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〖魚河岸鰻遊〗③築地スピード

『ソトコト』2005年9月号№75生原稿

 僕はいつものように朝5時08分の東武伊勢崎線竹ノ塚駅発、日比谷線中目黒行きの先頭車両に飛び乗る。そして後部、繋ぎ目横の座席にドカッと腰掛け、右肘を付いてしばし再眠。が、33分後に到着する築地駅の寸前で必ず目が覚める。目を開けてみると先までガラガラだった車内はいつのまにか長靴を履いた侍たちで鮨詰状態。

 5時41分、スタートの鉄砲がなるかのようにドアが開いたその瞬間、この長靴侍は細い1番出口の階段を競い合うように駆け上がるのであった。そして築地本願寺の中をいっせいに抜けていき、河岸の裏門である海幸橋へと傾れ込んでいく。

 場内はすでに大小様々な物体が激しく蠢いている。2~4tクラスのトラックがジワジワと前へ後ろへと車体を移動していたり、その横をバンバンとエンジンを吹かしながら滑走しつつ機敏な小回りも見せるターレ、またゆっくりだが休むことなく確かな動きを見せる小車、そして忍者のように足早に歩く人間。

 大阪ではよく「世界で一番歩くのが早いなんて言われてるから大阪人はもっと落ち着くように!」などと耳にしていたが、この有様を見るとその心配はまったく必要ないことがよくわかる。

 僕はこのウネリの合間を縫うようにして勤め先の場内仲買「太誠」まで走り続ける。「おはよーございまっす!」。「おおぅっす!」。6時前。

 上着を脱ぎ捨てそのまま中央に位置する売り場まで走る。そして、先に来ている運び担当の柴田さん、タッちゃん、キュウさんのオッサン3人組の姿を探しつつ、山積みとなった品物の中から「太誠」の札が入ったものを物色していく。

 春から初夏にかけてならカツオにアジ、アイナメ、カマス、そして関西では殆ど見ることのない(1990年頃当時)トビウオなどがズラリ。忙しい日は1種類の魚だけでも10箱以上。箱の中には海水や氷もたっぷり入っているため見た目より倍ほども重たい。これを小車に素早く、かつ崩れないように巧く積み上げていくのだ。

 人々は6時15分までには店か茶屋に運び出したいと思っている。早い買い出し人なら7時頃にやってくるし、またこちらからの配達にしても朝一を希望する得意客も多いわけで、とにかく街が本格的に目を覚ます前に勝負しておきたいのである。

 仲買の数はざっと1000店以上(執筆時の2005年現在は7~800店)。実際に荷を動かす人間の数は当然それ以上。15分で数え切れない荷と人が一挙に動くわけだから、その様は地殻変動級、歩く早さも常人の3倍速モード、ついでに人や物がぶつかったりするのも確率変動する。

 が、不思議なことに、事故や喧嘩とまではならないのがこれまた築地の凄いところなのである。魚の目利き、それとも捌き、はたまたセリか?いやいや、魚河岸で言う職人芸の第一はこのスピードについていけるか、と思えてならない。

 トラック、ターレ、小車、人間の4次元の共存競泳。もちろん、中にはドンくさい人、遅い人、ひたすら荒っぽい人などもいる。そんなときは怒鳴られながらタックルされるか、踏まれるか、時にはターレで突かれたりもする。だが、警察も保険屋もいないので、結局は自分たちでモラルを保っている。

 一方、達人となると本当に格好いい。迅速、かつ丁寧、でいて表情は常に穏やかで紳士的、そのくせ時にロケットスタートを切ってみたり、またある時は目にも留まらぬスピードで幅1mの華麗なコーナーリングをしてみたり。これはもはや長靴のアラン・プロストというべきか。そう、河岸人はみんな歩くF1レーサーなのであった。

 8時か9時頃。荷の運搬、仕分け、茶屋だし、などといった一連の作業を終え、ようやく一段落がついた頃に多くの河岸人は朝の腹ごしらえをする。

 ここでは場内外の食堂や持参の弁当など、みんな各様であるが、太誠の場合は手作りのマカナイに徹していた。これが、痺れるほどの幸福な時間なのである。ふむ、次回はこの痺れるマカナイについて書こうか。

(柴田さんに捧ぐ)

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【築地辞典】

●運び担当
文字通り荷の運搬を主としている人のことで、競り落とした品物などを店や茶屋へ運ぶことを言う。手、小車、ターレなどと運び方も色々。古くは軽子とも呼ばれ、元々は船着場に下ろした荷物を運ぶ人のことを指す。

●札
幅9センチ、長さ12.5センチほどの一枚ずつすぐに剥がれるメモ用紙のようなもの。各店の店名や紋などが入っていて、競り落とした商品や買い手の決まった商品などに番号や客名などを書いて荷に貼り付ける。

●茶屋
市場内、仲卸が並ぶエリアのすぐ横にあり、駅のようなホームのようなスペース。中で買われたものや行き先が決まった商品などが集結する場所で、ここからトラックに積まれて配達する。

●ターレ
正式にはターレットというらしいが河岸人は皆ターレと呼ぶ。前方に円錐形のエンジンがあり、それがそのままハンドルとなる。後ろは荷台。体感最高速度はざっと30キロほどか。さほど早くもないのに音がうるさいので迫力がある。重たいようだが3輪車なので乱暴に運転すると転倒することがある。

●小車
通称「ネコ」と呼ばれている。売り場から店や茶屋など、場内で荷を運ぶときに使われる。取っ手付きの1軸2輪なのでリヤカーと同じ構造と言えるが、囲いがなくて細長い。混雑を極める築地ならではのスマートさがたまらない。

s-2007年11月魚河岸 (2)

●築地文化遺産に その3

魚河岸/Kashi    

正確には「うおがし」。だが築地市場の人々は、市場のことをあくまで「かし」と発音している。調べてみると、この言葉は元々、東京・日本橋に魚市場があった時代に生れたようで、つまりは地方のみならず千住や大田の市場でもなく、まぎれもなく築地魚市場を指しているのであった。かつて、魚の商いをするのは全国的に河岸が常識だった。その理由はまず、そもそも魚は水の中の生き物だということ。次に魚を積んだ舟が川の流れを利用していたこと。ほか、衛生的にも都合がよかったことなどがある。当時の人々は、潮の干満に合わせて舟を岸に着け、捌いた後の魚のワタなどを河に戻したり、その水で魚や道具を洗ったり、きっと水という自然の恩恵に頼っていたに違いない。現代は飛行機とトラックの運搬、そしてコンピューターによる管理が主流となり、正式名称は「卸売市場」となっている。「かし」という言葉には築地を愛する人々の様々な思慕が詰まっている。


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