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ニンジャスレイヤーは倫理

(ヘッダ画像は物理書籍公式サイトより引用)



はいどうもー。早速だけどみんなはパルプ好き? 俺は大好きだ。だから俺はいつも油断なく真の男が好む真のパルプ、つまり、一話完結型とかの手軽に読むことができる、カラテモンスターの域に達した主人公がアクションを繰り出してファック野郎を叩きのめし、そしてその主人公のアクションは、単に敵を叩きのめすアクションにとどまらず、サイバーパンクそのものの世界で抑圧されどん詰まりの袋小路であえぎ立ち往生しているやつらにとって、ふたたび歩み続けるための一歩を踏み出すきっかけとなる……そういうアツいフィクションの出現に常に目をひからせている。

それなのに俺は、真の男が好む真のパルプそのものとしかいいようがない熱い作品の存在を長年にわたって見落としていたことに最近になってようやく気付くという失態をおかしてしまった。これは俺としては完全に反省させられる経験であると同時に、全力でレビューすることで警鐘を鳴らし、とにかく無理矢理読ませるなどの行為に今すぐ出なければならないと感じたので、この記事を公開することにした。

ぐずぐずせずに本題に入ろう。俺が最近になってようやくその存在に気付いた真のパルプとは、これだ。





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(画像はAmazonリンク)


作者本人が作品タイトルの略称として『倫理』を採用しているのにならい、俺もこの作品のことを『倫理』と呼ぶことにする。

『倫理』の上の画像のようなルックやお説教がましい作品タイトルから、『倫理』のことを画像の男がやけにクネクネしながら偉そうにお説教を垂れたり口ゲンカバトルをするような作品だと決めつけるやつもいるだろう。だがその決めつけは完全に間違っている。いや本当は少し当たっている部分もあり、作中でこの男はよく分からないタイミングで唐突にクネりを入れてくる。だが無意味なように見えるクネりとともにこいつが作中で繰り出すアクションは、お説教とは真逆の熱いアクションだ

試しに今すぐ公式サイトとかにある試し読みにダイブしてみろ。俺の言っていることが何ひとつ間違っていないことがおまえには一発で分かるはずだ。

だから俺はこんかい、『倫理』がなぜ今すぐ読むべきパルプの傑作なのか、その理由を徹底的に解説しようと思う。


1 主人公が真の男


主人公の高柳(たかやなぎ。「たかやな」とも)ときたら、開幕早々教室内ファックにいそしむガキどもの前に姿をあらわした瞬間から完全にヤバいオーラを放っている。やけに発達した大胸筋とかとは裏腹の、全く何を考えているのか分からない無表情な顔。伏し目がちの目線は無駄に泳いでいる。よく意味が分からないクネりも入れてくる。おまけに足元はワークブーツをHIPHOP野郎みたいな履き方をし、そしてその口から漏れる、ガキ相手なのにもかかわらず馬鹿丁寧な口調とおよそ教師とは思えないあまりにも常識外れの思考……そういうのに出くわした瞬間、俺は思った……この男、ほぼ間違いなく狂人……俺は油断なく警戒しながら読み進めた……

そういうかんじの出会いをきっかけに、やがて高柳はファックしか能がないような女のガキにまとわりつかれるようになる。だが高柳ときたら非人間的なほどに全く揺らぐことなく、突然オイランについて解説するとかして、ガキが自ら学ぶように仕向ける……そういう高柳のアクションを通じて俺は気付いた。高柳は常に、学びについて余りにもシリアスなのだ。だから表情とかを作る余裕が全然ないし、自分が教師であり、ファックしか能がないような女のガキは一応生徒の立場であるにもかかわらず、そういう立場とかの違いを超えて完全に対等な一人の人間としてリスペクトし、接する。だからこそのあの高柳の口調……そういう高柳の接し方は、ファックしか能がないような女のガキにすら自ら学ぶことを学ばせる……白状すると俺は少し恐怖心すら感じていた……Takayana, you’re such a Manabi Monsuter……ニンジャスレイヤーことフジキド・ケンジがカラテモンスターなら、たかやなのやつは明らかに学びモンスターだといえるだろう

しかしだからといって、たかなやをすぐさま真の男だと判断するのは早計だ。たかなやは、学びにシリアスな余り狂気に陥った単なる学びモンスターにすぎないのかもしれないからだ。だからたかやなは、建前もきれいごとも通用しないピンチのさなかでどのように決断し、アクションするかを示すことで、自らが真の男であることを証明するひつようがある。そしてその機会は早くも第一話のクライマックスで訪れた……

たかやなに出会ったことで単なるあほをやめて自ら学び始めた例の女子生徒だが、この世界は女子生徒を放ってはおかなかった。タルサ・ドゥームの過酷な支配は今やほぼ完成しつつあり、ガキどもですら容赦なく搾取の構造に組み込まれ、抑圧される。SNSとかスマッホによってだ。そしてこの世界は、ガキが女ならただ女だというだけで同じガキからも搾取される、余りにも残酷な場所だ……その搾取の魔の手が例の女子生徒に伸びる、その時。

女子生徒とファック野郎どもの前に突如としてあらわれたたかやな。そしてたかやなは……一切の躊躇なくカラテを繰り出した!


