った男は、どこに行きましたか!?」
「あの子は、僕の子どもなんです!!」
「下村のほうじゃぁねえか?」「橋の先の右の通りだべ。」
「ああ、加藤さんの。一番上の義雄くんかぁ。」
「加藤さんですね!」 どうやら、健を連れ去った子の家が分かったようだ。僕は、あとは探すだけなのでどっと安堵感が出てきた。

行き方や家を教えてくれた、家の様子を教えてくれた、だけではなく親切にも家に連れて行ってくれた。
「加藤さん、こんにちはぁ。居ますかぁ?」と呼んでもくれた。
「はぁい」と奥から母親らしき人が。「ありがとうございます」と、連れてくれたおじさんに礼を言うと、おじさんはしばらくして去っていった。
「すいません、ここに健っていう、僕の子どもがお邪魔してませんか!?」
「はぁ…?」母親らしき人は、ちょっと困ったような顔をしたが、僕は土間の上の座敷が見えてきた。子どもたちが数人遊んでいるようだ。
不審者で通報されても、健を探せればいい。僕は思いっきり奥を覗きこんだ。
「健!!」
呼ぶと、わが子が着物を着た姿で、申し訳なさそうな顔で見上げた。
「あの~、この子は、その、うちの健嗣では…?」
「は? 健嗣て誰です? あの子は、どう見ても、うちの健です!」
すると一番大きい子の義雄と思われる子が、怒鳴る。「この子は、僕の弟の健嗣だ!」 
「おじさんが誰だかわからないけど、この顔、どう見ても僕の弟だろ!
健嗣の着物もピッタリ合うし! あの子が持っているボールは、健嗣のお気に入りのボールだし!」 僕は顔を見て、やや涙ぐんでいるこの少年がだんだん冷静さを無くしているように感じた。「お母さん、人さらいだ! 警察に行こう!」

「すいません…。そうですよね。」
母親は、しばらく沈黙した後、やや泣き声になった。
「あの、実は、この子の弟の健嗣は、3年前に水害によって行方不明になって…。
この子の大事にしていたボールだけが見つかったのですが…。
それが、三井小学校でそっくりのあの子を見つけたみたいで、健嗣と思い込んだみたいで…」
僕は、追いかけながら「なぜ連れ去ったのか」考えて、人身売買とか思っていたが、結局意味が分からなかった。だんだん腑に落ちてきた。
「わたしも、最初は信じられなくて。けど、どう見ても健嗣にそっくりで。
お茶とお菓子を差し上げようと座敷にあげたら、その…。
棚の上に祭っている健嗣のボールを手に取って。
ずっと大事に持っているものですから、なんだかもう泣きそうになって…」

棚の上にある写真を見て驚いた。
陰膳(かげぜん)というのだろうか。いつ帰ってきてもいいように、食事が添えられているのと同時に、線香と位牌も添えられている。
写真の子どもは、明らかに「健(たける)」そのものだ。

しかし僕は、真っ先に健に駆け寄った。
「なんで、お父さんの傍から離れた!!」 健は半泣きになった。
僕は健がまるで、僕のほうを気に遣りながらも、自分からついていったようにも思えたのだ。
「こんな昔で! いなくなったらどうするの…?」
「お父さん、ごめん。ごめんなさい。」 泣きじゃくり始めたので僕は健を抱きしめた。
義雄という少年は、現実が受け入れられないようで、怒ったようにボールを奪い、健嗣くんの祭壇に戻す。
「義雄! だいたいあなたね、あの子の服を見ておかしいと思わなかったの!?」
母親が指さした先は、健が着物を着るために脱いだ衣服が畳まれていた。
以前、健とともに地方に旅行に行ったとき、その地方をテーマにしたアニメキャラがプリントされたシャツ。ハーフパンツ。高尾山登山に買ってあげた本格的な登山用ザック(リュック)。結局登山は、健の「辛い。」の鶴の一声で高尾山で終わったが。

荒川集落の夜。

囲炉裏に座らせてもらい、お茶をいただいている。
母親は健嗣くんや家族の思い出話をずっとしているが、土間で米を研いだり、座敷にあがり囲炉裏に座っては縫物をしたり。
どうやら父親は、筏師(いかだで木材を運ぶ)の仕事をしていたが、去年事故で亡くなったらしい。家族二人を川で亡くしたが、川の仕事のおかげでお金が稼げ、立派な家ができ、おいしいお米やお菓子も食べられて。

