はざまにある部屋

○作品データ○

タイトル:はざまにある部屋
文字数:107826
舞台:日本(この世かあの世かは分かりません)
一言紹介:『封じられた街』『十方暮の町』『あの世とこの世を季節は巡る』に連なる系譜の物語です。


  プロローグ


 待ち合わせのオープンカフェに着くと、サナオは端の席に陣取ってノートパソコンを広げていた。
 私はニヤつく顔を引き締めながら席に近づく。
 サナオがパソコンから顔を上げた。眩しそうに目を細めて私を見る。
 会うのは一年ぶりぐらいだった。ちょっと緊張していた自分がバカみたいに思えた。サナオの顔には緊張を解く力がある。気合いが抜けるという逆効果もあるけれど。幼なじみならではだ。
 沖(おき)正尚(まさなお)、がフルネーム。だけど昔から「サナオ」だ。「まさなお」の「ま」を取ってサナオ。幼稚園の頃からそう呼んでいるんだからいまさら矯正できるはずもない。当時の友達もみんなそう呼んでいたのだ。成長するにつれて「正尚くん」とちゃんと呼ぶ人間が増えていったが、私はサナオを貫いた。本名がなんかしっくり来ない。サナオはもう、見るからにサナオなのだ。
「ごはんもう食べた? 食べたかったら食べて」
 サナオが訊いてくる。
「だいじょうぶ」
 私は答える。時刻は昼過ぎだが、お腹いっぱいにする気分じゃなかった。カフェラテで充分だ。店員に注文すると、通りを眺める。石畳の遊歩道を人が行き交っている。きょうは日曜日。天下御免の休日だ。おまけに、陽射しあふれる五月。マイナス要素は一つもない。目に入る人たちはみんな人生がうまくいってて、悩みも心配事もない、そんな気がする昼下がりだった。
 私たちはいま、二十一歳の大学生。故郷から遠く離れて、東京の、こんなあか抜けた場所で幼なじみと顔を合わせてるのはなんかこそばゆい。ふやけたような顔を引き締めるのが難しかった。
「学校はどう?」
 私は訊く。サナオに顔の正面を向けないように気をつけながら。
「相変わらず。単位取れてるし、いちおう今んとこ、卒業できるペース」
「上出来じゃない。バイトは?」
「コンビニはやめて、最近引っ越し屋始めたんだ」
「へー。なんか意外」
「でしょ。ガテン系。身体動かしたくなってさ。そっちは?」
「あたしは、ピアノ教室。相変わらず」
「学校は? ま、訊くまでもないか。遙には」
「ん。問題なし」
 サナオは両手を頭の後ろにやって、遠い目をした。
「もう就活のことも考えなくちゃね。遙はやっぱり、東京で捜すの?」
「うーん、たぶんね。サナオも?」
「うん。知雲(ちくも)は仕事ないもんなあ」
 ひとしきり大学三年生らしい会話を続けたあと、私たちは椅子の背もたれに深々と腰かける。沈黙。
 陽射しが贅沢だから、このまま黙っていてもなんの気まずさもない。カフェラテの泡をなめながら、私はひたすらゆったりする。
 でもサナオは律儀に、本題を切り出した。
「今日はごめんね、忙しいとこ」
 私は黙って首を振る。私たちのあいだに社交辞令なんか必要ないのに。サナオはいつもより変に気を遣っている。その気持ちは、分かる気がした。
「でもさ、そろそろ十年だから。いい節目だと思って」
「そだね。ほんと」
 私は頷いて見せる。内心、気の利くやつだと思っている。口には出さないけれど。
 年明けぐらいからだ。サナオがメールや電話で、十年前のことに触れ始めたのは。ここ最近はしつこいぐらいだった。
「あの日のことを、ちゃんと書いておこうと思って」
「うん。それは賛成だけど」
 私は七分丈のデニムを履いた足を組み替える。
「書けるの? あんたに」
 小馬鹿にするような調子になってしまった。でも半信半疑になるのも仕方ないと思う。十年前のあの頃、腰抜けとしか言いようがなかった男の子に、あの日のことがちゃんと書けるのか。
「だから力を貸してほしいんだよ」
 サナオは口を尖らせる。
「ぼくらの記憶を照らし合わせて、できるだけ正確な記録にしたいんだ。それをノンフィクションか、小説の形か分かんないけど、いちばんいい形にしてまとめたい。あんな経験……めったにあるもんじゃないだろ? これ以上時間が経つと、さすがに記憶がぼやけて曖昧になってきて、なんかもったいないっていうか取り返しつかないっていうか。いまになってちょっと焦ったりして」
