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猫になりたい

サッカーの元日本代表で、今年は我が鹿島アントラーズのコーチに就任した岩政さんの話がとても面白くて好きなのだが、以前何かの番組で話していた「将来の夢」についての話を聞いてなるほど、と思った。

「いつからか、将来の夢を聞かれた時に、ほとんどの人が”なりたい職業”を言うんですよ。夢って、別に”やさしい人になりたい”とかそういうのでもいいはずなのに」

たしかにそうだな、と。

ずっとモヤモヤしていたことがスッキリとした気分だった。

いつから人は、労働こそが正義みたいになってしまったのだろうか。
戦後の教育がそうさせてしまったのかもしれない。
そもそも国民の三大義務に、勤労が入っている。

なるほど、日本の社会のしくみ自体が、”働くことは生きること”みたいになってしまったのだ。

働くことに幸せを感じている人はもちろんそれはそれで素晴らしいと思うし、何も悪いことではない。
問題は、食うためにやりたくもない労働を嫌々して、しかもそれに費やす時間が人生のほとんどになってしまっている人。

まぁそれでも最近では働き方改革だ、なんて言ってひと昔前よりは、休みは権利として認められてきたし、少しはマシになってきているとは思うが、まだまだ、例えばyoutuberなんていう職業は、好きなことやって楽に稼いで(実際は相当大変かと思うが)けしからん!なんて言うおじさんおばさんは多いし、勤勉こそが偉いとか望ましいとか、そういう価値観が根付いていて、相変わらず生きづらい国だな、と思う。

その点でいえば、今の若者はとても柔軟な考え方をもっていて、多種多様な生き方を選んでいていいなぁと思う。
もしかしたら、”テレビ離れ”がとてもいいのかもしれない。
テレビはまるでそれが当然に”正しい”かのように、色んな物事を巧妙に映し出す。悪く言えば簡単に洗脳できるシステムである。誰かにとって都合のよくなる情報を操作して垂れ流す。
特にニュース番組や情報番組と呼ばれるものはその傾向が強い。

これだけ世界からも、勤勉大国としてその真面目さを認められているにも関わらず、こと生産性については、世界の中で下から数えたほうが早いなんて。

良い意味で、もっと適当でいいのでは?と思ってしまう。
これから先は、AIに仕事を取られてしまう!なんてまるで危機感みたいな意見をたまに見かけるが、機械ができることなら、機械に任せて人はもっと楽すればいいじゃないか。それのなにが悪いことなのか。

一生懸命働かなければいけない!という強迫観念のようなものにしばられたまま、この短い人生を終わらせるのは私は嫌だ。

のびのびとノロノロと、生きていたい。

そう、我が家の猫たちのように。


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