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貴女は「モンストレス」でガチャ課金の虚無に抗いなさい


(承前)


またお会いしましたね。

早速ですが貴女に決断の時が訪れました。貴女には二つの選択肢があります。すなわち、ガチャ課金の沼とアメコミの沼、どちらの沼にはまるのかという選択です。貴女にはもう猶予はなく観念して直ちに決断するほかありません。何故ならば、真の女の中の女によってクリエイトされた超すごい傑作である「モンストレス」が邦訳出版されたからです。


モンストレス vol.1: AWAKENING

(画像はAmazonへのリンク)

人間とその天敵「アーカニック」の間で起こった悲劇的な戦争を生き残った10代の少女マイカ・ハーフウルフは、自らの過去の謎の答えを求め続けていた。
追う者であると同時に追われる者でもあるマイカに迫害と危険が迫り、
彼女を利用しようとする者たちが背後へと忍び寄る。
そんななか、マイカの内部に潜む怪物が今まさに目を覚まそうとしていた…(上記リンク先より引用)



自分がいる沼のことくらい知っておきなさい


何故貴女はわたくしが早速この超すごい傑作の紹介に入ると思い込んでいるのですか。そのようにただボケっとモニターを見ていれば誰かが親切に作品を理解させてくれるなどと思い込んでいるのは、ファッション腐女子特有の思考停止というほかありません。かくの如きファッション腐女子は、ある日カント・バイドのカジノで寛ぐベニチオ・デル・トロ様を発見するや否やあっという間に思考停止してトロ様に見惚れるため、しつこく挿入されるテーブルの上のグラスがカタカタ揺れるカットにも気づかず、その結果、よく考えたらどうしてストーリー上必要だったのかいまひとつ分からないファジアーの群れの暴走に巻き込まれその馬蹄にかかって無様な死を迎えることになります・・・・トロ様が貴女を顧みることすらなく宇宙へと飛び立つフレームの外で・・・それが貴女の望む死に様だとでもいうのですか。

わたくしは真の女の中の女としてこの超すごい傑作について貴女にしっかりと分からせる義務があり、そうやすやすとこの超すごい傑作の紹介をすると思ったら大間違いです。ですから、観念しておとなしくわたくしの話を残らず聞きなさい。

貴女にしっかりと分からせるためには、そもそも貴女がなぜこの超すごい傑作を読む必要があるのかを説明せねばなりません。嘆かわしいことに、ウェイランド湯谷の策謀に踊らされっぱなしの貴女は、この超すごい傑作を読む必要性を全く自覚していないからです。

大体、貴女は貴重な蓄えの中から大枚をはたいてガチャを何百回も回しておきながら、自分自身、一体この行為によって何を得ようとしているのかきちんと考えたことがありますか? 真の女であるわたくしは、残念ながら、貴女がまともにこの問いに向かい合ったことがなく、完全にファッション腐女子の振る舞いに陥っていることを指摘せざるを得ません。

真の女であるわたくしがこのように断言しているにもかかわらず、貴女ときたら、わたくしの問いかけに対し反射的に「目当てのカードを得ようとしているにきまってんじゃんw」とか、ちょっと考えてから「目当てのカードを得るチャンスを買っているのよ」などといった、逆に貴女が全く考えてないことを露呈する返答でこのわたくしに逆らおうとするばかりでにお話になりません。端的にいえば、貴女は物事の本質と向き合うということを避けているのです。

考えてもみなさい。たとえば「コンビニで弁当を購入する行為で一体何を得ようとしているのか」という質問に対し「コンビニ弁当」と答えるのは完全な阿呆共の振る舞いだということが貴女には分かるはずです。少しは物事の本質について考えられる者であれば、「食料という生命維持のリソース、ひいては自らの生存」「自らの嗜好に沿った食事をとることの満足感」あるいは「手近なコンビニの弁当で食事を済ませることにより節約される時間等のリソース」等々、単なる「コンビニ弁当」ではなく、コンビニで弁当を購入するという行為の裏に隠された様々な意味ということを考えるはずです。そして、貴女にとっては、このような思考をすることはさして難しいことではないでしょう。

それにもかかわらず、貴女は、ガチャ課金に限っては、何故かこのような思考を自らに禁じているのです。ガチャ課金の沼にはまることで何を得ようとしているのかを。すなわち、ガチャ課金の沼に対する貴女の願望は、貴女自身の願望であると同時に、貴女自身が認めたくない願望だということです。わたくしは真の女の義務として、その願望が何なのかを解き明かすことをもって、貴女を徹底的に分からせることの第一歩とします。覚悟なさい。

そもそもガチャ課金は金の無駄です。貴女は目当てのカードが当たるのであればガチャ課金につぎ込んだ金は無駄にならないと自分で自分に言い聞かせているだけで、客観的には、運営が決めた確率に基づき厳密な数学的定義に従ってつぎ込んだ金の大半を無駄にしているのです。逆に言えば、運営はその利益のために貴女に無駄に金を使わせているのです。仮に運営にそのような意図が無いのであれば、ガチャなど運営せず全てのアイテムを定価を設定して販売するはずです。

そして、金を無駄にすることと引き換えに得られるものは虚無だけです。もちろん、わたくしは、貴女が虚無を得たがっているなどという単純な話をしているのではありません。問題は、貴女自身が薄々ガチャを回しても虚無を感じるだけだと分かりつつも、積極的に虚無を得る行為に及ぶその心理です。

わたくしは貴女がどう思おうと容赦なく核心を突きます。

貴女が虚無のガチャ回しに及ぶのは、わざわざ自分の金を無駄にして自分の意思で虚無を得ることにより、貴女が陥っている虚無は自らの意思によるものであってコントロール可能であるという感覚を得られるからです。貴女がガチャ課金の沼に対して感じる心地よさというものの正体は、このような感覚にすぎないのです。言うまでもなく実際にはそのような感覚は全くのまやかしであり、貴女が虚無に囚われていることに全く変わりありません。

すなわち、貴女は、自分が虚無に囚われていることを本当は心の奥底で認識しているのに、自分が虚無から抜け出せないという現状を否認したいがために、自らガチャを回して虚無を得るという代償行為に及んでいるにすぎません。運営は、貴女が虚無に取り囲まれているという状況に付け込み貴女に代償行為を売りつけて利益を得ているのであって、本質的に営利ギャンブルと同じく邪悪です。貴女は邪悪なるウェイランド湯谷に搾取されている自発的奴隷です。これが、貴女がいくら否定したくても否定できない現実です。

ですから、貴女は一刻も早く目を覚まして虚無に立ち向かう必要があります。「そんなこと言われても自力で虚無に挑むなんて・・・・」などと怯える必要は全くありません。貴女は、真の女の中の女がクリエイトした超すごい傑作「モンストレス」で鍛えることができます。何故なら「モンストレス」こそ、真の女が自らの内と自らを取り囲む世界の両方に根深く巣食う虚無の暗黒に徹底して抗いそして前進する、真の女が好む真のアメコミだからです。

貴女は開幕1ページ目のページ丸々使った大ゴマのオープニングショットに遭遇しただけで完全に体験し、そのことを実感することでしょう。





(画像はImage Comics公式サイトからの引用。以下、断りがない限り同様)


「猫好き・ケモナーも必見(ฅ^・ω・^ ฅ)」などと腑抜けたことを抜かしているのはどこのどいつですか。自分が喋っていることが、客を勘違いさせてうっかり買わせようとしている最低の行為であるという自覚があるのですか?