「よく言うよね、ほんと。大事なときに気を失ってたくせに」
 私は言ってしまう。サナオが凹むのを承知で。
 案の定、サナオは口をへの字にしてしょげた顔になる。でもきょうはサナオをいじめるのが目的じゃない。
「書いて、どうするの?」
 私はフォローするように笑顔で言う。
「うん。まあ、それはあとから考えるけど。とにかくちゃんと記録にまとめておこうよ」
 私は頷く。実際、ずいぶん前に話したときでさえ、二人の記憶が食い違っているところがあった。細かいところだけど、決定的に。
 サナオだけに任せておいたら、記録はあたしの記憶とは微妙に違うものになってしまうかも知れない。それはそれで面白いとは思う。でもやっぱり、私の物語が消えてしまうのは残念だ。
 あれから十年になる。
 十年……ほんとうだろうか。
 昨日のように鮮やかなところもある。ひどくぼんやりした、生まれる前の記憶のような気がすることもある。
 私たちの故郷の町であったあの不思議な出来事。
 はざまの場所で起きた信じられないような物語。
 それを、私たちは今日、気が済むまで語り尽くす。なにもかもを思い出すのだ。
 怖い。でもワクワクする。
 あの日がなかったらいまの自分はないから。
 あんなに怖かったけど、あんなに大切な思い出はないから。
「……で?」
 私は訊く。
 ん? という感じでサナオが首を傾げる。
 鈍いな、とちょっとイラッとする。
「ほんとなの?」
「なにが?」
 ますますイラつく。でも私は、思い切ってはっきり訊いた。
「ほんとに……来るの?」
「来るよ」
 サナオは胸を張った。
「待ち合わせ時間は三時。それまでに、ぼくらは記憶を洗いざらいしておくんだ。訊きたいことをまとめておく。そう決めたよね」
「……うん」
 我ながら頼りない声が出た。
 ここで待ち合わせているのは、私たち二人だけじゃない。
 私たちだけでは不充分なのだ。
 時間はずらしてある。まだ来るのはずっと後なのに、私はすでに緊張している。
 顔を見るのは十年ぶりだ。
 あの頃は子どもだった。でもいまは、そうではない。私たちは二十歳を超えた。立派な大人かどうかは知らないけれど、一応は大人。
 だけど目の前の男を見ると、どこのだれが大人なのかと思う。珍しくネクタイなんか締めてて、おしゃれのつもりだろうけど笑っちゃうほど似合わない。し慣れてないのが一目瞭然。結び目もなんだか変。男子はたいがい、ネクタイを締めれば男ぶりが増すものだと思うけど、こいつに限っては犬の首輪みたいに見える。
「さあ、どこから始めようか」
 サナオは手をすりあわせて無邪気に目を輝かせた。私は言う。
「やっぱり、和枝(かずえ)が学校来なくなったところからじゃない」
「ああ。そうだね」
 サナオはパソコンのキーボードに手を置く。なめらかに文字を打ち込み始める。私は訊いた。
「ねえ、十年前のカレンダーって出せる?」
「うん。ネットにつないであるから」
「たしか、祝日明けだったんだよね。あたしがおかしいって思い出したの」
「あ、そう。……出たよ。九月十七日が敬老の日だから、この辺り?」
「そうね」
「そかそか。和枝って夏休み明けから、ほとんど来なくなったんだもんなあ」
 そのときふいに、私は思い出す。
「遙ちゃん」
 私を呼んだあの声を。
 十年前、十一歳の私の耳が聞いたあの言葉を、鮮やかに。
「あなたにしかできない」
 彼女はそう言った。
 そして私は震えたのだ。

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はざまにある部屋

沢村 鐵

770円

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沢村 鐵

http://www.t-sawamura.net/ 最新作は『極夜1 シャドウファイア』(8/9 発売。祥伝社文庫) 多分野の小説を執筆。 ◆ここに公開するのは、たまたま本になっていない物語群◆ 傾けた情熱は出版されたものと同じです。楽しんでいただければ幸いです。
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