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【勝ち筋見えず】

 見えねえ。
 なんも見えやしねえ。
 一昔前なら見えた筈のもんが、何も見えねえ。

 負けた時、負けそうになった時、俺には必ずビジョンが浮かぶ。
 ”こうすれば勝てる”っていうビジョンが。
 自分のこういうところを直せば、今度こそ負けやしないさ、明日なら勝てるさってビジョンが、絶対に浮かぶんだ。

 今はどうだ。
 何も、見えやしねえ。
 ヤツの太刀筋も、足捌きも、自分の予測でさえ。
 すべての動きがあいつの掌の中にあるみてえに、俺の動きは全て裏目に出る。

 刀の握り方が悪いのか?
 重心がブレているのか?
 強張っているのか?

 俺の脳はうんともすんとも言わない。
 違うぞ馬鹿野郎と、怒鳴ってもくれない。
 死を間近にして何もできなくなった爺さんみてえだ。
 その爺さんみてえな脳をいくら蹴っても、爺さんは何も言わない。
 あっ、とか、うっ、とか、そうも言ってくれない。
 もう運命は変えられないと言わんばかりに、なんもしない。

 それがひどく、胸の奥の火だけを滾らせる。
 身体だけは熱い。
 汗が止まらない。
 手汗も滲んでいる。
 足の裏がむず痒い。
 脇の汗っぽさも気になっちまう。

 集中できなかった。
 ただ、火だけが燃えていた。
 いや、もうその火は火種にもならねえ燃えカスになって、燻っているだけなのかもしれねえ。
 そうだとしたら。
 そうだとしたら、俺の情熱は。
 そんなものだったのだろうか。

 寒気がした。
 熱い身体も、滲む手汗も、ふっと蝋燭の火に息を吹きかけたみてえに、どうでも良くなった。
 恐ろしい。
 たったそんなことを思っただけで、俺の熱は消えてしまうのか。
 そんなちゃちな熱だけで俺は動いていたのか。
 そう考えると、全てがどうでもよくなった。

 勝ち筋見えず。
 そんなこと、どうでもいい。
 目の前に迫る刃を見ても、何も感じない。
 ただ、きらりと煌めく刃に映る花が、綺麗だと思った。
 彼岸に咲く花はあんなに美しいのだろうか。
 きっとそうだろう。
 迎えが来た。

 きぃん、と音が鳴った。
 まだ、目の前の男が見えた。
 おっさんだった。
 俺よりも一回りも二回りも超えた、年上の男。
 だがやつの瞳は燃えていた。
 その炎の中に俺はいない。
 瞳にさえ俺は宿してもらえなかった。
 こいつは、ただ目の前の俺を斬ろうとしている。
 まだ斬り足りない、とでも言わんばかりに。
 何がこいつを動かすのだろう?
 俺の何が、こいつからは逃げたくないと、こいつには殺されたくないと思うのだろう?

 俺はやつの刃を弾いていた。
 見えなかったにも関わらず、防御だけはできた。
 不思議な感じだ。
 動く屍ですらない。
 もっと別の何かが、俺の腹の奥にあった。
 俺が戦う理由。
 俺が死にたくない理由。

 ──そうだ。
 俺は、死にたくなかったのだ。
 当然のことだ。
 当然のことを、忘れていた。
 戦うことばかりに夢中になって、何のために刀を握っているのかを忘れていた。

 すべてじゃないが、見えた。

 勝ち筋見えず。
 それは変わらない。
 振り返ってみれば、いつだってそうだったじゃないか。
 俺は勝ちたいのではない。
 生きたかったのだ。
 強敵としのぎを削り合いたいのではない。
 強敵から完璧に逃げおおせたかったのだ。

 俺は、踏み込んだ。
 前へ。
 ヤツの瞳の炎に、俺が浮かび上がった。
 俺は刀を振り上げていた。
 酷い顔をしていた。
 顎が外れそうなくらい叫んでいた。

 ああ、生きたい。
 生きて人生を謳歌したい。
 それには、目の前のやつが、邪魔だ。
 ビジョンなんて知ったことか。
 閃きなんぞいらない。
 自分で考えて、自分で手繰り寄せて、自分でやれ。
 とにかくやれ。
 考えてやれ。
 やって、やって、やりまくれ。

 殺れ!

「見切ったり」

 静かな声が脳に響いた。
 綺麗な花なんか見えない。
 無が見えた。
 そこに、一筋の光が煌めいて通り過ぎた。
 無は瞬く間に赤に染まる。
 酷い赤色だった。
 野花でももう少し、良い色をしている。

 がつんと、赤にぶつかった。
 動けねえ。
 やつの足音が、徐々に遠のいていく。
 聞きまくっても何も見えなかった足音が、脳裏にやつの立ち去る姿を描いた。
 おせえよ。
 おせえけど、仕方がねえ。
 俺が気付いたのは、今まさにこの時だったのだから。
 あの男は俺より先に気付いて、やって、やって、やりまくっていたんだ。

「バランスだ」

 男の声が遠くで聞こえる。

「あまりに情熱的だった。情念深かった」

「勝ち筋は見えなかった」

「故に、殺した」

 冗談じゃねえ。
 何も答えになっちゃいねえ。
 だけど、それが、負けるということなのだと思えた。
 本当に負けるってえのは、こうも清々しいもんなんだな。

 次はやって、やって、やりまくりたいよな。
 何にも見えなくても、やりたいよ。
 そういう時間が、欲しいよな。




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