会社で働くことは学びにはなる

随分とnoteの更新が途絶えてしまった。約3ヶ月ほどの期間が空いたのであるが、その間、何をしていたのかというと、ラオスにある会社で働いていた。

残念ながら、その会社は解雇されてしまい、自分にとっては古巣のタイに戻って、今はプチ沈没生活をしている。

会社の労働をしなくて良い日々は最高であった。好きな時間に起きて(といっても早起きするが)、好きなモノを食い、無為に過ごす。読書をよくするが、寝落ちしてしまうことも多い。

ラオスでの3ヶ月のせいで、ある種の「荷下ろし鬱」のような状態になってしまったかとも感じる。ここ数日、だらだらとバンコクで過ごしていたら、やっと身体が自由に動くようになってきた。それぐらい、会社で働くというのは緊張やストレスを強いられるものなのだ。

しばらくしたら、ラオスでの就労の記録をキンドル本として出版したいと思う。しかし、いつになるかは未定である。ラオス就労はもうすでに自分の中で思い出であるが、その思い出としての対象との距離が、まだまだ近くてナマナマしい現実として自分の心の中に存在する。

文章として落ち着いて表現できるようになるまでやはり多少の時間は要するかと思う。

これは自分の持論であるが「会社で働く」というのは、人間や社会について学び、それらについて考察を深めていく上で、絶好の機会ということだ。

会社という場所は、人間のエゴイズムや、黒い実存というものが全面的に剥き出しになるため、人間について深く学ぶためには避けて通れない場所ではないかとさえ、私は思う。

魑魅魍魎が跋扈し、真性の悪とさえ思えるような性悪人間もいたりするから、決してその場所で自分だけ無傷というわけにはいかないのだが、とにかく勉強になるところである。

しかし、今でさえ、メンタル面での疲れから脱却できていないので、私は対象を単純に観察するだけでは済まされなかったのだと思う。何とか、この苦労を文章という形で昇華したい。

それにしてもラオスという場所は田舎であった。発展途上国だった。素朴で、純粋な人達ばかりかと思いきや、そういう単純な事ばかりでも無かった。

文明の毒に侵され尽くして、おしまいの人間を地で行くような私にとって、ラオスのような場所が救いの地になるかと思ったが、決してそうはならなかったのである。

バンコクに戻って来て、心底、ホッとしていた。大都会において匿名性を身に付けて、誰からも関心を持たれない日常生活に大いに満足していた。街を歩いていて知り合いに遭遇する事もなく、誰に対しても自分から積極的に興味を持つ必要もない。ただただ一人で生活していれば良い自由さがバンコクにはある。

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