「合意ですか? イヤーッ!」


……このすさまじいカラテの熱量がおまえには分かるか? 前提として、俺が前から何度も強調しているとおり、会話とかダイアローグは、単に人間が言葉を発してるのではなく、そういう言葉の字面の意味を超えたアクションであることは完全に証明されているから、つまりはカラテだ。それにニンジャスレイヤーを読んでいるやつなら、カラテとは単なるパンチとかキックではなく、人間力のメタファーであることに薄々気付いているはずだ。つまりたかやなは、絶体絶命のピンチを前に、建前やきれいごとではなく、おのれの人間力をもって立ち向かうひつようがあった……

だから「合意ですか」という台詞もただのしつもんではないことがおまえにも分かるだろう。たかやなは繰り出したカラテを通じて、女子生徒に人間力の全てをこめてアクションしており、要するにはたらきかけたのだ……今こそ、おのれ自身に向き合え……おまえが自分の本当の望みと向き合い、それを掴むために世界に抗うことを選択するなら、おれはけっしておまえを見捨てない……そうゆうアクションが女子生徒の心に届いたから、カラテの熱量は一瞬で女子生徒の生き方を完全に変えることになり、女子生徒は熱い涙を溢れさせて、たかやなにリアクションした……NO……

……こうしてたかやなは女子生徒をピンチから救った。女子生徒が自らを救うことを学んだからだ。うなだれて搾取されるがままだったガキが、おのれの内に眠るエゴを見つめることを通じ、前を向いて自分の意思で歩み始める……それはささやかなように見えて、実際には生き方が根本的に変わっていることがおまえには分かるだろう。たかやなのカラテがそうさせたのだ。おれは直感的にさとった……Takayana……しんの男だ……女子生徒もたかやなのことが好きとかなんとかたかやなの背中に必死に訴える……だが教室を去るたかやなは振り返ることなく、答えた……

「……”愛こそ貧しい知識から豊かな知識への架け橋である” マックス・シューラー」


……いやごめんさっぱり意味分かんねえ。なんでそのタイミングで名言引用? というかつまり何が言いたいのかとかもどういう脈絡なのかもまったく理解出来なくてギャグにしか見えない。たかやなは、やっぱり学びにシリアスになりすぎただけのバカなのかもしれない。ちなみに、唐突に名言を引用するギャグというのは、ニンジャスレイヤーの連載をしているほんやくチームも過去に披露している。



2 サイバーパンクだ


たかやなが真の男なのかそれとも単なるバカなのかはひとまずおいといて、俺は『倫理』が持つサイバーパンク特有のすごい熱さについても語っておくべきだと思った。

とにかく2021年現在、サイバーパンクは完全に来ていて、映画、ゲーム、その他もろもろの作品がここ数年で爆発的に増加している。なぜか? 現実の世界がサイバーパンクに追いついてしまい、かなりまずいことになっているからだ。ネットワークが人と人とをつなげて幸せを生み出すなんてことは全然なく、SNSとスマッホが普及しだしてからはじんるいの分断は加速する一方だ。

それで結局のところ、SNSやスマッホの普及は人類を幸せにしたか? SNSが今まさに、おまえを幸福にしているか? はっきり言ってそんなことは全然なく、SNSやスマッホは、完全に分断と抑圧のツールにしかなってない。つまり完全にテクノロジーによる人類の抑圧なのでサイバーパンクそのものだから、これが相当にまずい状況であることに気付いたやつがどんどんサイバーパンク作品を書くようになっているというのが俺の分析だ。

そういうことをふまえた上で、おまえは今一度、今のガキどもがおかれているきつい状況について考えておくべきだ。ガキどもをみてみろ。どいつもこいつもうつむいたっきりのスマッホ奴隷状態だ。だがそれはガキどもの責任では全然ない。自分の責任でもなんでもないのにSNSとかスマッホが人類を分断し抑圧する世界に放り込まれ、昔の時代よりもずっと難易度が上がった世界の壁に直面し、ほとんど希望を失うところまできているのだ。

だがだからこそ、たかやながアクションすることでガキどもが学び、ずっと下向いたままだったガキどもの視線が上向くだけで、そこにはものすごい熱量が生まれる。たかやなを通じて獲得したガキどもの学びは、テクノロジーの抑圧に対する反抗であり、まぎれもないサイバーパンクそのものといえるからだ。

つまり『倫理』は今の時代に求められた完全にサイバーパンクそのものの作品であり、おまえは今すぐ読む必要があるといえるだろう。たかやながアクションし生徒が学ぶときにうまれる熱量……そういうのが基本一話完結型のエピソード群で供給されるので、今すぐ気軽に始めることができる。


