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私は31年前に15才で単身東京に出てきました。最初は仕事も続かず金も住む所もなかった時…

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私は31年前に15才で単身東京に出てきました。最初は仕事も続かず金も住む所もなかった時期を経て、妻をもらい家を買い三人の子供も育てあげました。あのどん底な状態からよくここまでこれたなと、思いおこせば奇跡としか言いようがないですし、こんな人生にただただ感謝しております。

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    30年前。 中学を卒業すると、親は俺の面倒を見る気がさらさらないので単身東京に出てきた。仕事も続かず、金もない。フラフラと荒んだ生活をしていたっけ。 「俺、将来ろくなものにならないだろうなあ」と◯◯◯◯を◯◯ながら絶望的な気持ちで涙流して天井を見上げたあの頃の 15才の俺に教えてあげたい。 お前、けっこう面白い人生を歩むよと。

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      私は母が嫌いだ。 私が小学生1年の頃、39年くらい前。 教師だった父はギャンブルでサラ金に多額の借金をつくり 母と離婚。私は母に引き取られた。 とにかく温厚だった父に対し母は気性が荒くヒステリックなので 6才の私はできれば父に引きとられたいと思っていたことを はっきりと覚えている。 【父につくか母につくかを当時の私が決めたことになっている】 たしかに私が決めた。 それなのになぜ母についたのか。それは ある日、母と二人きりの時に 「お父さんと別れることにな

      • 東京砂漠

        30年前のあの日。よく思い出す場面なんだけど、 ろくに飯を食べていなかった俺は、最後の100円を握り締め、コンビニのインスタントラーメン売場に15分くらい立ち尽くしていた。 当時一番安かったチキンラーメンにするか、それと同額のカレーうどんにするか15分迷っていたのだ。 チキンラーメンかカレーうどんか。16歳でホームレス寸前だった俺にはそれほど重大なことだったんだ。

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