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諦 (あきら) める = give up + clear vision

AKIRA: 諦 (あきら) める = give-up + clear vision

「諦める」 (あきらめる) という言葉があります。非常に味わい深いなあ、と思ってしまう(漢字のつくりからしてもそうですが、言霊的にも) この言葉は元々、「あきらかにする」 という意味。 一般には、釈迦(Gautama/Buddha)が悟った真理は、四諦八正道であると云われていて、四諦(したい)とは苦諦(くたい)、集諦(じったい)、滅諦(めったい)、道諦(どうたい)で苦悩の原因 (四つの真理) についての分析であり、八正道はその解決法であり中身は道諦の内容とされています。

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四つの真理とは、

(1)苦諦 : 一切は苦であるという真理

(2)集諦 : 苦の原因についての真理

(3)滅諦 : 苦の滅尽についての真理

(4)道諦 : 苦の滅尽の方法

の四つをさします。

実際、辞書をひもといてみると、「諦観(ていかん)」について

1. 物事の本質を明らかに見通すこと。(clear vision)

2. あきらめること。(resignation)

とあり、 #1 で「あきらか」「める」との語源の意味が残されて居ます。

実際にわたしたちは、何か対象に対してどうにかしようという行動や衝動や気持ちを諦めなければ衝動の中に潜む「偏見」「思い込み」を排除して覚りの境地に到底達しえる事はない、とも言えますし、リラックスして本来の自分に戻って行くことが覚りへと向かう道である、とも言えます。「帝」が「言」う(「言う」は「悟って他に発する」)に至る境地への過程、と捉えるのが妥当でしょう。

四諦は、人間にとってはこの世界の一切が苦である事を悟り(苦諦)、苦が様々な悪因を集起したモノであるという事を悟り(集諦)、苦は滅する事が出来ると言う真理を悟り(滅諦)、そして、苦を滅する為の修行(八正道)というモノが世の中に有るという真理を悟る(道諦)、と言う、四つの<真理の悟り>と言う事になります。

invisible -> visible ... 目に見えないものを目に見える形へ ・・・ 私たちの人生はこの「あきらめ」の中で、<苦>を明かしていく事、の繰り返しに過ぎないものなのかもしれません。

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追記:

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