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#47.【短編】You and me

秋めいた時節が過ぎ本格的に肌寒くなる季節が始まる。年末に向けて気分が高揚していくのは、厳しい寒さやそれ故に感じることのできる暖かさ、そうした四季の機微に満ちた味わいを享受できる喜びがあるからだろう。

先月、遂に日本への帰任の辞令が出た。約5年に及ぶ駐在生活も終わりを迎える。「やり遂げてきた」という充足感と「やり残した事は無いか」という焦燥感が共存する形容し難い心持ちだ。数え切れない失敗や挫折を経て学んだことを総括するならば「思ったよりも世界は狭くて広い」というところか。後は数人の大切な友人ができた。5年間の奮闘の対価としては決して悪くない。上々だ。

最近知り合った女性がいる。偶々入った近所のスパで担当についたのが最初の出会い。会話が弾んだので、2回目で指名し顔なじみとなり、3回目の時に連絡先を交換して、それからプライベートで遊びに行くようになった。チャーミングな愛嬌のある彼女は北部の地方出身で、ダンスとシーシャと美味しいパンが好きな20代前半の闊達な女性だ。

ある時彼女が初めて家に来た。近所のレストランで一緒にランチを食べ、カフェを巡り、そのまま夕食の買い出しをして帰宅。彼女は菜食主義者ではないので、蒸し鶏とアボカドのサラダ、角切りのベーコンを控え目に入れたポトフ、それから小エビとツナのトマトクリームパスタを作った。誰かと一緒に台所に立つのは久しぶりだ。誰かの為に料理を作るのも、誰かと家で過ごす時間に心地良さを感じることも。

夕食を終えソファーに座りコーヒーを飲んでいると「タバコを吸ってくるね」と言い彼女はベランダへ出ていった。「Ok」と言いコーヒーにミルクを足していると、

「Come」

とベランダから呼ばれたので、カップをテーブルに置き外へ。彼女の横に並びしばらく無言で遠くを見ていた。吐く息は白く、淡い揺めきを残し消え去る無音の叫びが潔い。静寂に包まれた変哲の無い景色も、いつもとはどこか違って見える。

「あなたは吸わないの?」

と聞かれたので、答える代わりにタバコを持つ彼女の手を引き寄せ、口に含みゆっくりと吸い込む。うまく馴染まず「これが人生で初めて」と言いながら咳込む自分を見て小さく笑った彼女は、再びそれを吸うと後ろのコンクリートの壁にグリグリと押し付け火を消した。

風が出てきたので、彼女が2本目を吸い始めた時にダウンを取りに部屋の中へ。ベランダへ戻り、それを彼女の背にかけそのまま後ろから抱きしめた。どれくらいの時間そうしていただろうか。ゆっくり身体を離しそのまま顔を近づけキスをした。タバコの匂いが混じる口づけは、柔らかく深い大人のキスだった。ほどなくして、彼女は1本目のタバコを消した場所の横に2本目を押し付けた。そして、無機質な壁に浮かぶ2つの黒く小さい丸を指しながら

「You and me」

と言い無邪気に微笑んだ。小気味良い彼女の愛おしさにつられて僕も笑った。

部屋の中へ戻り、手を取り指を絡ませながらベッドへ向かう。暗い部屋の中をスタンドライトの光が淡く包み込む。ベッドに腰掛けじっと見つめ合い、どちらともなく顔を近づけ再び唇を重ねる。次第に求め絡み合う舌に感覚を委ねていたが、

「Come on」

と彼女が耳元で囁いたのを契機に激しく求め合った。情熱的で深い海に蕩けそうな彼女とのセックスは、単に肉感的で刹那的な満足感だけを得るものではなく安心感があった。自身を曝け出せる信頼感。身体の相性とセックスの相性は似ているようで全然違う。

2回目を終え部屋の電気を点ける。彼女の左肩には小さなタトゥーがあった。

「忘れたいけど忘れたくないことって、きっと誰にもあるでしょう。どうにも乗り越えられない悲しみとは、共に生きていくしかないわ」

と彼女は言った。どうやら1年前に死別した子供の名前を入れているらしい。成熟した悲しみと、逞しく生きている力強さを宿す瞳は美しかった。

そのままベッドで微睡みながら、日本への帰任が正式に決まったことを伝えた。言葉を探りながら伝えた僕の話を、彼女は黙って、時折り節目がちになりながら聞いていた。話を終えると、彼女は一言「仕方ないわよね」と言った。力なく笑う彼女の肩をそっと抱き寄せた。彼女は声を押し殺して小刻みに肩を震わせていた。つられて僕も上手くは言えない何かを発していた。所在無く交差する感情がそのまま口から出てきても、どうやらそれは言葉の体を成すには些か物足りない。

そのまま2人で眠り朝を迎えた。カーテンを開けると、穏やかな日差しが爽やかな1日の始まりを伝える。彼女は既に起きてベランダでタバコを吸っていた。ジーンズを履いて外に出る。横に並ぶと彼女は無言でタバコを差し出してきた。一口吸う。やっぱり上手くできず咽せてしまった自分を見て彼女はまた笑った。そこで最後のキスをした。

支度を終え玄関を出る凛々しい彼女の後ろ姿に見惚れながら、気付かずにいたい余計なことを言いそうな自分のズルさをぐっと噛み締めて、最後に「Thank you」と言葉にすることができた。5年間で得たものは、そう単純なものばかりでもないようだ。

End.




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