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【努力とは】日本人は努力の総量が足りないのか?

私はたえず喜びを求めながら生きている。そのための苦労には精一ぱいに耐える努力を惜しまない。出典 本田宗一郎(本田技研工業の創業者)

http://toyokeizai.net/articles/-/17073

1980年代、学生運動が失敗した後くらいからだと思うんですけれど、日本では一生懸命にやるのがカッコ悪いという風潮が出てきましたよね。努力を見せず、軽くこなして成功するのがカッコいいというような。その影響も多分にあるのかなと思いますね。米国には、まだ一生懸命にやることが成功につながるという伝統が息づいていますから、1つのことに没頭したり、寝食を忘れて集中するということに偏見はありません。- Joi Ito <伊藤穣一氏>

努力の総量だけでなく、無駄な努力の相対的な割合が高いのが現在の日本の大問題です。

小中高の努力量は世界のどこと比較しても負けないと思います。日本という超特殊な言語を取得するのは矢張り大変でしょう。然し、問題はその後です。

ここまで高度に発達したIT社会だというのに、過去6年間かかった小学過程があいもかわらぬ状態で6年を当たり前と考えているのが問題。教育学者の怠惰と教師の無能が根本原因。MOOC(ムーク:大規模公開型オンラインコース)も視野に今後は入れる事が出来るでしょうが、矢張り、教室内での教育はまだ今のところは重要でしょう。

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私は、「教育」も「ラーニング」も、併存できると考えています。択一論ではなく、併存論。今までの教育を6年ではなく4年でやって、残りの2年をラーニングに回せばいいのです。IT社会なのだし、戦後の教育法の蓄積だって、何十年分もあるのだから。

私は、子供見たら、大体、「勉強しなさい」(Study Hard!)と言ってしまいます。世界中のどこに行っても同じ事。条件反射だ、しゃーない(笑)。まあ、実は、「勉強しろ」と言われる意味もないし、言う必要もないと思うのですけれどもね。習慣作りは、小さい頃から。小さい頃からの習慣は、一生続きますので、早い段階で習得すれば、人生が何倍にもお得になるのです。

ただ、「勉強しろ」と例えば親に言われて「お前(注:親です^^;)に言われなくてもしてるよ!」と、反論できない位であれば、真の意味で「勉強」をしているとは言えないと私は考えるのです。

今の殆どの子供たちは、「これから勉強します」と<誤魔化す>だけではないでしょうか?私は、親から勉強しろと言われたことは皆無です。寧ろ、「”バカせ” になるから、するな!」と茶化されてたくらいですよ?orz ... とは言え、もし当時言われていたなら「貴方の方が、私より勉強しなさい!」と言いかえせる自信はあったのだけどな!

毎日、アニメのビデオを見まくったり、ファミコンやセガばかりやっていた気もするのですが。中学は、特に、ドラマとものまね番組をいつも・・・(笑)。然しながら、一晩かけてドラゴンクエストをクリアしたら、その次は遊びとして勉強していました。。。そういうバランス感覚は人生で大事です。

努力を努力だと思わなくなるくらいに努力する事を当たり前にしましょう。

成功している人と言うのは、

「一生懸命努力して普通の人を卒業した人」

です。

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起業家イーロン・マスク氏が、卒業式のスピーチで、「成功するための条件」に「週に100時間死に物狂いで働く事」を挙げたのだそうです。

成功するために週100時間働くとはどういうことか

https://newspicks.com

名うての起業家イーロン・マスクが卒業式のスピーチで成功するための条件のひとつとして「週に100時間死に物狂いで働け」と言ったそうだ。 もちろ

こういう事を聞くと、「え?1日14時間?それは無理」と思われるのかもしれません。

然し、実際は、この位の時間は平気で作れます。

私が、過去に、営業利益一人で数千万円稼いだ前の年には、「tail -f httpd.log」などを駆使して、月間300万ページビューあった個人運用サイトのウェブサーバのアクセスログ(Apache ログ)をひたすら見続けていました。解析されたグラフ (例:WebAlizer) も同時に観ています。当時はお金になっていなかったので無意味な作業だったのかもしれませんが、そういう「活動」を、仕事としてカウントすれば、100時間は実は軽く超えます。勿論、カウントしなければ0だったのかも知れません。

「努力の総量が足りないのか」については、日本人論として、ある程度楽観視しています。努力のベクトルが不定で、たまに相殺する事さえあるだけかなと。「絶対値」ベースで言えば少なくとも私よりも前の世代は、世界レベルでも負けては居なかったのではないでしょうか。

情熱を捧げる事の出来る事を当たり前と出来る事を「見つける為の努力」を通じて、線形代数ではなく幾何級数の「努力の成果」を皆さんで出していただきたいものです。 (^_^)v

努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない。 出典 王貞治 (臺灣国籍 元プロ野球選手・監督)

((つづく))

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