正月だからといってわたくしが手加減することはありません


話をつづける前に、忘れないうちに業界の阿呆共に言っておくことがあります。何故、この超すごい傑作を誰ひとりとしてまともに紹介していないのですか。

第一、この超すごい傑作をわざわざ出版しようとしているくせに、まともな公式サイトの一つも作らないというのは言語道断です。そのくせツイッターでは「猫好き・ケモナーも必見(ฅ^・ω・^ ฅ)」などと結局のところ読者を見下して客を勘違いさせて商品を売ろうとしているのが見え見えの文章を流して宣伝をしたような気になっているだけで、超すごい傑作の本質的魅力は何なのかを潜在顧客に届けようともしていないのです。

そのせいで、わたくしがレビューを行うにあたって、わざわざImage Comicsの英語だらけのサイトに挑むという危険なミッションなしではまともな紹介に使える画像すら手に入らないという有様です。

潜在顧客に届けるというのはどういうことかすら全く分かっていない業界の阿呆共を分からせるために、わたくしは真の女の中の女の義務としてきっちりと説明しますから感謝して聞きなさい。

一例をあげますと、わたくしは最近になってこの本にめぐりあいました。


バットマン:ノーマンズ・ランド 1 (DCコミックス)

(画像はAmazonへのリンク)


ずいぶん前に出版されているのになぜ最近になったのでしょうか。それは、業界の阿呆共は、潜在顧客とは何かということを全く考えておらず、そのためちゃんとした宣伝文句どころか潜在顧客を適切に把握したマーケティングとプロモートが丸々欠けており、わたくしは真の女の本能と嗅覚によって本書と偉大なる真のアメコミであるヒットマンとの関連をかぎ取った結果、ようやく書店に物理肉体エージェントを派遣するという迂遠な経路で本書とめぐりあったからです。

いいですか。わたくしは完全に潜在顧客でした。それなのに全く届いていなかったのです。もし、適切に潜在顧客に伝えるプロモが為されていればこのようなことにはならなかったでしょう。では必要なプロモとはどういうものでしょうか。試しに別人格を起動し書いた本人を呼び出して両者に協議させますので、しばらくの間、おとなしくお待ちなさい……


……


……


……出来上がりました。


ノーラン版のダークナイトにノックアウトされた奴は全員必読! パンデミックと大地震でゴッサムシティは崩壊、合衆国政府がゴッサムを統治領域から外すことを宣言したため、ゴッサムシティ丸ごと法令が適用されなくなり、今や文字通りの無法地帯だ!・・・あれ? 正義と法の間の矛盾やせめぎ合いで苦悩するのがお約束のバットマンなのに、ゴッサムから法も正義もまとめてなくなっちまったぞ! どうするバットマン!? あのダークナイトを愛する奴なら分かる、あのスクリーンからビシバシ伝わってくる感触が1ページ1ページ、パネルのひとつひとつにパンパンに詰まってるぞ! 1巻だけで500ページ超、とても1日じゃ読み切れない濃厚体験だ! 迷わず没入して神話の復活を目撃しろ!


別にこのようなキャッチコピーをつけろとかそういったことをわたくしは言いたいのではありません。よく聞きなさい。そして考えなさい。業界の阿呆共は二言目にはすぐバイラルバイラルと抜かしてツイッターとかそういったもので何とかなると考えていますが、そもそもバイラルとはいったい何がバイラルしているのかきちんと考えたことがありますか?

わたくしは真の女の中の女ですから、とっくに知っています。人々が誰からも頼まれてもいないのにバイラルに寄与するのは、人間の中に、体験を伝えたいという強い欲求が宿っているからです。そして同時に人間は体験を欲しているのです。ですから、体験を伝えたいという人間と体験を欲している人間との間に伝達が生まれるとき、それは時に連鎖的に爆発的に広がる体験の伝達のバイラルとなるのです。笑えるツイートがバイラルするのは笑いの体験がバイラルするからであり、画像がバイラルしやすいのはその画像を視認することがすなわち体験そのものだからです。

ですから業界の阿呆共はこのことを胸に刻みなさい。作品を世に広めようとするならば、その作品を鑑賞することでどのような体験をするのかという点を誤魔化すことなく正面からしっかりと伝えるようでなければバイラルしません。猫好きだのケモナーだのという表面的な見た目に関する情報をツイッターでいくら流そうと、そんなものは単に体験から乖離している抽象的情報にすぎないからバイラルしないのです。

バイラルの爆発を本気で欲するのであれば、グラウンドゼロで炸裂する体験の爆発が必要不可欠です。試し読みでもなんでも、潜在顧客が体験を爆発させるきっかけを投下することが業界がまず履行すべき神聖な義務です。そのような努力を全く怠ったままツイッターで感想をリツイートすればいいと思っている阿呆共は今すぐエンシェント祖先存在に詫びて深く反省なさい。

そしてこのことを覚えておきなさい。潜在顧客とは、ある体験を欲しているのに、その体験がどの作品に詰まっているのかを知らない者をいうのです。先の例でいえば、ノーラン版のダークナイトを愛するような真の女が好む真の観客は、少なく見積もっても10万20万の単位でドメスティック市場に存在するはずです。マッドマックスで鍛えた者やブレードランナーで鍛えた者も含めれば真の観客市場は50万人くらいの規模であってもおかしくありません。ジョンウーやクストリッツァ等の層も含めればますます巨大化するでしょう。そして、現在、真の観客の大多数は、映画は好きでもアメコミのほうは文字通りのコミックだと誤解をしているために、手に取ってくれないのです。彼らこそ、実際にはコミックのほうにもあの体験が詰まっていることを知らない潜在顧客であり、スクリーンに没入するあの体験のような体験を欲している、真の女が好む真の観客です。

そういった、本当は作品を通じたあの体験を欲しているはずなのに、そもそもその作品にあの体験があることを知らない潜在顧客に、その作品のプロモは届いていますか? 胸に手を置いてきちんと自問自答なさい。

ちなみに先ほど「パネル」という単語を使用しましたが、これはマンガでいういわゆる「コマ」にあたる用語です。わたくしはプロとしての専門知識に基づく用語を教えてやった格好にはなりますが、潜在顧客に伝える上では軽率な専門用語の使用は仇となることが多いでしょう。後で注意しておきます。

「そんなこと言われてもそもそも読んでくれない人は体験もしないんだから……」「試し読みを用意しても興味がない人はそもそも興味がないし……」だから阿呆呼ばわりされるのです。解決方法は簡単です。わたくしがこれだけ説明しているにもかかわらず、業界の阿呆共は作品を通じた体験がどういったものかとかすらまともに考えていないから、しょうもないことで迷っているのです。



読ませなさい


業界に巣食う阿呆共はわたくしに指摘されるまで知らなかったかもしれませんが、この次元にもまた書店というものが存在しそこには書店員と呼ばれるトライブが棲息しています。真の女は書店を好んで訪れることが真の女の間ではよく知られています。

そのことをわたくしに初めて知らされた業界の阿呆共がとる行動は簡単に予測できます。「そうか! 書店に直接足を運んで、書店員に直接おススメして、トライブの力でポップとかマンガ大賞・・・BAIRARU・・・・!」なぜこうも阿呆ぞろいなのですか。

そんなことをしたところで「エッアメコミ・・・・よみにくくてなんかとっつきにくいし・・・・けど義理があるから・・・・」みたいな対応を受けて、結局その書店員が作成するのは「猫好き・ケモナーも必見(ฅ^・ω・^ ฅ)」みたいなポップであり、阿呆共は結局無残な屍を書店にさらすことになるのです・・・・END OF AMEKOMI・・・・書店に突撃する前に少しは頭を使いなさい。

