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からだ思考

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からだについてかんがえる、あたまのなかを書いています
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#MovementLab

「子ども」と「道具」と「運動発達」

「子ども」と「道具」と「運動発達」

「この道具は使っていい道具ですかダメな道具ですか」という質問をよくもらう。例えば「食事のときにピンセット型の練習箸を使ってもいいですか」などの具体的なものから、「抱っこ紐ってどうですか」などの漠然とした疑問まで、「子ども」と「道具」をめぐる問いかけは尽きない。そういう質問を受けたときに考えていることが、意外と運動能力の本質と繋がっているような気がしたので文章にまとめてみたいと思う。

万人にとって

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暇な子どもたちは未熟なホモ・サピエンスから成熟したホモ・ルーデンスとなった

暇な子どもたちは未熟なホモ・サピエンスから成熟したホモ・ルーデンスとなった

自粛生活ではたと気づいた都会の子どもは忙しくて、土日に誰かと遊ぼうと思ってもみんな習い事に行っていたりサッカーの試合だったり、親と一緒にお出かけしたり、基本的にはどこにも誰もいなくて、もれなく我が家もそれを前提に家族の予定を入れていたりしたので、ずっと、暇とは無縁だった。

それが、毎日保育園もなく、土日も平日も関係なく、家にいていい何してもいいってことになったので、親はともかく子どもは暇になった

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規則正しい生活と運動は心身を守る 〜2日で1000人以上集まったコミュニティへのお誘い〜

規則正しい生活と運動は心身を守る 〜2日で1000人以上集まったコミュニティへのお誘い〜

 子どもを育てて5年。心から実感していることがある。規則正しい生活と、十分な運動と、空腹を感じてからの食事と、たっぷりの睡眠、これらが満たされると子どもは心身健やかである。

 きっと本来は大人も同じなのだろうと思う。ただし大人はもっと複雑な社会環境の中に生きているので、規則正しさも、運動に割く時間も、食事のタイミングや量も、睡眠でさえも、コントロールするのが難しかったりする。

 COVID-1

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子どもの邪魔をしない教示とフィードバックについての一考察

子どもの邪魔をしない教示とフィードバックについての一考察

運動学習、という学問のテーマがある。英語だとmotor learning(そのままだ)と呼ぶ。最近はスキャモンの成長曲線とゴールデンエイジという言葉への誤解もそこかしこで生まれているが、運動にしろ勉強にしろ、とにかく詰め込めばいいというのは大きく間違っていて、「効果的に、あとできちんと応用できるように」運動を教えるというのはひとつの大きな課題であるという認識のもと、運動学習の様々な視点について昔か

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死についてのひとつの考察としての魚の最期

 いま、この、『分解の哲学』という本を読んでいる。食べることについての本を何冊か選んで読んでいた過程で、amazonのオススメリストに出てきた本だ。食を扱う分野では発酵が注目を浴びて久しいので、表題の通り分解の話もその流れの下流(あるいは上流)にあるのではないかと思ったのだが、ところがどっこいこの本は食べ物の本でもなんでもなくやっぱり哲学書なのであった。

 この本を読み始めたとき、ちょうど自宅の

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こちら側をあちら側に差し出しつづける、ということだ、生きるということは

こちら側をあちら側に差し出しつづける、ということだ、生きるということは

わたしは理学療法士なので、ひとの爪が切れない。
理容師とか医師とか看護師とか鍼灸師とか、ひとに刃物(や針、や火)を当てることができる職業というのは限られているのだ。

けれども患者さんの足の爪が割れていたり、それを痛いとか不快だとか思って訴えが強い場合には、ご本人や家族にわたしの職業の限界をきちんとお伝えした上で了承を得て、手の届かない(あるいは手先を使えない)本人の代わりに、または目の悪い(ある

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「視覚」と「運動」の関わりは新生児期を土台としている

「視覚」と「運動」の関わりは新生児期を土台としている

少し前に『眼の誕生 ーカンブリア紀大進化の謎を解く』という本を読んだ。眼と言えば感覚器官の代表格で、わたしたちの社会の大部分は視覚を持ち合わせていることを前提に作られていると言っても過言ではない。