「それにしても、不思議ですねぇ。なんでこんなにそっくりなのでしょうか。」
そういわれても偶々なんだろうが、ふと、つぶやいてしまう。
「いやあ、ここまでにていると、ひょっとして『生まれ変わり』なんでしょうかね。」
自分でもなんでこんなことを言ったのか。健は健、健嗣くんは健嗣くんだ。
健は僕の子以外何者でもない。だが、ふとつぶやいてしまったのだ。
「そう…なのでしょうか…」母親は涙ぐみながら、健を見つめる。
着物姿のままにしている健は、笑顔を向けたがボールで隠した。
「ばっか、母ちゃんさ、年齢が合わないじゃないか(健嗣くんは3年前に水害に合い、健は9歳)。
…やっぱ、おまえ、健嗣じゃね? 川に流されて、おじさんに拾われたんだ!」
3年前は幼稚園から小学校入学か。僕は、この子が赤子のころから亡き妻にベッタリだったのを思い出す。小学校に入る前に妻はいなくなり、まったく僕には心を開いてくれなかったような。この子にとって、ほとんど存在感のない僕に、3年前に拾われたのもいっしょかと自虐が入る。

「ちがうよー。おいらねー、生まれた時からー、お父さんの子でしたー!」
ブッブーっ!って意地悪な感じで健は義雄を茶化す。
義雄くんは健のほっぺを引き延ばしたり、左右に引っ張って遊んでいる。
僕はその言葉が存外うれしくて、背後から抱いている健の手を握った。健は気づいていないだろうが。

「実は今日は、この子が水害にあった日でもあって。
わたしも、この子にたくさんご飯を食べさせてあげたいので。ぜひ、もう遅いですから泊まっていただいて、ごちそうさせてはいただきませんか?」
今日は鮎とうるかがごちそうになれるらしい。お酒をくれるようだが健が心配なので断った。
「さあ、どうぞ。」と囲炉裏の大鍋がおかれた。「にごみうどんだ!」
野菜がいっぱいの醤油出しがにごったような、うどん。
僕のほうには小皿でうるかも出される。「ひきわり飯ですが…」と米と麦が混じったご飯が、うるかによく合いそうだ。

「どうぞ、お風呂をこれから沸かしてきますので、お召し上がりください」と、ガスもろくに通ってないのか、ひたすら火を使う。
囲炉裏で焼いた鮎の塩焼きがおいしい。たくさん並べて焼かれた串も、子どもたちは貪るように食べてすぐなくなる。
うるかは鮎の内臓と身をほぐしたものらしい。僕はこれでもご飯が進んだ。
ふと見ると、糸車がある。家事をしながら、撚糸業を営んでいるのだろう。遺族年金もでるのだろうか。生活はどうなのか考えていると、お風呂が沸いたらしい。
健はいろんな家具を探しては、子供たちと遊んでいたようだ。お風呂のあと、やがて皆、眠るようになった。

荒川集落を去る。

 朝起きると、僕たち親子はここを発つことにした。
このまま現代に戻れるのかどうかは分からないが、まあ自宅を目指していくことにした。
その旨伝えると、母親が言いつけたこともあり、義雄が荒川集落を案内してくれるようだ。小さい3歳のもう1人の弟を連れて。

「ここが荒川八幡神社。夏祭りはここでやるんだ!

神輿を担いで、「川渡り」をやるんだ!! 今年も俺がやるし、コイツも将来担ぐんだぜ!! 健嗣…   どうだい、おめえ(健)も今度また来て、担がねぇか?」「いい。」即刻フラれて義雄は健を軽くにらみつけたが、気を取り直し、「ほら、ここの3本欅な。数百年前に燃えてなくなったと思いきや、また生えてきた神様らしいんだ。」

どうやらこの通りがメインストリートらしく、店がならぶ。

バスも通っているらしく、中村屋という食堂と床屋に、八王子や橋本と三ケ木へ向かうらしい。

村の背後の高台を目指す。「ちょっと見晴らしがいいだろ。さらに上ると小網に着いて、左手側が城山、右手側が中野の町だ。」知ってる。三ケ木から中野は昨日訪れた場所だ。
「城山は北条が武田軍に備えたお城があった場所でな。その城下がうちらってわけだ。
ほら、見下ろすと荒川の町がよく見えるべ。ふもとが上村、その奥にうちの下村。左手が塩民橋だろ。その向こうが昨日の三井小学校だ。
戻って、目の前に広がる山が~。峯薬師(みねのくすし)って寺でなぁ~。行基って坊主の仏像があるほか、姿三四郎の決闘の場所なんだぜ!
右手側が、荒川橋。その手前に荒川館って旅館と漁船屋があって、その周りのブドウ園は秋になるとブドウ狩りができるだぜ!
橋をわたると、心中淵とか情死淵って淵があってな、むこうが桜の名所の三工区。さらに向こうの中沢を通ると、おまえらが目指す橋本方面だ。」

