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本当は全部やりたかった、けどできない、ので、できることだけやることにした

わたしのまわりにはびっくりするような素敵なお母さんになった友達が何人もいる。かわいくて、料理も美味しくて、お出かけするときはオシャレで、子どもの話を聞き、夫との関係も良好で、趣味もあり、楽しそう。もちろん仕事もしている。

子どもが生まれて愕然としたのは、わたしには余裕がないなあということだった。

もともと真夜中のひとりの時間が好きで、友人と集まったり、仕事したり勉強したり、なんというかとっても「ひとりで満足」な人生だったから、「誰かに合わせる」ということをあまりしないで生きてきた。今でも苦手だと思うし、昔から一貫して苦手だ。

だから自分の生活を子ども向けに合わせるのに苦労した。

そもそも、毎日子どもに着させる服を考えたり、子どもの昼寝の時間に合わせて生活を組み立てたり、季節に合わせて持ち物をアップデートしてあげたり、そういうことに心身のエネルギーを吸い取られているのだ、と気づいた。そういうことを「世話する」ことがそもそも苦手なのだ。

苦手なものに囲まれて、絶対に逃げることができない。それがわたしの子育てだな、と思った。(今も思っている。)


0歳の頃は夫が単身赴任だったし、親は気軽に来られる距離じゃないし、やっと見つけて運よく助けてくれることになった保育ママに子どものことを任せる、しか手がなかった。苦手なことを助けてもらえる、ってなんてありがたいことなんだろう、と思った。

自分だけでは組み立てられない日々の規則正しい生活を、保育ママに預けに行く中で少しずつ学んだ。そのため母乳育児を諦めたり、子どもの初寝返りを見損ねたりしたけれど、そういうことよりも「毎日健全に笑顔で楽しく子を扱ってくれる大人が(自分以外に)いる」という宝を得た。

子育ては誰かに頼らないとわたしはやっていけないな。と実感した。


一番近くにいる大人が、健全に笑顔で楽しくある、というのは、子にとっての大切な環境であるように思う。逆説的ではあるけれど、だからそのためにわたしは子どもを預けた。

さらに、0からもっと大きくなって、子どもに「意思」という名の人間らしさが芽生えてから、わたしはもっと「親としての心と生活のコントロール」を要求されたので、預けるだけでは健全な笑顔と楽しさを維持できなくなり、常勤の専門学校教員という仕事を辞めた。

働きながら、自らの生活も子どもの生活も真っ当にコントロールでき、笑顔で楽しく生きる。わたしにはそういう自己管理能力がなかった。

その中で捨てられるものは仕事しかなかった。と思う。


<ネガティブな言い回しが増えてきた。ポジティブなことを書きたかったのに。無理矢理ポジティブに戻そう。>


そんなわけでわたしは「自分が得意なこと」で生活することにしたのだ。どうせ苦手なことに囲まれた子育てなら、笑顔で楽しくやれることを増やそうと思ったのだ。

教員の仕事は好きだし情熱もあったけれど、どうしても担任業務や学校運営に関わると時間をたくさん必要とするので、教える仕事だけ、非常勤や自営として得意なところだけ、できるようにした(というか周りの人がそうさせてくれた)。

子どもの生活の管理や物の整理なんかはすごく苦手で時間もかかるので、仕事を辞めてできた時間をあてることにして、家事は夫に半分任せている(というか夫の方が家事が得意だ)。

子どもが好きそうなことで自分も好きなことを目一杯やることにした。自然の中に出て虫や植物や動物に触れたり、それらを飼育したり、本を一緒に読んだり旅行したり、そういう苦にならずにやれることを一緒に楽しむことにした。

今は楽しい。毎日子どもと笑って過ごしている。

そしてわたしは心の奥底で、はやく自立してねと思っている。そうしたらわたしは子育ての苦行部分から抜け出せる、と思っている。(だからわたしの子育てのテーマは「自立とはなにか」だったりする。そして、今のこの、規則正しくよく寝てよく遊びよく食べる子どもの生活を支える毎日こそが、自立の第一歩と信じている。心と身体の自立。先は長く、ゴールは見えない。笑)


楽しそうでいいねって言われるけど、本当は、全部やりたかったんだよ。みんなみたいに。

子育ては劣等感との向き合いから始まって今も続いている。

(結局ネガティブに終わってしまった。)