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子供・平等・スラム街

昨日の話。いつも行ってるバンコクの食事場所。大体4人の女の子(児童)といつも一緒になるんだけど、今日はたまたまスラム街で配ってあげるための「モノ」を手に持っていました。旅行中(と言うか昨日スラム街に行った後に旅行しました)に20バーツショップで見つけたので折角だからと言うことで。2人が欲しいというので、父親がそれを察知し、40バーツのモノを20バーツにして、二人分、売ってあげたわけです。合計40バーツのKITTYノートとカラフルペンシルですが、元々、子供たちにあげるために買ったのであって、差し上げても良かったんだけど、面倒なので20バーツで、と言う事で2人分。後で来た子たちも欲しがったので、「後でね」とタイ語でも謂えなかったので、まあいいかと、差し上げたら、その後、彼女ら4人がぎくしゃく。後で来た子に、タダで上げたと思われたからと言うのもあったのでしょう。まあ、その親は直ぐ近くの別の場所で仕事してたし、後でどうにでもなると思っていたわけです(実は4人分は差し上げてもイイと思ってたレベルでしかありませんが・・そもそも、近所のスラム街にまた今度行くときの為に買ったわけで)。カラフルペンシルをいじわるに落とし始めたり、お姉ちゃんが泣き出したりして大変。更なる、いじめに発展しかねなく。2人の姉妹が(特に姉が)、いじめられてしまったのようで泣き出してしまったので、仕方ないので、抱きかかえながら、皆を切り離して、その子たち(姉妹2人)の親元へ。まあ、彼女らがドールに「も」興味を持ち始めてがさごそやったのが悪かったのではあるんですが。こちらは平等に、と思って工面しようとしても、子供なので、言うこと聞かない。気を遣って、「平等になるように」、私の様な”大人”が、「スラム街ではない普通のバンコクの子供に」配慮しても、こうなるのだから、兄弟げんかにせよ、仲間内の喧嘩にせよ、本当に大変だよなと、改めて思ったわけです。平等になるように、幾ら配慮しても、喧嘩は起こる。 「モノ」のせいで。 暗澹とした気持ちになってしまいました。

昨日と一昨日、バンコクの一番有名なスラム街に行っていました。まあ、写真撮ってあげたかったのもありまして。

スラム街とは言え、子供たちの「服」は、既に、他の貧しい国の子供たちより満たされています。ベトナムの田舎の子供とか見てるから、綺麗かきれいじゃないか位は解るでしょ、流石に。然し、足元は、泥だらけ。皆のたまり場には、(今は乾季だけど)雨季の水たまりがあってまだ水が引かず、「ジカ熱」どころの騒ぎじゃない。

まあ、そんなこんなを思ったです。スラムに行くまでに「平等になるように」ストックしておこうと思ってはいましたが、改めて。同じものを大量にストックするのって結構大変なんです(喧嘩しないようストック)。親が「買ってくれる」、満たされている「近場の子供たち」ですら喧嘩するのに、ましてや・・ってところはあるのですよね・・。


<新興国のスラム街と写真~時は流れないそれは積み重なる~>

(以下、投げ銭)

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