むかし病棟に勤務していた頃に、視覚を失った患者さんに出会った。糖尿病で50代で視力を失ったその患者さんは、世界を、文字通り「手探り」で確認していた。

その患者さんが病棟内で生活できるように工夫しよう

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「感覚を大事にする」と「生きやすくなる」

「感覚を大事にする」と「生きやすくなる」

五感(視覚、嗅覚、聴覚、味覚、触覚)=感覚は五つである、と定義したのはギリシャ時代の哲学者アリストテレスだ。現在ではこの5つの感覚は「古典的な五感」などと呼ばれている。

現在は、感覚系の種類は大きく以下の6つに分類されていて、それぞれの系が受け取る刺激の種類は多岐に渡ることがわかっている。(カッコ内はそれぞれが感知する刺激の種類だ。)

視覚系(光(光子))
聴覚系(音(圧力波))
前庭感覚系(

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エビデンスと経験値の間

エビデンスと経験値の間

先日、友人がこんな質問に答えていた。真摯な答だ。

さて、小学生は筋トレすると背が伸びなくなるのだろうか。コメント欄を見ると、これではよくわからない、もっとエビデンスを出せ、調査しろ、とある。なるほど読む側はそう捉えるのだなと興味深かった。

では「小学生は筋トレすると背が伸びなくなる」の信用に足るエビデンスとは何であると考えられるだろうか。

今の科学的アプローチの条件で一番信頼性が高いと言われ

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飽くなき夢の行き着く先は翼か義足か

飽くなき夢の行き着く先は翼か義足か

人間に機械のインターフェイスを取り付けて計測するような実験をしていると、機械に対する人間の不具合にも気づくようになる。筋の電位ひとつを計測するのにも、生きているこの身体が産生し続けている皮膚の角質が邪魔でヤスリで擦り落とす。汗をかくと接触面が不安定になるので実験室の温度は低めに設定しなければならない。生きている自分たちの身体に興味を持ってはじめた計測が、いつしか生きていることの一部を排除していかに

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わたしたちの生きているサインはいつも誰かにdetectされている

わたしたちの生きているサインはいつも誰かにdetectされている

雪の残る山へ、出かけた。一晩泊まって明けた朝、道の脇にポツポツと雪の凹みがあることに気づいた。夜は雲もなく月がきれいで、前日は晴れて木の枝にはりついた雪や氷が溶けて水滴を垂らしていたから、そうかなどうかなと思いながら近づくとどうやらそれはやはり動物の足跡だった。

夏頃、森の中に落ちていたオニグルミの実が齧られていて、リスが食べたのかなと想像したのだけれど犯人はわからずじまいで、もしかしたらネズミ

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火傷をしたら温める、を試してみた(自己実験)

火傷をしたら温める、を試してみた(自己実験)

どのくらい前だか忘れたけれど多分1年か2年前に、twitterで「火傷をしたら温めるという民間療法がある」というのを読んだ。一般的に火傷をしたら流水で冷やせ、というのが常識なので衝撃的だった。

「火傷をしたらアロエを貼る」という民間療法もあって、これは知っていた。というか実際子どもの頃に貼られた。が、これのそもそもの目的は、熱傷部位(火傷は医療用語では熱傷(ねっしょう)と呼ぶのでここではあえて)

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バタフライ効果をもやっと考えて運動の制御になんとなく行き着いた

バタフライ効果をもやっと考えて運動の制御になんとなく行き着いた

バタフライ効果、という言葉にはなんだか魅惑的なSFチックな響きを感じる。わたしの記憶にあった北京とニューヨークは、この効果について提唱したローレンツのもともとの表現ではブラジルとテキサスだったらしい。他にも中国とカリブ、にも変換されたりしているらしいけれど場所はどこでも良くて、兎に角、一羽の蝶の羽ばたきが遠く離れた場所の嵐を引き起こすか?という「はじめのわずかな変化」が「最終的な大きな影響」になり

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全ては細胞の脱分極から始まる、と考えると、また世界が変わる、かも

全ては細胞の脱分極から始まる、と考えると、また世界が変わる、かも

先日餅つきをしていて、出来上がった大福餅を並べながら、どうしてこれ綺麗に並べたくなるんだろう?と考えていました。
実際的な目的としては数を数えやすくするため、なんですが、そうなると数のための整列ということになるなと。けれどもわたしたちには感覚的に整列していると美しいとか気持ちがいいとかそういう動機も備わっている気がしますし、自然界にあるフィボナッチ的な整列に至ってはそれがロジックと対照的なアートで

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