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「消費欲」じゃなくってさ、「好奇心」を刺激し合うんだぜベイビー


「マーケティング」っていうじゃない?いま結構、流行ってるじゃない?

でさ、君にきくけどマーケティングって何?

「辞書を引くと〜」とか「マーケティング学会によれば云々」とか、そういうベタなことをここでは書かないよ。いちおうぼくも元々はプロのライターだからね。ま、広告のコピーライターだけどさ。

で、ぼくが思う「マーケティング」を平たくいうと、

いろんなモノがよりたくさん売れるためにモノが売れる場所(=マーケット)において”すること”や”できること”、のぜんぶ。

異論反論ある人は渋谷の鳥貴族でやってくれ。話がすすまないからね。賛同してくれる人は新宿の磯丸水産で貝や干物を焼こうじゃないか。

先に進むよ。

マーケティングっていうのはね、たくさんの「消費」を生むための科学。だから消費してくれる人=消費者を相手にしてきたんだ。

消費者って誰のこと?君のことだよ。

でさ、理由はいろいろあるけれど、いまの時代に「消費する人=消費者」なんて呼ばれて、君はいい気分がする?ぼくはしないよ。バカにすんなよ。

いちおう補足しとくけど、モノ買うだけが消費じゃないぜ。それこそ「モノ消費からコト消費へ」なんていう言葉、日本中の会社のプリンターから吐き出されては次々とシュレッダーにかけられてるよ。ためしに検索してみたら0.3秒で30万件ヒットした。

それじゃあんまりにも露骨すぎると思ったのかもしれないね。最近は「購買から体験へ」なんていうヤツらも出てきたよ。でもね、そんな手つきにだまされちゃダメさ。つまりは”体験”を”消費”しましょうよってことなんだから。

調味料をたくさん”消費”させるために容器の穴を大きくした人は神様さ。スニーカーをたくさん”消費”させるために街中でバスケットシューズを履くムーブメントを作った人は英雄さ。

なんて書き方をすると「お前の頭はお花畑かよ?」っていうヤツが出てくる決まりになってるんだけど、そういう人には先回りして「お前はバカか?」と言っておきます。

”消費”が「大前提」を構成する不可欠の要素だなんてのは当たり前。そんなことお前なんかよりずっと切った張ったでやってきとるわ。

ただ”すべては消費のために”っていう「A」しかなくてそれだけが最優先で最重要っていうのが息苦しくて嫌なだけ。

「AもあってBもあってCもある」っていう風に考える人がひとりでも増えたほうがおもしろそうだと思うからこういう書き方をしているだけで、

お前らが「Aしかない」もしくは「AorB」って枠から出て来れないから、ぼくがシャーロックのシーズン4みたりビールのんでへらへらしたりする時間を削ってまでこんなこと書かなきゃいけない気分になっちゃう。しっかりしてくれよな、まったく。

あ、でも、逆もそうだぜ。「大量消費文化はよくない!消費は悪!これからはもう”買わないこと”こそ正義”」なんてことを言い出しちゃうのも同じ「AorB」思考だから気をつけなはれや。

先を急ぐよ。

あのさ、途中をものすごく端折ってなんだけどぼくは最近、

消費欲を刺激するためだけに生まれてきたコンテンツに、これ以上、世界を独占させちゃダメじゃねーか?

って思うんだ。

そういうプロっぽいってゆーかもうはっきりと企業(=法人)の欲望発信のコンテンツが核となって世の中を動かす、動かせるっていう信仰や構造をこのまま維持することの先に、ぼくらの幸せはないんじゃないか?

って。


…なんてことをいつもと違う乱暴なトーンで語る私に、あなたはおっしゃるかもしれません。

「じゃぁ、なに発信で世の中は動くんだよ?」と。「調味料をたくさん消費してもらうことを意図して設計された美味しいレシピコンテンツ」がなかったらどーすんだよ?と。

わかります。あなた、汐留からきましたね。そんなあなたにこの言葉を贈りましょう。

「あほか。味の素の味噌汁で顔洗って出直してこい。」


じゃ、どーすんの?という問いに対するぼくの答えは最初からこの記事のタイトルに書いてある。

これからはもう消費欲じゃない。好奇心を刺激するんだ

企業=法人が、じゃないぜ。 

君がやるんだ。

君が最初に「おいしいもの食べたかったからこんな風にしたらこんなに美味しくなったよー!」っていうんだ。

で、それを見るぼくが「なにこれ、超うまそう!おれもやってみよう!料理っておもしろそう!」って思うところからはじまるんだ。最初に君が発する熱量が世の中を動かすきっかけになる。

君の好奇心が発する熱が誰かの好奇心を刺激して世の中を動かすことができるんだってことを世界に向けて証明するんだ、いますぐに。さもないと。


新しいテクノロジーが登場したことで、”情報格差”と”中央集権”という特権を失ったことに、企業とそのコミュニケーション構造に関わる人々がまだ気がついていないのと同じように(バカだね)、

ぼくたち一人一人もまだ、新しいテクノロジーの登場によって手に入れた”自らの発信が持つ力”の大きさと、その効力をきちんと把握しきれていないんじゃないか、とぼくは思う。

そしてぼくたちがこの新しいチカラの”正しい使い方”を探して四苦八苦しているあいだにそのチカラが、旧態依然とした”消費市場主義”の手練手管に絡め取られてしまうことをぼくはとてもとても危惧しているし、

結局元の木阿弥で、最速最効率で消費を最大化する一本道を猛スピードで突っ走る巨大な機械の部品として消耗する意外に選択肢のない世界に収斂されてしまうことが、ぼくは心の底から怖いんだ。


でね、おじさん、この業界わりと長くやってきた勘から思うんだけど、いまこれがぼくらが声をあげる最後のチャンスじゃないかって気がしてるんだよ。理由?うん、なんとなく。だってもうこれ以上詳しく書くのめんどくさいし。

でもまぁこの状況から逃げ出すために全力で足掻かなきゃなぁとは思っているし、足掻いてるつもりの今日このごろです。


ねぇ、そんなところに黙って突っ立ってて、君は怖くないの?




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