いいですか。真の女が書店を好むからといって、そこに棲息するトライブ構成員の全員が真の女だとは限らないことくらい、少し考えれば分かるでしょう。そんなことすら分かっていないのが阿呆である証拠です。そして、書店に棲息するマンガ担当の書店員が高確率でファッション腐女子であることは完全に証明されています。なのに業界の阿呆共は、せっかくわざわざ書店に足を運んでも、どの書店員が作品を読ませるべき潜在顧客なのかすら分かっていません。

業界の阿呆共の低能ぶりは果てしなく、信じられないことですが、自らが住まう次元そのものについてすら極めて疎いため、書店において小説と呼ばれる商品が扱われていることを知りません。そのため、自らが扱う作品を決まってマンガ売り場に売り込みに行っては決まって無残な屍を晒す結果を招いているのです。

念のために業界の阿呆共のために小説とは何かを説明しておきます。

小説とは、文字言語による文章の記載によって構成されたフィクション作品です。しかも、その分量はしばしば膨大となり、文字言語が両面に印刷された紙面数百ページにも及ぶ分量により構成されることも珍しくありません。そして、このような文字言語により構成された膨大な分量のフィクションですから、これを楽しむためには、文字しか印刷されていない紙面に向き合い、その紙面を単なる視覚情報として認識するだけではなく、文字言語が指し示す意味を適切に理解し、それどころか、文章の前後の関連や文脈の把握といった単に文字言語を理解するだけでは不十分な思考すら当然のように要求されるのです。鑑賞のために要求される時間もまた膨大です。このように、一般的には、マンガとは比較にならないほどの作品への没入と鑑賞時間を要求するのが、この小説と呼ばれるメディアです。

そして業界の阿呆共が知らないだけで、この次元にはこのような小説を愛する読者、作品に敬意をもって向き合い、没入し、長時間を費やし、思考をフル回転させながら小説を読書する体験を心から愛する、そして読書から得られる驚き、複雑な感情、エモーショナルな瞬間・・・・そういった体験を愛する、真の女が好む真の読者が多数存在しており、書店員の中にも、このような真の読者である者がそれなりに存在します。

このような真の読者である書店員の超自然的パワーは恐るべきものです。そのバイラルの力は本屋大賞などの神秘的儀式を通じて、認識世界に数百万というオーダーで書店の店頭に特定タイトルの小説をもたらすほどなのです。

ここまで言えばどんな阿呆でも理解できるでしょう。業界の阿呆共がいくらアメコミを売ろうとしても失敗して爆死しているのは、マンガとして売ろうという発想に固執しているからです。本来プロモをかけるべきアメコミの潜在顧客は、小説のごときよみにくくてとっつきにくい作品への没入を愛する真の読者です。ちなみに、スクリーンへの没入を愛する真の観客は極めて高確率で同時に真の読者でもあるため、真の読者を狙うプロモは実際一石二鳥といえるでしょう。しかも、この市場が阿呆共が想像しているよりもはるかに巨大であることは、本屋大賞の秘術が数百万を数えるオーダーの小説をもたらすことからも容易に分かるはずです。

ですから、業界の阿呆共が成功のために本来なすべき真のプロモは、真の小説を好む真の書店員へのプロモです。そして、そのプロモをとことんやり、「モンストレス」のような偉大なる作品をこそ、本屋大賞の儀式にかけてアセンションさせるようにすべきなのです。これこそ、「モンストレス」が真の読者が欲する体験を提供する作品であるということを知らしめる、潜在顧客に届く真のプロモです。幸い、本屋大賞の儀式では、真の女が主人公をつとめるファンタジック世界フィクションのような作品がその位階をより高めやすい傾向にあることが完全に証明されています。つまり「モンストレス」は完全に届きます。あとはやるかどうかだけです。いつまでわたくしから阿呆呼ばわりされ続けるつもりですか?

要するにこういうことです。真の小説を欲する人を狙ってプロモし、売りなさい。とことんやるのなら、本の雑誌みたいな雑誌にもプロモをかけて「読んで久々にぶっとんだ」みたいな常套句を言わせるようにしなさい。ブランチにうつつを抜かす王様どもの首根っこを掴んで無理やりねじ込むまでやりなさい。そうして、長時間をかけて読書から得るあの体験、それを心の底から欲している真の読者に届けるのです。

「モンストレスはアメコミで小説じゃないから無理だよ・・・」お黙りなさい。真の女が提唱する真のプロモをかたくなに否定して自らのちっぽけなプライドを守ろうとするような業界の阿呆共は根本的に認識を誤っています。今からその誤りを一切の容赦なく指摘します。覚悟なさい。

業界の阿呆共が雑に「アメコミ」と呼ぶメディア。ですが真の女たちの間の常識では、それは本来「グラフィックノベル」と呼ばれるべきものです。




グラフィックノベルです


「モンストレス」のような偉大なる作品を雑にアメコミと呼ぶのはどこのどいつですか。わたくしは怒りませんから、正直に今のうちに名乗り出て、そして今すぐ「モンストレス」をアメコミと呼ぶことは金輪際やめるとここで約束なさい。なお、今後も雑に作品をアメコミと呼ぶ阿呆共には、わたくしが制裁のスチパンメカアームを容赦なく振るいますから、心しておきなさい。

真の女たちの間では語るまでもない常識ですが、ノベルとは小説です。グラフィックノベルはグラフィック要素が随伴歩兵として油断なく警戒し連動して活動するノベルであって、要するにグラフィックノベルは何の疑いもなく機甲師団の中核をなすノベルすなわち小説なのです。そして、この既知世界においては、小説に挿絵等のヴィジュアル要素が随伴しても、当然のように小説は小説として扱われ本屋大賞にエントリー可能です。何の問題もありません。

わたくしの指摘に恐れおののいた業界の阿呆共が新年早々軒並み失禁し茫然自失して醜態を晒していますが、わたくしは構わず先をつづけます。わたくしは徹底的に分からせると言ったはずです。わたくしの指摘は止まることを知りません。

業界の阿呆共の最大の問題は、グラフィックノベルの偉大なる価値、自らが扱っている作品の真の価値を全く把握していないどころか、自ら積極的にその価値を貶めるようなことまでしでかし、その結果、作品を世に広めて作品と世界の価値の両方を高めるという業界の義務をまったく放棄している点にあります。

ですからわたくしは、世にはびこるウェイランド湯谷に抗う真の女の義務として、グラフィックノベルの偉大なる価値を分からせなければなりません。

もう一度「モンストレス」の最初のページを引用しましょう。



絵があり、言葉があります。言葉はフキダシの中のセリフもあれば、モノローグらしき語りもあります。一見するとまるでマンガのような印象を受けるかもしれません。

だからといって、これを直ちにマンガ扱いして売ろうとするところが業界の阿呆共のどうしようもないところであり、逆に、本質を追求する真の女は、絵があり、言葉があるという一見単純な事実にその本質を見出します。業界の阿呆共は心して聞きなさい。

絵と言葉が同居しているということは、絵で語ることと言葉で語ることを同時進行させることができるということです。この方法論を拡張すると何が可能になるでしょうか。すなわち、絵が語る内容と言葉が語る内容が物語として一致しなければならないというルールに縛られる必要がないのであれば、絵とフキダシとナレーションとで役割分担して別個の語りを同時進行させられるということです。

