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2014年からのこと

メイドになってみて、そのあとメイドにバカハマりして、ドルヲタになって、秋葉原のメイドになって卒業した話。自分のために書いてる。

「メイドカフェ批評」

働いていたメイドバーのお客さんがコミケでメイドカフェの情報本を出すというので、コミケに潜入したすぎた私は、お願いしてイラストを描かせてもらい売り子をすることに成功した。
(ついでに変な地図を自分でもつくって売った。秋葉原でメイドになった後、コミケで私がつくった変な地図を私から買ったことがあるというメイドさんと出会った。)

力なくあげられた腕と描いたイラスト

2014年の夏コミでは「メイド評論」という狂ったジャンルがなかなか元気で予想以上にサークルがいて盛り上がっていた。
メイドカフェは飲食店というよりも「オタクジャンル」として捉えられていて、コンプ欲を掻き立てるのか店舗を網羅したような「データブック」が人気だった。
また、実際に行った時に事故らないよう、行ったことがある人が書いた「レポ本」も人気があった。
さらにメイドカフェにたくさん行ってジャンル全体に感じたことなどをまとめた業界本?も結構あった。
その全部が利益とは関係なく作られていて、みんな原価に関係なく自作の本を交換しあっていた。
自分の知らない世界だった。コミケは素晴らしいよね。そこで異色な本「メイドカフェ批評」と出会った。

堂々のタイトル

私は美術を勉強していた。美術の世界は良い作品を価値づけるのは批評家の仕事で良いものも良い批評がなければ流れて消えてしまう世界(異論は認めます)。
美術批評の本を読む機会がそれなりにあったことと、当時はアニメ批評やゲーム批評などのサブカル批評がとても流行っていたので、批評が身近だった。ニコニコ動画でゼロアカ道場を視聴し、文フリでこそこそと本を買っていた。
アニメ批評やボカロ批評はそれこそコミケや文学フリマでも島がありメイド批評よりもだいぶ多い数のサークルがいた。メイドカフェ批評は少なかった。(というかひとつしかなかった)
サブカルジャンルの中でも「メイドカフェ」や「アイドル」は批評が書きづらいと想像する。
アニメやボカロ曲と違ってそれらは「作品」ではないのでどこからどこまでが言及していいところなのかわからないし人の入れ替わりもあるし日によっても何もかも変わる。「個人の体験」がベースにあり主観的にならざるを得ないためレポートは書けても批評は難しい。
(アイドル批評はAKBの全盛期と共に一時期盛り上がったのでたくさん読んでたけれど、今は何もわからない。AKBは批評向きだったとは思う・・)

そこに「メイドカフェ批評」と名の付く本があったこと、内容もガチで、すごく良かったこともとても嬉しかった。
良い批評を読んだら、対象がもっと好きになる。自分が言語化できずにいたことをすっきりと文章にまとめてくれてある気がする。
熱い評論を読むと、自分の好きなものが肯定された気持ちになる。メイドカフェは、やっぱりいいものなんだって。

2014年に発行されたその本は、今読んでも面白いけれど、遠い分岐の先に来てしまった今では掬いあげられないものが多過ぎて過去のものになってしまった。
でもメイド喫茶が生まれた経緯やその後の展開、オリジナルでお手製で特別な場所だった「メイドカフェ」黎明期の高揚感が詰まっていて大好きな一冊だ。

また別の表紙のためにかいた絵。いろんな店のメイドさんが謎の円卓でワイワイしている。

シャッツキステ

「メイドカフェ批評」を読んで「シャッツキステ」を知った。
シャッツキステは2006年にオープンし、3年間の第一章「屋根裏」のあと、第二章「私設図書館」として14年間秋葉原にあった伝説的メイド喫茶だが、その同人誌を読むまで落ち着いた雰囲気のロングスカートのメイド喫茶、くらいの認識しかなくどんなお店なのか知らなかった。

(強い食べログがあったのでリンクを貼ります。)

私が働いていた中野の変なメイドバーは変すぎてメイド界の裾だったけど、「シャッツキステ」もまた孤高すぎてメイド界の際にあった。
もしシャッツキステがなければ、メイド界は違う進化をしたと思う。
メイドカフェは横の繋がりが強くてお気に入りの1店舗しか行かない人もいるけど「メイドカフェ」が好きでいろいろなお店を巡る人も多く、巡るお客さんが流行や常識や相場を作り、店同士が影響しあっている。

その結果として、喫茶店のようなお店も、テーマパークのようなお店も、ガールズバーのようなお店も「メイドカフェ」というひとつのジャンルに収まっているところが面白い。それらの境界は曖昧なようで強いけれど、お客さんやメイドさん(従業員)の流動は曖昧だった。

2次元から始まったメイドカフェが現実でどのように世界を維持していくのか?という難しい実践そのものがシャッツキステだった。
その難しいことを正面からやっているシャッツに憧れ影響を受けた中の人も多かったはずだ。
(誰しもが2次元になりたいんだから。)

