僕は彼をさみだれと呼ぶ

僕の相方はSAMIDAREという男だ。
もちろん本名ではない。芸名というやつだ。
彼は僕と出会ったときからこの芸名を使っていたので、僕は当たり前のように彼をさみだれと呼ぶ。

今朝のことだ。
いつものように早起きをして、まだ日が昇っておらず薄暗い夜道とも呼べるなかを歩いていた。
バイトに向かう一抹の気怠さを感じる朝、両耳に挿し込んだイヤホンから流れるお気に入りの音楽さえも今の僕の心を躍らせることはできない。
僕は気付くとライブに出ているときのことを思い返していた。ああ、これもある種の現実逃避ではないか。

ライブは楽しい。気の良い仲間たちと楽屋で話し、舞台上では目の前のお客さんを笑わせようと出来る限りの力を振り絞る。笑ってもらえるとなおのこと楽しい。
そしてなにより、楽屋での僕はけっこう相方との会話を楽しんでいる。そのほとんどは中身のないものだから内容はいちいち覚えていない。

脳内で開催されているそのライブの楽屋でも僕は少し遠くから相方の名前を呼んでいた。ネタ合わせをするためだ。
気兼ねなく名前を呼べるというのは、しかも呼び捨てで呼ぶということは、何気ないことだけどコンビとして良いことだよなぁと、なぜか急に感慨に耽ったりしてしまった。身に沁みるこの寒さがそうさせてしまったのだろうか。

そして僕は反芻する。
SAMIDARE、サミダレ、さみだれ…。

…さみだれ?

僕は急に我に返った。
いや、俺の相方、芸名むちゃくちゃ変じゃない!?
しかも今の今まで俺なんの違和感も感じず呼んでたじゃん!!
SAMIDAREってなんだよ。なんで五月雨よ。しかもローマ字かい。全部大文字ときたもんだ。そんで見た目もまぁ年相応の、言ってしまえば普通の22歳男性を指差してSAMIDAREって呼んでんのか、俺は。いやいやいや。どういうこと????さみだれ~!じゃないのよ。人を呼んでるんだから。人がさみだれなわけないから。俺知ってるし。あいつが相川弘道だってこと。その知識を伏せて、さみだれ~!じゃないのよ。怖いから、そういうの。さみちゃんはまだ分かるわ。愛称感あるから。でも俺相方だしさみちゃんはキモいべ、やっぱフルでさみだれだな。じゃないんだって。十分キモくない?フルでって何よ。フルネーム相川弘道だから。いや、変だよさみだれって。何よりも何も感じず呼んでるのが一番変だわ。さみだれ。さみだれ???え、そんな日本語ある???

僕はあのとき、言語化するのがとても難しい感情で埋め尽くされていた。
とにかく変としか言いようがない。違和感以外の何物でもない。それが出会ってそろそろ5年が経とうとしている今、襲ってきたのだった。

昼過ぎ、僕は彼に会った。そして今朝の顛末を彼に話した。

「…って感じでさ、なんか急に気持ち悪くなっちゃったんだよね。」

彼は相槌を打ちながら僕の話に耳を傾けていたが話し終わったとみて僕にこう言った。

「いや、変だよ、俺の芸名。俺はもう2年前にそこ通りすぎてるからな。」

彼が自らSAMIDAREを名乗り始めて6年。
そうか、当の本人でもこの気付きに4年かかっていたのか。じゃあ僕の4年も当たり前の年月だったのかもしれない。
そして、僕も乗り越えてゆくのだろう。この違和感の先にある景色を求めて。

彼はSAMIDAREだ。
そう心に改めて刻むことで僕は今日、たしかに一歩踏み出したのだった。
僕は彼の背中を追いかけるその歩幅を少しだけ大きくすることにした。彼に早く追い付かないといけないのだから。


いや、待てよ。
本人であれば早めに気付くか、一生気付かぬままでいろ。4年要するなよ。

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