これが日本のマンガと決定的に異なる方法論であるということが理解できますか? 日本のマンガでは、フキダシのセリフはコマ内で喋っている人物の発言内容を示し、その他の言葉はあくまで状況の説明であるのが原則です。コマの外からフキダシが伸びている場合は、ほぼ例外なく、視点人物から見えないところから声が聞こえてきた場合の表現です。マンガは、まず絵があり、それを言葉が補足します。誰かが発言をするのであれば、まず発言する人の絵があり、同じコマのフキダシがその発言内容を明らかにします。まず言葉があり、それから絵があるという順番を原則とするマンガは稀でしょう。

ところが、グラフィックノベルでは、その場にいるのにコマ内にいない人物のフキダシを出すというケースが頻出します。そして次のコマでは発言した人物が描かれていてもその発言は既に前のコマで終わっているため、当該コマでは何もしゃべっていないという演出が定番です。それどころか、異なるシーンに属する人物の発言やモノローグを出すことまで常套手段となっています。喋る人物が登場しているのにその人物が喋っているところを絵で描写しないのが当たり前というのは、マンガの発想からすると相当奇妙です。これが、マンガを読む発想でグラフィックノベルに接した読者に「読みにくい」という印象を与える大きな原因です。

しかし、皆が普段から親しむまったく異なるメディアを想定に入れると、実はグラフィックノベルの作法はむしろ物語をマンガとはまた別な分かりやすい語りで語っていることが簡単に理解できます。すなわち映画です。

映画で人物AとBが会話をしているシーンを想像してみてください。思い出してみると、Aが喋っている時はカメラはBを写しBが喋っているときはAを写しているというのがほとんどではないでしょうか。日本のマンガと比較すると原則例外が逆になっています。これは、発言をしている最中の人を終始写さなくても二人の会話シーンであればだれが喋っているのかは観客は判断できるのだから、会話シーンなら発言者が発言を始めた最初の一瞬だけ写しすぐにカットが変わり、聞いているほうの表情等のリアクションを重点的に写すという映画演出上の発想があるからです。グラフィックノベルも同様の発想で作られているのです。異なるシーンに属する人物の発言やモノローグを出すのも、映画を想定すれば、画面が別のシーンに映っても前のシーンの会話の続きが短時間オーバーラップするやつですとか、次のシーンに画面が切り替わる前に次のシーンの会話だけ先に聞こえてくるやつみたいな映画の定番演出と分かります。

このような映画的な発想は、日本のマンガとグラフィックノベルとのもう一つの顕著な違いを生み出します。それはコマとコマのつながりの面です。

日本のマンガは一つのシーンの一連のシークエンスをすべらかなコマとコマの繋がりでテンポよく見せるということが重視されます。ですので、実際に一つのシーンの物語内で経過する時間よりもずっと短時間で読者はそのシーンを読了するのが当たり前です。これが読者を物語の先へ先へと引っ張る原動力となっており、そのようにすることが推奨されています。登場人物が5分間会話するシーンを読むのに実際に5分かかるマンガを読みたいというマンガ読者は稀でしょう。

ところが、この点がグラフィックノベルでは全く逆です。コマとコマのすべらかな繋がりは、短時間のシークエンスに多くのカットを費やすアクションシーン等を除き全く重視されておらず、コマとコマがむしろ断絶しているかのように見える場合がほとんどです。結果、5分間の会話シーンを読むのに実際5分かかるのはあたり前であり、むしろそのように作ることが重視されているといえます。会話の繋がりとカットの連なりが分離して並列進行しても問題ありません。5分の会話シーンを映画で見るのと同様の体験をグラフィックノベルで体験させようとする発想です。

また、一見して断絶しているかのように見えるコマとコマの繋がりも映画演出の発想、すなわちモンタージュ技法と同様の発想から来るものです。コマの一つ一つが映画のワンカットワンカットと同様に扱われ、カットをばらして一つ一つだけを見ると無関係に見えるカットを連続させて演出する映画の基本的な作りと同様の発想で、コマが積み重ねられているのです。

このように、一見すると似たものに見えるマンガとグラフィックノベルは、その演出の発想が異なる、ほとんど別物のメディアと言えるのです。これが、5分の会話シーンを読むのに実際5分かかるように読者を誘導するグラフィックノベルを、あたかもマンガの一種であるかのように宣伝して売ろうとする業界の阿呆共が完全に失敗している理由です。シーンの中で流れる時間を読者が実際に体感することを通じて作品に没入するメディアであり、言葉による語りが絵の語りと同等、場合によってはそれ以上に重視されるという点において、マンガと真逆な発想で作られたメディアだからこそ、グラフィックノベルなのです。

しかし、ここで誤解してはいけないのは、グラフィックノベルの真価は、映画的な演出による映画的体験に留まるものではないということです。

そのことを作品自らによって証明した、出版後30年たっても相変わらずグラフィックノベルの頂点に君臨する傑作、グラフィックノベルの技法を再創造した金字塔とまで言われる作品が、かの著名なる「ウォッチメン」です。


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あらすじ等の予備知識を紹介したいところですが、この作品については不要、というよりいくら予備知識があっても無駄です。ありとあらゆるフィクションで鍛えたつもりの読者でも、面食らい混乱することが確実だからです。その原因は、現在のグラフィックノベルの源流となる革新性にあります。

この作品の革新性、それは、絵と言葉とで、それぞれ全く別のレイヤーに属する全く別個の物語を同時に、全く異なる複数の物語を一つの同じパネルに同時に記載して並列的に語っていくという手法にあります。

たとえば絵は街角の風景を描写しフキダシがフレームの外にいる市民の会話を読者に伝えているのに、その同じパネルに書かれたナレーションは、なぜか、およそヴィジュアルの描写とは無関係な奇抜な海賊物語を延々と語っているということが平然と行われているのです。そして、ここまでエクストリームな表現が行われたことで、グラフィックノベルには映画にも小説にも不可能な独自表現が可能であるということが証明されたのです。

想像してごらんなさい。もし映画で街角の風景が映し出され市民の会話が聞こえてくるシーンなのに、ナレーションがなぜか全く関係のない海賊物語を延々と朗読したら、観客はストーリーを理解できるでしょうか? 目で見ている映像の物語と、それと無関係に朗読される物語のどちらに注意すればよいのかもわからず、全く意味不明の映画となってしまうでしょう。わたくしが知らないだけでそういった映画も存在するのかもしれませんが。

ところが、グラフィックノベルではこれが可能なのです。映画が目と耳、映像と音声のメディアであるのに対し、グラフィックノベルは目で絵を見て、目で文字を読むメディアであることから、読者は別個の物語が並行して同時に進んでいると容易に認識し、それぞれのストーリーを同時に追うことが可能になるのです。動く映像も音もないことは、映画に対するグラフィックノベルの弱みなのではなく、表現手法によっては映画には不可能な物語を可能にする強みであるという画期的知見をもたらし証明したのが「ウォッチメン」なのです。

そして読者は目撃することになるのです。別個の物語が平然と同じパネルに展開していたはずが、やがて見えてくる複数の物語の間にある隠された関係・・・・そして、その奇抜な手法それ自体がストーリー上の要請であったことが明らかになり、そして訪れる驚愕のクライマックス・・・・ウォッチメンは映画にもなりましたが、この傑作グラフィックノベルを読んだ者が揃いも揃って「あの映画版も、あれはあれでよかったけど・・・・」と口を濁す、それほどの傑作であり、完全にグラフィックノベルを変えたグラウンドゼロの炸裂です。

