リベリアの起源と悲劇

18世紀の終わりころから、アメリカにおける奴隷制度の廃止の流れが生まれ独立するようになる。その時、「自由になった黒人をどう扱うべきか」という問題が生まれる。

白人は、白人の仕事を奪うことや反乱を起こすことに対するリスクや黒人を人種として劣っていると考える人がいる中では自由になれないという考えから、奴隷として扱っていた黒人をアフリカに帰し定住できる土地を与える政策が打たれるようになる。

しかし、これはアメリカから自由黒人を排除すると捉えることもできこのプロジェクトに反対する自由黒人もいたが、結局は当時のアメリカ大統領が強く推奨することでこの計画は進んでいくようになる。

最初の二回の渡航計画は、定住する土地を先住民族からもらえなかったこと・感染症などで死亡する人が多かったことで計画がとん挫。

そのため、当時の大統領がやむを得ない場合の武力行使を容認。
先住民族から、土地を奪いその名をリベリアとする。

リベリア内では、主に白人 移住黒人 先住民族の3つに分かれるが移住国民は先住民族が文化的に遅れているとの理由で先住民族を差別。

その後もリベリアでは移住黒人が政権を握るが、それも米騒動を期に先住民族の感情が爆発、大統領が暗殺されその首謀者である先住民族のドウが政権を奪還。

しかし、ドウ自身の出身民族を優遇する政策をとったり、選挙で不正を行い、反復を仕掛けた人の民族そのものを大虐殺などをし、それに対して反発勢力が乱発して発起。

ドウは処刑されるが、その後も勢力間での闘争が相次ぎ内戦が続く。国連の介入もあり平和は取り戻されつつあるもののリベリアは世界最貧国の一つとなっている。

<自分の感じること>

・本当の自由とはどこにあるのか?

桃源郷は存在しない。もともとリベリアは移住黒人の自由のために作られた国であったが、それをアメリカの外に求めたがよくなかった。本当の意味での自由とは、自分に起きた不条理(=奴隷として働かされていた事実)を忘れることではなく、それを受け入れ語り継ぎ、主張し続けるということだったのだろう。たとえ苦しかったとしてもそう生きるのしかないのだろう。

・ペンが剣に勝てないこともあるという不条理

武器を持った相手にいくら弁明しようとしても殺されるだけというのは何ともつらい。暴徒と化した他者とどう向き合うのかってかなり本質的な問いですね。ガンジーってやっぱり異常にすごいなと思う同時にきっとガンジーは奇跡的な確率で外部条件が良かったのもあったと思う。あのような取り組みをして命を落とした人は数えきれないくらいいるのだと感じます。

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