子供には調子に乗って欲しい

「調子に乗る」というフレーズは、本来ニュートラルなものかもしれないけど、個人的にはネガティブな印象がある。もうその時点で私の気質がわかろうというものだが、自分のことはさておき、その反対のことをこれからの子供には期待したい。

立場は人を作る。という。平たくいえば、優れた性質をつくるのは立場であって、その人自身の能力では必ずしもないということだ。よく言われる言葉の中でも、相当の真実だと思う。言い換えると、ある立場に立てたのかどうか。というちょっとした違いがその後の人格形成に大きく影響するということだ。

繰り返すが、その理解はとっても真実を付いていると思う。私の経験からすると、一般に1流大学と1.5流大学の学生の品質的な差はそれほど大きくない。だが、それ以上に違うのは、1流大学にいる、あるいは1.5流大学にいるという事実がその学生の意識を決定したりする。(もちろん、存在自体が統計的外れ値に相当するような超一流の人はまた別である。)

そういう例外を除いた一般人にとって、とどのつまりは、人生とはそのような自己意識を形成させるためのイベントの連続なのだ。現代では個人の学習面では、武力よりも学力が優先されるからその典型は受験であり学歴の形成である。しかし、そのことはそのような形式的なものだけではない。

もっと、人間臭い日常的な出来事。例えば人の意見を聞くかどうか、何気ない人間関係の中で隷属するか、支配するか。そういう経験の連続が人生であって、その中で良いポジションを得た人の能力が伸びる。人生とは要するにその程度の簡単な事なんだ。だから、特に人間的な円熟味を要求されない若い時分には、性格のもつ影響が決定的である。

言い換えれば、そういう意識の形成に、先天的な性質が決定的に影響すると思う。前向きか、楽天家か、とか他人の痛みにどこまで鈍感か?とか、そういう性質が強い人は、人の上に立ちやすいのだろうと思う。もっとも、他人の痛みに鈍感な人は、ある程度の年齢になると、組織の中では必ずしもうまく立ち回れるとは限らないのだが、それでもうまいこといけばカリスマとして崇められたりする。新興宗教の教祖などだいたいそんな感じである。

だから、自分の子供達にはぜひとも調子に乗ってほしいと強く願う。自分の心の何処かに謙虚さを保ちながら、大枠として自分は天才だと思いこむこと。そんな自信の持ち方ができるような子供でいて欲しいし、私自身、そういう子供の自信形成にプラスになる父親でありたいといつも願わずにはいられないものだ。



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