その影響と方法論は、無論「モンストレス」にも引き継がれています。「ウォッチメン」は新たな方法論の実践を目的の一つに据えた作品なのでいきなり読むのにはエキストリームですが、さすがに「モンストレス」はそこまでとっつきにくいものではありません。

表紙から振り返ってみましょう。


(画像はAmazonへのリンク)


ちゃんと見てごらんなさい。繊細さがスリルすら演出する域に達したアートワークで、主人公であろう真の女が真の女に相応しい洗練された衣装を纏い、どこか彼方を振り返っています。過去に何かを抱えた真の女が、それでもなお前を向き前進しようとするそのエモーショナルな一瞬が切り取られているのです。表紙の背景、真の女が今まさに進まんとするその先に待ち構える謎の機械らしき物体・・・真の女の行く手を遮る複雑怪奇な運命を暗示して余りあることが分かります。さらにその奥に控える、邪悪さを感じさせる不穏で巨大な存在、そして虚無の暗黒・・・・真の女が立ち向かうのです・・・・MONSTRESS・・・それらの全てがフォントの選択や配置に至るまで完璧に決まっており、わたくしはそれだけで所有欲が十二分に満たされ、ため息をつき・・・・この作品をクリエイトした真の女の女たちが完全に本気でクリエイトしたことが一発で分かり、この作品が傑作であることを表紙だけで確信したのです・・・・見落とすところでした。真の女の左腕に備わったスチパンメカアームです。ページを開けば、真の女が阿呆共やファッション腐女子をその制裁のスチパンメカーアームでぶちのめして回る物語が展開するに違いありません。いえ、もしかしたらメカアームどころかサイコガンである可能性すら・・・・わたくしははやる気持ちを抑えながら冷蔵庫からコロナを取り出して開栓し、味わいながらゆったりと表紙をめくります・・・・・






本編開幕1ページ目に遭遇して受けたわたくしの衝撃が分かりますか? あろうことか真の女の衣を剥ぎ取り鎖につなぎ、あたかも家畜のように扱う下劣極まる醜悪さ・・・・表紙で真の女が見せたその儚げな表情は一体何処へ・・・わたくしは思わず目をそらし、うめき声を上げ・・・・真の女が味わう苦痛が身を切るようにわたくしに伝わったのです・・・・・その衝撃でわたくしは危うく手にしたコロナを取り落とすところでした。そんなへまをしてこぼした液体でこの傑作を汚すわけにはいきません。わたくしはページを閉じ、大急ぎでコロナを飲み干しました・・・・そして、新たなコロナを取り出し開栓して、覚悟を決めました。わたくしは落ち着いてコロナを味わいながら、再びページを開きました。






わたくしは覚悟をもって向き合い、そして鑑賞します・・・・わたくしがあれほど痛切な苦痛を感じたにもかかわらず、真の女は苦痛や屈辱の表情を見せるどころか、不敵に片眼をすがめ、口をかすかに歪めてフレームの外を睨みつけているではありませんか・・・その表情が無言で語っています・・・・あたしをなめるな、阿呆が・・・残酷な世界に満ち溢れる虚無の暗黒に取り囲まれた状況ですら、平然とその表情を浮かべているのです・・・・・では、なぜそのような筋金入りの真の女がみすみすこの苦境に・・・・コロナを半分ほど飲み干したところで、ようやくわたくしは混乱から立ち直り、絵のほかに文字があるのを発見します・・・「とある名前を探して三年かかった。その者を探してまた二年かかった」・・・・「そして今、あたしはここに辿り着いた」・・・もしや、この絶望的な状況すらこの真の女の想定の内・・・・わたくしは鍛え上げられた真の女の中の女が発散する無慈悲なキリングオーラを敏感に感じ取り、震えました。わたくしも真の女の自覚がある真の女だからです。ですが、フレーム外にいる阿呆もしくはファッション腐女子は当然そのようなキリングオーラを感じ取る感性などなく(だからいつも真の女にあっさりぶちのめされ、死ぬのです)、のんきに口上を述べます・・・・・・「・・・・今宵の始まりはロット8・1・9から、アーカン属(アーカニック)でありながら完全な人間の外見を備えるモノ・・・・金の欠片五つから・・・・」・・・・まるで人間の外見ではないヒトが存在するかのような物言いです。謎が膨らみます。ですがやはり真の女は困惑の表情一つ浮かべずフレーム外にいるその声の主を睨みます。フレームの外では、さぞかし多くの着飾りヘラヘラ笑う阿呆共とファッション腐女子が、その下劣さにふさわしい人身売買オークションに興じていることでしょう。同時にわたくしは理解しました。この真の女のこの表情は、ファッション腐女子をぶちのめす瞬間の到来を確信し、それを今や遅しと待ち構えていることを意味しているのだと・・・・そして、繊細極まるアートワークにより、これほどの下劣な状況を強いられていても、真の女には全く阿呆共に媚びる様子はなく、逆に虚無の暗黒の中にあっても輝きを失わぬその美しさを誇るかのようですらあります・・・・

またコロナが空になりました。もう10分にもわたって開幕1ページ目に釘付けになっていたことに気付きました。わたくしは3本目のコロナを開栓し口をつけたところで、遅まきながら、突然悟り、反省しました。わたくしは何も読めていませんでした。これほどまでの開幕ページ、それは、この作品をクリエイトした真の女たちがただ本気でやるだけでなく、容赦なく徹底的にやるというアティチュードの宣言であること、この作品が傑作ではなく超すごい傑作であること・・・・わたくしはそのことに気付かなかったことだけではなく、わたくし自身がファッション腐女子に堕する瀬戸際であったことを思い知り、大いに肝を冷やすと同時に反省しました。わたくしが開幕1ページ目でいきなり逃げ出そうとしたのは、表紙を見て真の女が本気でクリエイトしている事実に気づいただけで満足し、本気である以上に容赦なく徹底的にやる真の女の中の女によるクリエイトに対して油断していたからだと思い知らされたからです。

それなのにわたくしを救ってくれたのもまた、容赦なく徹底的にクリエイトしてくれた真の女の中の女たちでした。少しでも阿呆共に媚びたようなアートワークであれば、わたくしは間違いなく開幕1ページ目で挫折し逃げかえっていたでしょう。わたくしは心の底からの感謝を見ず知らずの真の女の中の女に捧げました。そして、あらためて安らかな気持ちでページをめくりました。

次のページで目にするのは、案の定、着飾ってヘラヘラ笑う阿呆共とファッション腐女子の群れ・・・謎も少し明らかになります。同じ室内では、なぜか羽やしっぽを生やした不思議な種族もオークションにかけられるのを待っています。あれがアーカニックなのでしょう・・・もう十分です。さあ、そろそろ真の女が阿呆共とファッション腐女子を思う存分ぶちのめしてくれるはずです・・・・・何故ですか! 何故真の女がなんらの抵抗もせずに最悪のファッション腐女子の巣窟に連行され、地下牢に繋がれるのですか!?

真の女が献上品扱いされ連行されたのは、恐るべきファッション腐女子カルト、「魔女」により構成される「クマエア」の本拠地です。かの地においてかの者らは、アーカニックに加える残虐な生体実験と拷問にふけっているのです。醜悪極まりない典型的ファッション腐女子の女看守が加える拷問の魔の手が真の女に襲い掛かります・・・・ファッション腐女子が面白半分で加える拷問に苦しみながらも、同じく地下牢に繋がれた健気な子狐タイプのアーカニックに迫る危機を目の当たりにし、ついに真の女の真の怒りが爆発します・・・・!