相模川が蛇行する、袋状に囲まれた荒川集落。
橋本から中沢と城山近くを通り、三工区を経て荒川へ。

同時に、家族や友達との思い出話を延々と語り始める。
そのさなかに聞いたのが、義雄は将来、父の跡を継いで筏師になり、たくさん稼いで母親を楽にさせたいこと。そして10歳くらい離れた末の3歳の弟の学費とか出してあげたいこと。
そして驚いた1つ目が、この弟さんの将来の夢が宇宙飛行士であること。こんな時代に。しかも相模原は宇宙科学研究所があるのに。
さらに2つ目が、弟さんの名前が「健三」。
ん?





んーと。
亡くなったうちのじいさんの名前と同じなのだが。
まさかな。苗字が違うし。たまたまだろう。健が健嗣くんの「生まれ変わり」とか、ふとなんだかそういう感じが強くなったのも。

義雄くんは荒川橋まで送ってくれる。
健はすっかり義雄くんと健三ちゃんと仲良くなったせいか、僕は好きなまま遊ばせることにした。
夕方にでも発てば良い。二人は川で遊んだり、相模川を通る釣り船や屋形船、筏などを見たりしていた。

夕方になり、荒川を渡る。僕はもう、この近くの旅館に宿かホテルに宿をとることを決めた。
健は、相変わらず静かだ。しかし、あの家で見た珍しい家具、2人の兄弟の服装、2人から聞いた話などを聞くと、とめどなく話すようになった。

翌日、目覚めて。

昨日は結局、城山か中沢近くのホテルを宿にとった。
起きてみると違和感を感じた。昨日泊まった宿と違うようだった。

不思議に思いながら、「健、帰るぞ。」と準備をさせる。
昨日のテンションはどこへ行ったのか、健は相変わらず無口だった。
宿の外を出ると、夢のようだった。道はコンクリートで舗装され、建物もコンクリート製、多く立ち並ぶ。
「ちょ、ごめん、こっち行こう!」と僕は慌てて駆けていった。
僕たちの行った、荒川、三井、不津倉、沼本。すべて「津久井湖」となっていたのだ。
現代に戻ったのか。

今でも残るのは、向かって左側(写ってない)の小網や中野。そして右側の中沢・三井の高台。

「なあ、健。昨日のこと、どれくらい覚えてる~?」と聞いてみたが、「歩いた」。
「それだけ?」「ひたすら、湖の傍を歩いた。うどん食べた。鮎食べた。疲れた。」
「義雄くん、健三くんは覚えてる?」
「んー? 誰それ?」


僕だけ夢でも見たような感じだ。
確かに、夢なのか? 昨日の疲れと、深くはないが酒を飲んだためか、記憶はあいまい…? いや、はっきり覚えてるんだが…?

「ほら、そこ、通った場所だよ~。あの津久井湖の奥が沼本。その手前が三井、小学校があったなぁ。目の前が荒川の村。加藤って家があったなぁ。」
「へえ。そうなの。」
「知らないかい?」
「ひいじいちゃんから聞いた。荒川って村があったとか。あの城山ダム、津久井湖に沈んだ村でしょ。」昨日の記憶がどうやらない? いや、僕だけ変な夢を見てた? そういえば、昨日のことを鮮明に覚えているといっても、けっこうあいまいだぞ。

「三井の小学校って、ひいじいちゃんが行ってたんでしょ。
そういえば、ひいじいちゃんの昔の苗字、加藤だよ。」
「え?」
「お父さんは知らないの? たしか言ってたよ。本名「加藤健三」だって。荒川村が津久井湖に沈んで、引っ越した時、高校行くときお金がないから親戚の養子になったんだって。で、いまのうちの苗字。」

リュックからボールを取り出して、めんどくさそうに言う健。
「そのボールは?」「昨日、向こうの中野ってとこで買ってくれたじゃん。湖ばかりで退屈だろって。」
そのボールは、健嗣くんのボールでは。と思ったが、確かに中野で買ったような記憶も。
混乱している僕に、健は恥ずかしそうに袖を引っ張った。

「昨日の、相模湖の小原宿とか、津久井湖記念館で見た、昔の道具が面白かった。今度、もっとそういうの見せてくれるとこに連れてってくれない?」
はじめて健から、旅のリクエストが出た。「うん…。」
ちょっと泣きそうになりながら、「じゃあ、今度、相模原とかの民俗博物館にでも行ってみるか。」と言って、空を仰いだ。

ああ、きれいな青空だ。
きっとこれと同じ青空を、わがご先祖たちも見ていたにちがいない。







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