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ピンチをアドリブで乗り越える技 55/100(Thought)

自問自答を繰り返しながら、
アドリブと演技の関係を
追求していってみようと思い立ちました。
100回(?!)連載にて、お送りします。


前回と前々回で、一つの場面においてキャラクターが持つ『Objective』と『Obstacle』、願望とそれを拒む障害、を検証することが重要であるというお話をしました。

そこに、ピンチに陥るなどの状況の変化が起きた時、つまりは即興術の『Conflict』(38/100参照)が起きた時に、変化するのは『Objective』ではなく、『Obstacle』の方かもしれないという発見もありました。

『Objective』は一つの場面において、一つだけ用意するものです。

その範囲を大きくして、全体のストーリーにおいての目的・願望を、「Super Objective」呼びます。

今回お話しするのは、逆に、それぞれのセリフについて、選定していかなくてはいけないものである『Thought』です。

「月が綺麗ですね」

夏目漱石が「I love you」の訳し方としてこう表現したという逸話がありますが、私はこれを逆に捉えます。

「月が綺麗ですね」がセリフで、「愛してます」が『Thought』です。

口では「月が…」としか言ってませんが、その裏には「愛しています」という想いなり気持ちが存在している訳です。

台本に書かれているセリフには、裏がほぼ必ず存在します。というか、この裏の意味を見つけることこそが、自然で深い演技を行うための要だと思います。

以前、『己』という日本語の表現についての悩みを書きましたが、じつはこの『Thought』もなかなか悩ましいです。

どう訳すべきでしょうか?
考え
想い
心情
心境
思考

などが考えられますが、私のイメージでは、『Thought』はこれらの総称であり、もっと普遍的なものです。それこそ、

『我思う、ゆえに我あり。』

的な感じです。

原文はラテン語で、
“cogito, ergo sum”

これが、英語では
“I think, therefore I am.”

となりますが、日本語では
『我思う、ゆえに我あり。』

と訳されます。

cogito = I think = 我思う
が正しい訳なのか、難しいところです。

「思う」と訳してしまうと、「感情」と近くなりすぎるイメージが私にはあります。

感情を追う演技は避けるべきだ、
と言っている私の対案としての『Thought』なので、これでは困ります。

今のところ、私は「意思」という単語を用いて、この『Thought』を訳しています。

演技をするにあたり、その姿勢は前のめりで、能動的でなくてはいけないので、「心情」とか「心境」のような、内向きなイメージのある単語よりも、「意思」が相応しいように思うのです。

感情を追う演技をするのではなく、明確な意思を持った演技を志します。

そしてその意思の繋がりが、場面全体の思考回路を形成します。

その思考回路を追っていくと見えてくる目的地、それが『Objective』です。



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