見出し画像

二度目の始まり

不思議なことはあるもので、
絶望の先に希望があるとはよく言うけれど、本当にそんなことって起こるんだな、と思った。

絶望の話は、8月のnote「最後の手紙かもしれない」に書いてます。本当にもう人生が終わるような気がしていた。

その後、ブックフェスで少し元気になったのち、半月ほど前に、お世話になっているマレーシア在住のMatahariさんからの突然の連絡がありました。(彼女のことも以前noteに書いています)

マレーシアの日本語話者の友人で、The Gift of Rainの大ファンを見つけた、原作を読んでいるけれど、日本語で読みたくて翻訳を探したけれども見つからず、誰かに訳してもらう方法もわからず、途方に暮れていたところ、私の話をしたら大喜びしていると。

このお二人に、2018年6月から訳し続けている第3章(回想物語の冒頭)を送った。

送る前に少し見直した。5年かけて呆れるほどの推敲を繰り返しながら、もう疲れ果てて、ここ数ヶ月ほったらかしになっていたものだ。

この物語への想いを共有してくれる人がこの世にいるということ、その人たちが私を信頼して、訳文を読みたいと思ってくれていること。それが純粋に嬉しくて、久しぶりに心穏やかに自分の訳を見直すことができた。

読んでみると、やっぱり悪くなかった。どれだけ時間を置いて読んでも、悪くない。
これなら大丈夫だ、改善点はあるにしても、送って失礼じゃないし、何も怖くない。
そう思って、二人に送った。


長いし、一週間くらいかかって、全部読んでくれたらいいな、くらいに思っていたのだ。
ところが二人の反応は予想をはるかに超えていた。

あっという間に熱烈なメッセージが来て、食い入るように全部読んだと、二人ともに言われた。読みやすくて、一気に読んでしまえたと。

もう私は完璧主義を手放して、ご褒美にマレーシア旅行でもしたら?と笑われた。
翻訳を良いと思ったことってあんまりないけれど、私の文章はすーーーっと入ってきて一気に読んでしまった、と。

感動した、あの原作の深さや美しさを、よくぞここまで日本語で引き出した、英語で読めなかった自分にとって、まるで贈り物のようだ、早く全編が読みたい。
これはやっぱり、日本で出版されるべき本だと確信した、まずはマレーシアの日系コミュニティに全力でPRしたい、そう言ってもらえた。


訳文を褒められた、それだけのことだ。
でも私にとっては天地のひっくり返るような出来事だった。


出版したいと思っていた。でも何より、自分の訳文が鑑賞に耐えうるものでなければ、出版しても意味がないとわかっていた。
それがずっと怖かった。何度見直しても推敲しても、絶対に完璧にはならない。
目標に置いているのが、カズオイシグロ作品を訳されている土屋政雄さんの翻訳なのだから、5年やそこらで追いつけるわけもない。

それが、客観的に見て、それも原作を愛し、文脈を理解して、この物語の良さを知っている人たちから見て、良い翻訳、それどころか、読みやすくて感動する翻訳だと言ってもらえ、感謝されたのだ。
何度も何度も、お世辞だと疑う余地もないくらい熱心に。


もう、何も心配することがなくなった。
出版は、その先の話だ。
私は自分の翻訳を、これを最低限として、本全体を仕上げられるように全力を尽くせばいい。
それを読んでくれる人がいる。
究極を言えば、私が死んでしまう前に、みんなで自費出版でもしたらいい。

いや、自費出版したらいい、というのは嘘で、これは本来、ことさらニッチな作品ではなく、きちんとエンターテイメントととして大衆に届かないといけない本だから、出版社とのご縁は探し続けるけれども、
それでも、怖いものがなくなった。

どうにでもなる。まだまだ安心はできないけれど、幸せだ。欲しかった言葉を、約束通り5年をかけて、私は手に入れたらしいのだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?