・・・・真の女の真の怒りを前にしては、看守の立場をかさに着たそこいらのファッション腐女子なぞなすすべもなくあっという間に無残に死ぬほかありません。ですが、そこには真の女の勝利に伴うべき爽快感は微塵もありませんでした。拷問によるダメージで床に這いつくばることを強いられる真の女・・・・ですがそれでもなお、震え、血反吐を吐き、苦痛に涙まで強いられながら・・・・真の女は再び立ち上がるのです・・・・

・・・・わたくしは、とっくの昔に空になったコロナ瓶を握りしめながら、歯を食いしばり、喉をカラカラにして紙面に見入っていました。ふと我に返ったわたくしは、ようやく呼吸することを思い出し、それから冷凍庫からテキーラの瓶を取り出してショットグラスに注ぎました。度数が高いために凍結を免れた危険な粘液がショットグラスを満たします。もはや、常温の液体ではわたくしの身体の内に膨れ上がる熱を冷却することはできず、度数の低い液体ではこの興奮を抑えることなどかないません。わたくしはショットグラスをひといきに飲み干し、すぐさまもう一杯注いで、物語に戻りました。

ボロボロになりながらも再び立ち上がった真の女は、脱走する囚人たちを傍目に、地下牢エリアの一角に目を向けます。その視線の先にあるのは、ファッション腐女子が真の女に対して警戒心ゼロであることを明らかにする奪い放題の重火器棚です・・・わたくしは悟りました。ペイバックタイム、真の女の中の女による危険なファッション腐女子狩りのときが訪れたのだと・・・・わたくしはたまらずショットグラスを飲み干して、そして展開に備えました・・・・

・・・立ちはだかるファッション腐女子は無慈悲に真の女の放つ炎に焼かれ、あるいはその怒りの刃を受けて、次々と倒れていきます・・・・そしてついに、探し求めていた者の前にたどりつき、対峙・・・・両者の過去には一体何が?・・・そして最終パネルに謎めいたクリフハンガーNEKO(猫)が現れ・・・・第一章が幕を閉じました。

わたくしは時計を確認して、約70ページにわたる第一章に優に二時間以上も没頭していたことに気付きました。テキーラ瓶から最後の一杯を注いで飲み干したわたくしは、深い満足のため息をついてページを閉じ、続きは翌日にすることとしました。




グラフィックノベルだと言っているのです


わたくしが目的を見失っているなどと言うのは一体誰ですか。真の女であるわたくしは必要のないことなど一切語っていません。そのことが分からないのは、阿呆共がわたくしの言葉をただぼんやり聞いているだけで全然自分の頭で考えていないからです。わたくしが包み隠さずわたくしの読書体験を語っているのに、阿呆共はそれでも全然考えていないのです。

もう一度、開幕1ページ目を見て、先ほどわたくしが余さず語った開幕1ページ目の構成要素を思い出しなさい。



これだけわたくしが説明しても下劣な目線でしかこのページを見ることができない阿呆共のために、わたくしは繰り返します。いいですか。

このページを構成する要素、すなわち、ビジュアルで表現された真の女の苦境、真の女の表情、フキダシのセリフ、独白のナレーション、そういった個々の要素が表面上は互いに裏切り合っているにもかかわらず一つのパネルに収まり、そして、それらの裏切り合う要素の総体は、個々の要素単体では直接的には言及されない一つの物語を構成しているというこの構造、こういった語り方を主軸にする構造がグラフィックノベルの特質であるということを、さっきからわたくしは丹念に説明しているのです。

こういったマンガとは異なる方法論を基礎にしたフィクションだからこそ、そのストーリーを理解し堪能するための、ただ単に絵を表面的に見て言葉の表面的な意味を把握するに留まらない、あたかも行間を読むが如き読解をグラフィックノベルは読者に要求するのです。

そして、このようなグラフィックノベルの特質は、映画よりも小説よりも、より容易かつ効果的にポリフォニックな、多声的な語りを可能にするため、グラフィックノベルには、他のメディアから独立した、独自のアート表現フォームとしての価値があるのだと言っているのです。

これだけ言っても、なぜわたくしがこれほどまでに怒りの炎を燃やしているのかを理解しないのですか。そもそも何故わたくしが今になってこのような詳細な説明をしているのかを。

この次元でも、日々、新たなデバイスが開発され、新たな商品カテゴリが生まれ続けています。そういった商品を売るからには、当然ですが、スマホでもVRデバイスでも新型ゲームハードでも、新たな商品がどう新しくてどう凄いのかをきちんと知らない人に説明して知ってもらうのがプロモというものです。

考えてもみなさい。もしIPhoneを完成させたばかりのスティーブ・ジョブズが、「見慣れないデバイスでとっつきにくいけど、従来の電話みたいなものだから、気軽に試してみてね」などと講演したら、誰もがジョブズを阿呆そのものと思うでしょう。

そして、グラフィックノベルが革新的で凄いことはこれまでわたくしが説明したとおりです。また、何年も何十年も日本の人々にとってはグラフィックノベルは馴染みが薄いままですが、それは同時に、今なお、グラフィックノベルを良く知らない人にとってはグラフィックノベルは新規性のあるメディアなのだということを意味します。

だからグラフィックノベルを売りたいのであれば、普通に考えたらどうするでしょうか。個々の作品に関する表面的な情報ではなく、グラフィックノベルというメディアがどう新しくてどう凄いのかをきちんと知らない人に説明して知ってもらうというプロモ抜きで売れると思うのは阿呆だけだと分かるはずです。

だからわたくしはさっきから業界の阿呆共に容赦なく怒りのサイコガンを連射しているのです。

耳を塞ぐのはおよしなさい。観念しておとなしくわたくしの怒りの制裁を受けるのです。


何故、業界の阿呆共は、もう何年も何十年も、グラフィックノベルというメディアがどう新しくてどう凄いのかをきちんと知らない人に説明して知ってもらうというプロモをしないままなのですか!


業界の阿呆共がやっている、グラフィックノベルをマンガのようなものだとして売ろうとするというプロモは、あたかもIPhoneを「見慣れないデバイスでとっつきにくいけど、従来の電話みたいなものだから、気軽に試してみてね」とプロモして売ろうとするが如き阿呆そのものの振る舞いです! だから売れないのです!


その上業界の阿呆共は、自分自身の明白な阿呆ぶりを全く自覚できないほどの阿呆ぶりを棚に上げて、グラフィックノベルは絵柄とかが日本人の好みではないとか適当な理由をつけて仕事をさぼるどころか、あたかもグラフィックノベルがケモナーだのという趣味の客向けのニッチな商品であるかのような売り方をつづけ、作品の本来の価値を広めるどころか逆にその作品と読者の価値を貶め続けているのです!





