共感で声を上げるっていいのわるいの?

こんにちは、なおつぐです。

ちまたでは、ウクライナにおける戦争でプーチン批判が高まっていますね。
もちろん、ウクライナへの侵攻における残虐な行為の数々は許されるべきものではないですよね。

ただ、プーチンを一方的に悪者扱いするような風潮には少し違和感を感じるというのを少しお話しできれば幸いです。

今回の戦争は明らかにロシアにとってすごく痛手をこうむっていて、すでにデフォルトに近い状態であるし今後も国際社会から孤立化が増すことを考えると
今行っているロシアのアクションは論理的ではないでしょう。

逆に言うと、論理では説明ができないような思想の領域に近い気がしています。
思想として譲れないものがあって、それを達成するためには社会からいくら反感を買っても成し遂げたいと思うこと

これが彼を突き動かしているのではないでしょうか。
犯罪者には犯罪者なりの論理があるわけで、それを無下に否定しても話は平行線になるなと。

人々の立場を、加害者 被害者 傍観者で分けた際、日本人の大半は傍観者に当たるのではないでしょうか。

もちろん、傍観者は傍観者なりの社会への示し方(=募金や抗議運動)などをする必要がありますが、
加害者を悪い人であると「決めつけ」、話を聞かないようになるとその運動が暴徒と化す瞬間にまた一歩近づくことを恐れなければなりません。

共感はものすごくつよいエネルギーになるし、共通の敵をつくることは共感を作り仲間意識の結束を高めるうえにおいて非常に大きく作用をします。
だからこそ、そのようなことを傍観者はそれをきちんと自覚し意思表明をするべきではないでしょうか。

自分は社会のマイノリティーであるという自覚があるせいか、どうしても大衆が一つの意見を強く掲げるとそれとは逆の方法で捉えられないだろうかと考えてしまう癖があるようです💦。
常に、意見には懐疑的であり続けること これが真の意味で自由であることにおける大切な要素なのかもしれませんね。

今日も素敵な一日になりますように

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