3 第二話でさらに凄いアクションがさく裂する


だが俺が『倫理』の真価を悟ったのは第二話を読んだときだ。この第二話のクライマックスの迫力はあまりにもすごく、いろんな意味でほとんど空前絶後のドラマが展開する。

このエピソードの主役は新たに登場する偉そうな女子生徒とあほの女子生徒だ。偉そうな女子生徒はたかやなが生徒を見下していると一方的に決めつけて廊下でたかやなを捕まえ、たかやなに難癖をつける……こういうガキ相手でも誠実に対応するたかやな……だが目線は泳ぎまくる……泳ぎまくった末、なんとなく窓の外に目線が向く……その時。

突如としてたかやな瞠目、血相を変えて走り出す。ほったらかしにされた格好の偉そうなガキもまた窓の外を見ると、向かいの校舎の屋上にいるのは、屋上フェンスを乗り越え済みの、あのあほの女子生徒……!

……こうして、一切の建前ときれいごとが通用しない、校舎屋上女子生徒飛び降り阻止シークエンスが始まる……まさに絶体絶命の極限状況下でたかやなが繰り出すアクションとは……俺は全くの予備知識抜きで遭遇したときに滅茶苦茶衝撃を受けた。あまりにも想像を絶する途方もないアクションだったからだ。いや、正確にいえばアクションそれ自体はそこまで派手ではない。どちらかというと、「理屈上は正解でも実行するのはバカ」系のアクションといえるだろう。ニンジャスレイヤーでいえば例のムーンウォークとかだ。

だが主人公が恥も外聞もかなぐり捨てて、ある意味かっこ悪さの極みともいえるアクションをためらうことなく繰り出したとき、そこには、爆笑と興奮が同時にもたらされるという強烈なカタルシスが発生する。そして、たかやながほとんど苦し紛れであほの女子生徒に「絶対にお嫁さんになれます」と伝えた後に引き続く一連のアクションときたら……これは是非とも、俺のねたばらしを聞く前に各自で読んでほしい。たしかこの第二話も公式サイトのどっかに試し読みがおいてあったはずだ。


4 完全にシリアスなテーマを据えて主人公がもがき苦しむ


こういうかんじで『倫理』のストーリーは、各話ごとに新たな生徒が主役を張り、その生徒の目から見たたかやなが描写されることで次第にたかやなの複雑な側面が立ち現れるとともに、倫理の授業を選択した高校3年の生徒たちとたかやなとの交流や生徒たちの成長がつづられる、といった具合にすすむ。

そして第18話(単行本第4巻収録)で、一年間の倫理の授業を終えたたかやなは、めでたく卒業する生徒たちを送り出しシーズン1終了……となるのだが、作者はなんとこのタイミングでとんでもない爆弾を爆発させる。これも是非とも各自で読んでその衝撃を味わってほしいんですけど、この第18話で初めて、作者のこの作品に関する具体的な構想が明かされたといっても過言ではなく、その構想は衝撃的だ。

これもあまりネタバレしたくないので俺としてもどこまで話していいのか迷うけど……まあこれくらいならいいか。ずばり、『倫理』の全体を貫くテーマは「愛」だ。だから第一話で、あの女子生徒を登場させた上で、たかやなも「”愛こそ貧しい知識から豊かな知識への架け橋である”」みたいな意味わからん引用をしていたのだ。そして第二話以降は、まるで「愛」なんてテーマなどなかったかのように水面下にひっこめた状態でストーリーを綴り、第18話で再びテーマを浮上させた。なんという超絶技巧だ。俺はほとんど打ちのめされた。

かくのごとく、『倫理』はおまえが今すぐ読むべき、真の男が好む真のパルプであることが証明された。そういえば、ニンジャスレイヤーを連載しているほんやくチームは折りに触れて「忍倫」という胡乱なワードを使用しているが、あれも「ニンジャスレイヤーは倫理」の略だと思えば納得がいく。つまり、完全におまえのためのパルプだ。


そして引き続きたかやなは二年生の生徒たちを教えるクラスを受け持ち、2021年現在、シーズン2ともいうべき物語が展開中だ。単行本5冊買えば今すぐ追いつける。迷わずダイブしろ。




じゃあ最後に曲紹介のコーナー。まあ俺はさっきから話してるとおりほんとにスマッホ不信の塊で、いろいろ分断されまくったせいで良い音楽の情報とかもぜんぜん入ってこなくなるっていうのは許しちゃだめだとおもってるんですよ。それって大げさでもなんでもなく、文化の衰退ですよ。だからたまにはね、スマッホのスの字も何もなかった悠久の90年代とかに思いをはせて、浸ってみたりしても良いとおもいます。いってみましょー。90年代を代表する傑作アルバムといえば必ずといっていいほど名前が挙がる『The Miseducation of Lauryn Hill』からの大ヒット曲


Lauryn Hill - To Zion



それじゃ、またねー