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原作者との出会い


2018年の春、この本に衝撃を受けて、何年かかってでも翻訳者になりたい、と無謀にも思ったとき、頭の中にある問題は一つだった。
それは、翻訳権が取られていないかということ、もしくは近々取られてしまわないかということだ。

ふつうの本の出版とは違って、翻訳書には翻訳権がある。それは著者が持っている場合もあるし、原作の出版社やエージェントが持っていることもある。
いずれにしても、日本で邦訳を出版するとなれば、日本の出版社が、この翻訳権を日本のエージェントを通じて原作側から買い取るという流れになる。

要するに、翻訳権がすでに買われてしまっていたら、もしくは買おうとしている出版社がすでに存在したら(そこには当然プロの翻訳者がいる)私みたいな入口に立ったばかりの学生が訳者になれる可能性は無くなってしまうのだ。

それならそれでいい、日本語で出版されることが大事なのだから、
などとは到底思えなかった。
自分勝手な話ではあるけれど、この物語とのあいだに感じた深い繋がりを否定されるというのは、想像するだけであまりに辛かった。
一つになるには、自分が訳すしかないのに。
あの頃の私はよく泣いていた。

今となっては、そんなに簡単に邦訳出版が決まることなどありえなかったと分かる。
むしろ出版社を探すのにこんなに苦労しているのだ。
でも、当時はそんな事情は知らなかったし、この作品を日本の出版社が放っておくわけがないと思っていた。
日本語で検索しても、何の情報も出てこない。でもきっと、水面下で何かが進んでいる。


2018年10月、同じ作者の別の作品、『The Garden of Evening Mists』(邦題:夕霧花園)が台湾で映画化されるというニュースが飛び込んできた。
日本ではそれほど注目されていなかったけれど、主要キャストに阿部寛がキャスティングされているではないか。

おめでたい話だというのに、私は絶望して号泣した。これではもう、二冊ともとっくに出版が決まっているに違いない……。
同じ修士課程にいた日本人の親友に連絡して泣き言を言うと、教授に相談しなさいというとても冷静なアドバイスをくれた。

SOASの担当教授のナナ先生(翻訳修士課程を統括されていた日本人の先生)に状況を話すと、原作の出版社に連絡しなさいと言われた。翻訳権の行方をとりあえず押さえておくのがいい。これまた冷静でまともなアドバイスだった。

何しろ、日本ですでに邦訳出版されている作品は、修士論文では取り扱えないというルールがある。
一生懸命修論を完成させても、提出直前に日本語訳が出版されるような事態になれば、論文は無効になってしまう。
だから、翻訳権が売れているかどうか、検討段階の出版社があるかということを確かめておくのは、とても真っ当なプロセスだ。

そしてこのとき、私は自分が修士の学生であることの真価を思い知った。
こんな事情を説明して、対応してくれない出版社はいない。
あっという間に出版社と連絡がつき、翻訳権はきちんと残っていることが分かった。

そしてさらに思い立ち、論文のために著者に文書でインタビューをしたいとお願いすると、Myrmidon社のEdeard社長は心よく、著者のTan Twan Eng氏に連絡してくださったのだった。
そこは小さな出版社だった。
他社に断られつづけたというTanさんの作品を採用し、このブッカー賞候補作を世に送り出した出版社だった。

こうして私は原作者に出会った。
何も難しくはなかったのに、なんだか奇跡のように思えた。

あまりのことに動転して、メールで送る英文をネイティブの友達にいちいちチェックしてもらっていたのを覚えている(いや、今でも大事なメールは毎回見てもらっている。自分の思いがちょっとした表現のズレで伝わらなかったり、誤解されたりするのは悲しい)
タイトルはどうだとか、返信のタイミングはどうだとか、小さなことで寿命が縮む思いをしていた。

この作品を、日本語や日本の概念が登場して芯をなしてゆく物語を、日本人の目線で深く分析したのは、たぶん私が初めてだったのだと思う。

日本人が発したこの言葉は、紙面上は当然英語だけれど、実際には日本語で言っているのだろうか?
そもそも主人公はいったい何語で、誰に向かってこの物語を語っているのか?

日本語が英訳されているという前提の英文を、日本語に訳し戻す。あの有名な『さゆり』もそうだが、こんなに煩雑で面白いことはない。

重層的な物語をどうにか自分なりに読み解いて、そこから出てくる問いを抽出していく作業は、心の底から楽しかった。
誰も知らない世界から、誰も知らない言葉を拾い集めてくる。思考のなかに入っていく瞬間は、息を止めて海に潜る感覚に似ていた。これが「学ぶ」ということなのだと思った。

しばらく経って、練りに練った質問票を送ると、Tanさんはとても面白がってくださった。
それから今まで、Tanさんとは時々やりとりをさせて頂いている。
なかなか出版が決まらず、今はそんなに話すこともないのだけれど、いつか邦訳が叶って、真っ先に知らせて喜んでもらえたらどんなに嬉しいだろう。

帰国二週間前に修論を提出し、私なりの物語に対する見解を送ると、Tanさんは非常に感動したと言って、FBでシェアまでして下さった。それがロンドン生活最終日の出来事だ。本当に嬉しかった。おかげで帰国準備はまったく進まず、家の中はめちゃくちゃだったのだけど。

でも当然、そこから先が大変だった。日本の出版社とのやりとりは全然うまくいかない。
でも、それでもいいと、「こんな思いをした以上、きっとここからが一番辛いはずなので、諦めず、楽しみつつ、今後も頑張ろうと思う」と、当時の私は書いている。(続く)

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