大テーブルの絵

面白いメイド喫茶がきっとどこかにある

自分にとってシャッツキステとの出会いは、こんなメイドカフェがあるならまだまだ面白いお店がたくさんあるんじゃないか?というメイドカフェ全部への期待になった。
元々の旅行好きも相まって地方に行ったらメイドカフェを探すようになった。
コミケの仲間たちはそういう情報に詳しく、聞けばすぐにどこにメイドカフェがあるか教えてくれた。
名古屋の「シークレットチェンバー」福岡の「不思議博物館サナトリウム」、台湾の「月讀女僕珈琲」など期待通りすごいお店がたくさんあった。(まだまだある)

なんかわからないけど家から遠ければ遠いほど落ち着く。
生活から遠く離れるほどより純粋にメイドカフェだけを楽しめる。
その点で海外である台湾のメイドカフェは最強だった。メイドさんは台湾語を話すので何を話してるかわからないけど、メイドカフェのフォーマットがあればそんなのはハンデではなくむしろスパイスだった()
台湾のメイドさんはよく席の横で膝をついて漢字で筆談をしてくれた。久々に感じる感情「萌え」。

2015年ごろ、台湾のメイドカフェ「TSUKUYOMI MAID HUB」に日本でアイドル活動している台湾人のメイドさん「未来ちゃん」が所属していた。
日本でライブを観てひとめで好きになって、ワーキングプアのくせに年に4回くらい台湾に行ってライブを見たりお店に行ったりした。

台湾の平日の昼間に行くのが本当に楽しかったな。
未来ちゃんを推していた時が人生で1番楽しかった・・(2016年にアイドル活動終了)

月讀店内で歌う未来ちゃん。後ろの階段に座るオタクの幸せそうな表情にも癒される動画。

メイドカフェ全体のファンになり「メイド」という想像力の奥深さが大好きになった。
フィクションから生まれた「メイド」に正しいメイドなんてありえないから、どんどん概念が増殖していくのが面白かった。

メイドカフェのジャンル分けについてのツイートでクラシカル系のメイドカフェを「英国風クラシカル」と「和製クラシカル」に分けている人を見たのだが「和製クラシカル」、めちゃくちゃしっくりくる。
「和製クラシカル」には正解も王道も似合わない。最初から最後まで偽物だから面白かった。
遠く台湾でも「和製クラシカル」が根付いていた。

シャッツキステは和製クラシカルなのだろうか?
偽物の世界の中に本物の人間が自然に成立するような仕掛けのある世界。
硬派なセルフコラボカフェという感じ。現実に溶け込む。

シャッツキステの閉店

シャッツキステは2020年の11月に閉店した。コロナの影響と、他いろいろな理由が重なって閉店に至ったと読んだ。

まだ私が秋葉原で働いている時で、メイドカフェの全体像を形作る頂点の一つが欠けたような喪失感だった。
シャッツがない秋葉原ではお店でももう自分がやりたいこと、憧れていることはできないんじゃないかとすら思った。
プレイヤーとして関わっている時は、毎日慌ただしくしているうちに逆らえない大きな力に巻き取られて自分の好きなものが自分の腕の中でいつの間にか違う形になっていくんじゃないかと不安だった。
お客さんが喜ぶこと・メイドさんがやりたがっていること・お店の売り上げにつながること、3つの調整を小さい頭で考えて、自分がどうしたいかということを見つめる時間はなかったしお店のために必要もなかった。
そういう大きな力に抗うための聖なる神社がシャッツキステだった。近くにあるだけで勇気がもらえた。
私はシャッツキステとなにも関わりはないので全部イメージだけの話だけれど、閉店した時はそのくらい心細い気持ちになった。

メイドを選ぶ

自分がここまでメイドカフェを好きになったのはシャッツキステがあったからだった。ねむきゅんとシャッツキステがなかったら今とは全く違う生活をしていたと思うと、人生〜となる。
大人になった今、自分が選んできたものに囲まれている。
後ろには選ばなかったものが無数に転がっていて中には選びたくても選べなかったものもたくさんあるけど、自分の選択と一緒にいられることが、自由とか自立とかいうものなんだろうか。

私は1年前に秋葉原のメイドをやめたけど、秋葉原でメイドをやる前にメイドがただ好きだった期間の方がながくて、そこに戻っただけと言えるし、これから先にも何かの形で新しく「メイド」を選んでいけるのかなあと考える。
疎遠になってしまうのは寂しいけど、新しいこともやりたいな。
「めいどいんめいど」は私の発案じゃないけれど、参加させてもらって、自由に「メイド」のイメージを追ってて良いから楽しい。ものづくりお金かかるけど・・。

めいどいんめいど。よろしくお願いします。
「気絶」さんとか使ってくれてます。ありがた〜

「メイド」のイメージから色々作るのは楽しいんだけど、あまりに「メイド」というコンテンツの強さにのっかっているのも違うのかもと悩む。

先日の「メイド博覧会」というイベントの異常な混雑と熱気に、私と「メイド」のことをたくさん考えたくなって、noteを書いてみたものの、なんか核心に触れてないような感じがするなあ。誰に響くのか、誰にも響かないのかわからないけど、長文を信頼しているのでたまには長文を書いておきます。

和製メイドが好き。愛すべき偽物のメイドたち。

メイドのことばかり書いたけど、そこに通ってるお客さんもメイドカフェを形作るひとつの要素だから、お客さんのこともそのうち書きたい。


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