反論があるなら言ってみなさい。











いい加減泣き止んだらどうですか。わたくしは、業界を攻撃したいのではなく、逆に助けたいと思っていることくらいは分かるはずです。わかったら、きちんとフィクションの価値というものを理解し、そして、自らの使命を思い出すのです。

「残酷であると同時に美しく、力強く、そして魂を揺さぶる」こう聞くといかにも陳腐と感じるでしょう。ですが、そういった要素こそ、価値ある、同時に売れるフィクションの多くに共通する要素であることもまた事実です。それこそがフィクションの持つ価値を示しています。

「残酷であると同時に美しく、力強く、そして魂を揺さぶる」とは、世界のありかたそのものです。だから人は、たとえ生きる意味といったものが分からないままでも、その体験を求める欲求に突き動かされ、世界とのかかわりを求めようとするのです。

人が世界とかかわる体験を提供するメディアであるからこそ、フィクションは価値あるものなのです。だからこそ、そのような価値あるフィクションを人に届ける行為には、フィクションそれ自体に勝るとも劣らない価値があるのです。

ここまで理解できたのなら、価値ある使命を担っているのだときちんと自覚しなさい。「モンストレス」を、グラフィックノベルを、真の価値ある作品をより多くの人に届ける使命があるのだと。

だからわたくしは真の女の中の女として命じます。

業界は、出版社の垣根を越えて協力し、グラフィックノベルというメディア自体の新しさと凄さをより多くの人に、ニッチの市場を広げようとする方向ではなく、既に存在する、映画と小説とを問わず価値あるフィクションを求める数多くの人々に知ってもらうためのプロモキャンペーンを展開するのです。作品の表面的な情報ではなく、新しく凄いメディアを通じた新しく凄い体験の存在を知らせるようになさい。分かりましたか?

そしてそのプロモの旗印として「モンストレス」を掲げなさい。いいですか、作品単体だけを売ろうとするのではなく、グラフィックノベルという新たな価値を同時に知らしめようとしない限り必ず失敗するのだということを肝に銘じなさい。

丁度良いところです。窓の外を御覧なさい。

爆発がありました。

その中心から虹色の光が広がり空を覆っていきます。スマホ奴隷状態で俯き歩んでいたゴッサムの市民がみな、空を見上げます。ゴッサム上空で「モンストレス」の爆発が起こったのです。

つい先ほど、わたくしの放っていたエージェントの報告により真相が判明しました。ウェイランド湯谷による弾圧と情報操作は、やはり、その背後に隠れたレックス・ルーサーの陰謀によるものだったのです。

だから今こそ、真の女の中の女であるわたくしは、「モンストレス」がわたくしたちの世界にもたらされた真の意味を明かしましょう。聞きなさい。


革命の時が来たのです。


それが理解できたのなら、立ち上がりなさい。そしてタイツを履きなさい。


奴らに地獄を見せてやるのです。






登場人物紹介



随分とお待たせしてしまいました。ですが、わたくしの話を聞いていたのなら、もう貴女も「モンストレス」にどう接すべきかお分かりでしょう。じっくり腰を落ち着けて、ゆったりと、ページの隅々まで目をこらしてかみしめるように鑑賞なさい。

わたくしが登場人物を紹介するだけで、貴女はそのような読書体験をますます欲するでしょう。



マイカ(画像左)       謎の暗黒存在に憑依され苦しみつつも、暗黒存在と対話し、乗り越え、恐るべきファッション腐女子に立ち向かう、真の女です。ちなみに、表紙ではスチパンメカアームが登場しますが、第一巻を読む限り、本編の内容は別にスチームパンクでも何でもありませんでした。その点だけは注意しておきなさい。

ツヤ(画像右)        マイカと共に旅する、マイカと強いきずなで結ばれた少女。謎の目的のためにマイカが単独行動をとったためにふたりは離れ離れになってしまい・・・・そしてその驚くべき秘密とは・・・・



キッパ(画像左)       第一巻を読んだ限りでは、いまひとつ何をしに出てきたのか良く分からないキャラです。したがって、業界は直ちに続刊を刊行する義務があるといえるでしょう。

マスター・レン(画像右)   「司令官レン・モーリアン、偉大なエンシェント、白爪館のツーフェイス・ゾリアンの弟子、ネコマンサー」(本編のセリフから引用)です。「古代の死者をよみがえらせたこともある」(本編のセリフから引用)そうです。


その他の主要キャラはだいたい真の女に殺されるファッション腐女子か、真の女に殺されてゾンビとして蘇るファッション腐女子だと思っておけば、本編の理解が捗るでしょう。



・・・・どうしたのですか? ここまで来て何を怯えているのですか。



・・・・なるほど、新たな沼を前にして、どれほどの課金を強いられるのかが貴女は不安なのですね。ですが、恐れる必要はありません。ウェイランド湯谷がひた隠しにしてきた、もっとも重大な秘密を貴女に明かしましょう。





実質無料です



何を驚いているのですか。貴女はウェイランド湯谷の呪縛にまだ囚われたままで、グラフィックノベル一冊2000円が高く、ガチャ10回2000円が安いという完全に狂った貨幣価値を刷り込まれていることをきちんと自覚なさい。

貴女はこれから話すわたくしの話を心して聞いて、そして、グラフィックノベルが実質的に無料であるという厳然たる事実を胸に刻み、今後の人生を歩む必要があります。

数えてみたのですが、わたくしは30冊くらいの厚かったり薄かったりするグラフィックノベルを所有しており、その総ページ数は約5000ページにも上り、つまりわたくしはそれほど大量の傑作を最低100時間は読んできたことになります。これはもう完全にプロの域に達していて、わたくしがグラフィックノベルについて語る内容は完全に信頼でき真実そのものといえるでしょう。

このようにしてわたくしがグラフィックノベルの真実に開眼し真の女の中の女として鍛え上げるために必要だった金額は、僅か8万円くらいにすぎません。

・・・・何ですかその顔は・・・・残念ながら、貴女の歪んだ貨幣価値に合わせた説明をせざるを得ないようです。こういえばわかりますか?

約5000ページにも上る、読むのに100時間以上もかかった膨大な傑作群を、わたくしは、ガチャをたった400回回すだけで入手したのです。

どうですか。このような説明であれば、貴女にもこれがもう無料に近いということが良く分かるはずです。貴女には、たったのガチャ400回だけで100時間以上の超長大なストーリーを完走する自信はありますか?

しかもわたくしは、実際にはガチャを回すふりだけして実際には回しておらず、一円たりとも運営に金を搾り取られずして膨大な傑作群を入手したのであり、これは完全に無料に等しいことが数学的に証明されているといえます。

ですから、貴女は新たな沼に対して何ら恐れをいだく必要はありません。むしろ、これからわたくしが紹介する無料で入手可能な傑作の一部を聞くだけで、貴女は新たな沼に対する憧れすらいだくようになるでしょう。

もちろん、いくら無料とはいえ、いきなり貴女にバットマンやスパイダーマンみたいなどれから読んだらいいのかよく分からない沢山出版されているシリーズとかを紹介することはありません。安心なさい。わたくしもスーパーマンとかスパイダーマンとかについては全然読んでません。





DARK KNIGHT バットマン:ダークナイト(ケース付) (SHO-PRO BOOKS)

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何か文句があるのですか? わたくしはバットマンは紹介しないと言いましたがダークナイトを紹介しないなどとは一言も言っていません。特にこの一冊については、他の沢山あるシリーズとは設定とかの面で無関係なこれだけで独立した長編となっており、予備知識なしで読めます。バットマンを引退して10年もたったのに自警衝動が全然収まらない、だいぶ禿げ散らかしてきたブルースウィリスがとうとう活動を再開し自警欲求の赴くままに自警していたらなぜか冷戦時代の世界情勢に巻き込まれ・・・・というストーリーがブルタルな筆致で綴られていたと思ったら読者はうっかりエモーショナルな瞬間に衝突するという完全に規格外な内容で「ウォッチメン」と並び称される「ダークナイト・リターンズ」と、その続編の「ダークナイト・ストライクス・アゲイン」の豪華二本立てです。ちなみに、続編のほうは、巨匠フランクミラーがネット社会に対して完全にブチ切れてめちゃくちゃをやるサイバーパンクの傑作だと思っているのですが、世間の評価はずいぶん低いようです。なぜでしょうか。



