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〖魚河岸鰻遊〗②タレに思いを

『ソトコト』2005年8月号№74生原稿

 ある平日の夕方6時頃。足立区竹ノ塚駅から歩いて5分のところにあるアパートの2階で僕は鍋を睨んでいる。毎朝5時過ぎの始発で築地へ向かい、帰宅は遅ければ10時頃。夕食を自分で作るのは月に1~2度しかない。でも、僕はこの時間を彼女とパチンコの次に大事にしている。

 アキバのゲームソフトの如く、カメラ小僧のレースクイーンみたく、僕は手料理という世界にカルト的狂喜を見出していた。立ちあがる湯気に鼻を当て、ティスプーンで味見を繰り返す。そして、白黒の砂糖や醤油の種類を使い分けては、鍋の中で煮詰まっていくタレと問答を繰り返す。辛さはどうか、トロミはどうだ。

 今、僕が作っているのは鰻丼用のタレである。東京に来てから何度目かのトライであるが、これがなかなか思うようには仕上がらない。東京の鰻のタレは大阪のそれに比べて、トロミと甘みがなくて、辛口、いや少し繊細な感じがする。

食感は蒸しの有無で変わるが、肝心の味のほうはこのタレで決まる。僕の両親は静岡出身。ゆえに僕にとってこの東京風味はノスタルジックな味でもある。だが、なにも懐かしむために躍起になっているのではない。モチベーションの最大の原因は、自分が元々料理人の端くれだったと言う体質と、僕の中に潜む言葉にならないストレスであった。人生が思い通りにならないごっつい苛立ちのことである。

 実は僕が上京した理由は魚河岸で働くためではなく「夢のレストラン計画」と言うものを実現するためであった。そのきっかけとなるのが前回に登場するマコちゃんで、彼が以前勤めていた大阪の会社で僕と出会い、「その企画を東京でやろう」と誘われ、にょろにょろと東京に上ってきたわけである。が、その後いろいろとワケあってこのプランはお蔵入り。気がつけば僕は活鰻(かつまん)が入ったビニール袋に酸素を詰めては輪ゴムでパチンと縛って日本橋三越なんかに配達したり、魚河岸で魚を売ったり、何百尾もの鯛のウロコをはがしたり、加工場でイクラの詰め替えや冷凍イセエビなどを箱に詰めていたのである。

 ユニフォームは水色の上下に膝まであるゴム長。冬なら寒風と氷水で頭も腕も感覚を失い、全身には魚の臭いが染み付いている。夏ならクーラーの効かないポンコツライトバンに乗って、八重洲や四谷あたりのお得意さんのところへ配達に回り、キューティクル満開で風になびくOLたちを獣の目で凝視、カリアゲしたスーツ族の男たちを羨ましく思うばかり。チクショー!俺もいかにも東京人って言われた~い、いかにもな東京の街を歩きた~い。

 野獣ばかりの魚河岸呪縛にストレスを感じずにいられない。だからこそ、僕は今あるこの現実を3倍凝縮モードで自分のモノにしなければ気がすまなかったのである。河岸(かし)では言葉や理論を必要としないし通用もしない。ただただ体力なのである。ひたすら気合いを入れて混雑する細い路地を素早く歩き、力いっぱい荷物を持ち上げ体力を振り絞るのみ。だから僕は合間を盗んで場内外の飲食店を食べ歩き、飲食関係のあらゆる本も購入、また得意先の厨房を観察し、たまに料理人たちの話も聞かせてもらうのだ。そんな毎日の中で自分がもっとも多く接していたのが冷凍、加工、活の各種の鰻であったのだ。

 国内産、外国産、背開き、腹開き、蒸し、焼き。鰻の味とその風情は全国各地で確かに違う。だが今の時代、産地や処理状態を問わずともどの鰻もそれなりに旨いもの。だから、地域や店によってもっとも違うのは名脇役ともいえるこのタレではないか。

 さて、ようやく出来上がったタレを台湾産の冷凍鰻の上にかけてみる。ふむ、すーっとご飯に染みつつも微妙な照りと香ばしい赤黒い光を放っている。鰻の甘みの後にキリッと辛味がきて、火加減よろしく角の取れたまろやかな味がする。これで東京風味をまた一つ手に入れることができた、かな。よっしゃあ!

【築地辞典】

●活鰻
かつまん、と読む。築地はとにかく大物(マグロ)のイメージが強いが、実は五目(一般鮮魚)や鰻やニシンなどの淡水魚も多く扱っている。活鰻は国内外のものがあるがその殆どは養殖モノ。でも、天然モノよりも皮が柔らかく身のきめも細かい物が多く、供給量も価格も安定しているので実に良心的な素材と言える。(1990年代当時)

●台湾産の冷凍鰻
築地(日本)で取引される鰻を大別すると、国内の養殖&天然、海外の活&加工品となる。国内産の養殖に対する天然モノ比率は’03年で約2.7%。海外産の活鰻は台湾(一時期は香港やマレーシアも)が全活鰻の約40%を占めるが、加工品部門(冷凍、その他)ではかつてトップだった台湾を中国が追い抜き(‘92年頃から)今では95%を占めている。

●鰻丼のタレ
一般的には鰻の良し悪しが話題になるが、実はタレほど地方や店によって味の違うものはない。関東は濃口、またはダシ入り濃口をベースにするのが基本的だが、みりんや砂糖を関西ほど入れないせいか、味のほうは意外にすっきりとしている。中部地方などでは黒蜜を入れるところもあり、真っ黒でとろみがつよくあま~いタレが多い。

●築地文化遺産に その2

魚河岸マーク

力強いタッチで描かれた丸い魚河岸マーク(紋所)。水産関係のトラックやすし屋、居酒屋、時にはTシャツや手拭いなどでしばしば見受けることができる。内容は「魚がし」、つまり築地を意味しているのだが、実はこれ、原形と進化形というものが存在する。その起源は明治初期の日本橋魚河岸時代。現代でも場内で店を構える暖簾や提灯の「浜のや商店」が、初代より代々にわたって作り上げてきたものである。それで完成を遂げたといわれるのが5代目浜野屋繫三氏。先端に毛筆を取り付けた竹のコンパスによって円や微妙な曲線を描き、また絶妙な幅を持って濃淡とかすれを表した墨は実に生命感と気品に満ちている。ただし、これは商標登録を取らぬまま現代に至っており、今では似て非なるもの、また原形を基に各店各様の趣向を加えた進化形が無数に存在しているのが現実。

小林紙店(浜のや商店の家族店) 03-3541-6804 場内魚がし横丁7号館 元祖魚河岸マークのステッカーは、10センチから40センチまでの5種類で600円~。(価格、住所等データは2005年7月当時のもの)

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