見出し画像

決意から受験、そして合格まで

この記事は
「おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に、さんきゅう倉田は東大へ行きました。」https://note.com/thankyoukurata0/n/n09a185625c3cの一部を抜粋・校正したものです。


3年前の誕生日2月11日、代官山のレストランでテリーヌだけで構成されたコースの前菜を食べながら恋人に言った。

「東大を受験しようと思うんだ」



彼女は薄い緑色の美しい野菜のテリーヌをナイフとフォークで上手に切りながら、がんばってね、と言ってくれた。

とても美しく、賢く、子供っぽい女の子で、優れた味覚を持っていた。食べたものの材料を当て記憶することに長けていて、一緒に食事をするのが楽しかった。
誕生日に用意してくれたこの店も素敵だ。


3日後、友人の平井先生に連絡した。
平井先生は山梨の高校を出て東大に理科一類か二類で入学(忘れてしまった!)、卒業後は大手の塾に勤めるなどして数年前に東大受験に特化した「敬天塾」を作った。
平井先生がいなかったら受験をすることはなかった。
ぼくの受験においては、自分の能力3割、自分の努力2割、敬天塾の力4割、運1割の割合で合格に至ったと思う。
それくらい塾の存在は重要だ。

導く人がいなければ、何を学べばいいか分からないし、有効な参考書に出会うこともできない。
解説がお粗末な数学の問題の説明を求めることもできない。
受験科目を決めることもできない。

ぼくでは、著しくレベルの高い東大入試の英語で、高得点を取ることはできなかっただろう。
3年頑張っても60点そこらしか取れなかったかもしれない(英語は120点満点だ)。

フランス語は、受験者が少ない分、その年によって点数のとりやすさが変わる。
それでも、2回目の受験で60点を超えられた。英語でも同様の結果が得られたとは思えない。
平井先生のおかげだ。



そう、ぼくはフランス語で受験した!

ここから先は

10,222字 / 1画像

¥ 290

サポートしていただいた分は授業料に充てさせていただきます。