ゴッサム・アカデミー (ShoPro Books)

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見ての通り、阿呆共に全然媚びていない、真の女が好む真のKAWAIIがあることが貴女にも分かるでしょう。ですが内容は完全に鍛えられる内容でちゃんと腰を据えて取り組む必要があります。グラフィックノベルは、表面的に軽ければ背後のテーマが社会の不寛容性とかの普遍的で重いやつであることがお約束であるため、常に油断せず覚悟を決めて挑むべきです。



Y:THE LAST MAN 1 (GRAFFICA NOVELS)

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2002年のある日、一瞬で地球上の阿呆共全員に加えて、全ての哺乳類のオスが死に絶えた! と思いきや、なぜか一人だけ生き残ってしまった青年ヨリックが真の女であるエージェント355と長い長い旅路を歩む。果たしてヨリックは真の女が好む真の地球最後の男になれるのか・・・・という真の女として鍛え上げるための必須科目といえる作品です。完全に容赦なく徹底的にクリエイトされています。覚悟なさい。全5巻です。



絶対無敵スクイレルガール:けものがフレンド

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何ですかこの阿呆共に媚びたクソどうしようもないカバー、そして阿呆共に媚びることにすら失敗しているクソどうしようもなくセンスに欠ける日本で勝手に付けた副題は! 恥を知りなさい! 見なさい。このようなまるで客を騙して売ろうとしているとしか思えない行為こそが、日本におけるグラフィックノベルの広がりを阻害し、作品と読者を貶めているというわたくしの意見が完全に正しいことが貴女には分かるでしょう。大体、本文の絵柄の表紙では売れないとでも判断してこんな表紙にしたのであれば、最初から出版するなというべきであって完全にクリエイターの冒涜であり、その上、クリエイターがストーリーテリング必要性から選択した絵柄を否定しているということになりすなわち完全にリスペクトに欠けているどころか、会社全体が全くグラフィックノベルを読めていないということ完全に露呈しています。そのような出版社の存在は有害であり、はっきり言って業界から退場すべきです。ちなみに、3種類買ってギャラクタス女みたいなクソキモイ阿呆共に媚びすぎのやつを1冊もらうキャンペーンも完全に気に入らないため、わたくしはMsマーベルもグウェンプールも買いましたが、ぜったいにギャラクタス女のほうは金輪際そのような会社からタダでプレゼントしてもらおうとは思いません。わたくしは奥ゆかしさを知る真の女ですから、以上のような意見をツイッターやら何やらの目立つところには書かずにおいてやります。感謝なさい。本編の評価は端的に言って最高であり、完全にゆるいカートゥーン絵柄で自由すぎるストーリーが展開されていたと思いきや、恐るべきエモーショナルな月面でのカットで完全にやられる内容となっており、是非ともこれで鍛えるべきでしょう。阿呆共に媚びるようなことはしなくても、主人公の人気は本国アメリカで相当伸びており無敵のヒロイン・スクイレルガールは今年からマーベルが相当力を入れて始めるアニメシリーズでもスパイダーグウェンやMsマーベルとともにヒーローチームの一員として相当抜擢されているということを考えても、上記の出版社のセンスは完全に古くて全く話にならないということを申し添えます。



ゴーストライダー:破滅への道 (ShoPro Books)

(画像はAmazonへのリンク)


貴女は最後にこのことを学ぶ必要があります。ガース・エニスこそは真の女が好む真のグラフィックノベルライター(原作者)であり、鍛え上げる上で可能な限りガース・エニスの全作品を読むのは貴女の義務であると心得なさい。この表紙だけを見てこの作品が阿呆好みのアクションだという先入観を持ったのであれば貴女は完全に油断しており全く鍛錬が足りていません。ガース・エニスこそ、真の女が好む真のカウンターフォースであり、わたくしのように鍛え上げた真の女の中の女であればたとえばヒットマン5巻にあるテニスンへの言及は同時にピンチョンへの言及でありそのほかにもザ・ボーイズの世界観やシャーリーテンプル子役めいたファッション腐女子をむごたらしく殺すことでシャーリーテンプル的なものに完全にむかついていることを表明するなど完全にピンチョンとかの現代文学の文脈で理解しエキサイトして読むべきなのに業界は一度もまともにそんな指摘をしたやつはおらず、完全に間違えてばかりで、たとえば犬溶接マンでバズったやつですらヒットマン5巻の解説で、近年始まったシリーズで黒人の二代目ドッグウェルダーが出たからドッグウェルダーの本体が溶接機なのではという疑惑が浮上したみたいなことを言っていますが実際には当のヒットマン5巻本文56ページでドッグウェルダー人間が死亡した後なのにドッグウェルダー溶接機が勝手に動いて犬を溶接している様子がきちんと描写されておりこれが実はシックスパックの勝利の伏線になっているのでこの時点でドッグウェルダーの本体は溶接機であることが確定していることに全く気付いておらず全然読めていないという体たらくで、もう完全に業界はリセットして一から出直すべきではないかということをたまに考えることがあるのですが、ちゃんとこの後もパニッシャーマックスとかの続刊をきちんと刊行するとここで約束するのであれば命だけは奪わないでおいてやります。わたくしの前にひれ伏して感謝なさい。ちなみに本作「ゴーストライダー」についてですが、炎を上げて燃え上がる骸骨人間ゴーストライダーがうっかりKKKの阿呆共を轢殺しながら地獄から復活したかとおもいきや、肝心のバイクを天界が派遣した恐るべきファッション腐女子にパクられた結果、骸骨ボディを燃え盛らせたままオープンカーの後部座席に乗せてもらってのんびり移動することになるという衝撃的にぼんやりとした展開となり、恐るべきファッション腐女子が見せ場のほとんどをかっさらうという話であり、ガース・エニスが正気でないことは今に始まったことではありませんが、この脚本でゴーサインを出したマーベルの編集者のほうもその精神を疑わざるを得ず、巨大企業マーベルですら狂気に突き動かされクリエイトしているということが完全に分かり鍛えられるでしょう。



選択なさい



貴女は今一度、わたくしの冒頭の言葉を思い出しなさい。そして、運命の時が訪れたことを受け入れなさい。

わたくしは鍛え上げあれた真の女の中の女ですから、たとえわたくしが自分の考えを正しいものと確信していても、その考えを貴女に押し付けることはしません。遠慮なく、目の前のふたつの沼のうち一つを選びなさい。

ただし、このことだけは最後に言わせていただきます。

貴女がいい年こいて恥も外聞もなくお年玉としてせしめてきたその万札の使い道により、貴女の未来が決まるのだということをきちんと心得た上で、選択し、正月を送りなさい。

そして、沼のうちの一つは単なる行き止まりの沼であり、貴女はぬるま湯につかった正月を送ることができます。しかし、もう一つの沼は未来に通じる沼であり、貴女は真の女を目指して自らを鍛える、真の女が好む真の正月を送ることになるでしょう。

さあ、選択なさい・・・・

ちなみに、貴女が選択を誤ったとわたくしが判断した場合は、このわたくしが、貴女の正月を終了させるでしょう。覚悟なさい。